(二章)最悪なお見合い(3)

「まさにその通りです。王族の習慣では、十三歳までに将来の妻候補が立てられます。しかし殿下は、強すぎる魔力をまだコントロールできず、触れた者がひどい魔力酔いを起こすのです。あの美貌ですから、交流会に招待された令嬢達は、自分こそを婚約者にとアピールしたがり」


 結果、そのたびに魔力酔いで倒れる。令嬢達としては、もし魔力酔いを起こさなかったら候補の筆頭に出られるかもしれないと期待して、めげないのだ。


 それを聞いたツヴァイツァーが、ふぅっと鼻息をもらした。


「悪循環ですね。魔力酔いは、重度の症状や後遺症を引き起こす場合もある。しかし王族としては決まりを破るのも体裁が悪い、と――まぁ、先程の殿下の台詞を聞くに、都合も良かったから前々からリリアと婚約させたいという算段も見えましたが」

「うっ、それは、誠に申し訳ない」


 横目を向けられたハイゼンが、まるで責められているような威圧感を覚えて、焦って謝った。


「魔力酔いの件を、うちの娘でも試してみたかったのも理由でしょうか」

「はい。その、挨拶で握手をさせる予定でいたのです。馬車の中でも、そうしてみるよう言い聞かせてお願いしていたのですが、まさか、殿下があそこまで嫌がるとは……」


 ハイゼンは、ギスギスした視線に耐えかねて、全部白状した。俯いた途端、ぽんっと肩に手を置かれて飛び上がる。


「でもまぁ、あの子は確かに魔力酔いなんて起こさないと思いますよ」


 そう口にしたツヴァイツァーは、見つめ返されにっこりとした。


「それでいて、残念ながら試すことはできないでしょう。ここまで相性が悪いというのも珍しい気がしませんか?」


 ねぇ、と畳みかけるように言った彼の目は、一切笑っていない。


 その背中に黒いオーラを見たハイゼンは、固唾を呑んでたじろいだ。誰が見ても、心底怒っていると察せる怒気が放たれていた。


 ツヴァイツァーも、さすがに娘を人外呼ばわりされて、内心冷静でなかった。自分が生きている間は人間界で暮らして欲しいと思っているのに、あの馬鹿王子は、リリアに『人間は嫌いだ』と言わせたのだ。


「宰相様、今回の件、少しお話してもよろしいでしょうかね?」

「ひぇ、は、はいっ、なんなりと!」


 胸倉を掴み寄せられたハイゼンが、両手を降伏のポーズで上げて反射的に答えた。笑顔を張り付かせているツヴァイツァーは、手元をギリギリ言わせて続ける。


「形ばかりの婚約が欲しいのであれば、名前をお貸しするのは構いませんよ。――ただし、今後一切、うちの可愛いリリアに〝人外派〟の人間と関わらせないよう、全ての社交について、こちらに自由を与えてくだされば、の話ですが」


 ツヴァイツァーはすぅっと睨み付けて、低い声で述べた。


 リリアの社交の参加に関しては、全て伯爵家の任意とする。そして今回のような見合いや交友の提案連絡が一切ないよう、国王権限で取り計らってもらうことを要求した。


「この際なんで、言っておきます。俺としては、可愛い娘に、クソ野郎と婚約などさせたくもないし、今後も同じような連絡が届けられても困るんですよ。なら、ここで先手を打っておきたい。つまり交渉です」

「こ、交渉……」


 ハイゼンが、深刻顔でごくりと唾を飲み込む。


 それは、隠せない怒気が滲みだしたドスの利いた声と、時折乱れ始めた口調。そしてツヴァイツァーの見据える眼差しの、底の見えない覚悟の強さに気圧された。


「あなた方は、オウカと俺の子が殿下と婚約した、という名分も欲しいんでしょう。そして来年までに婚約者をあてなければならない、と焦っている」

「うっ……そ、その通りです。推測に間違いはございません……」

「そして俺は、まだ幼いあの子を、俺の今のできるかぎりで守りたいと思っています。あなた方と同じ考えの貴族は、他にもごろごろいそうですからね」


 だから、リリアが決定権が持てる十六歳になるまでは、婚約者としての名前を〝貸す〟。


 それはいずれの婚約破棄を認めたうえでの、契約的な婚約案であった。ハイゼンが理解したのを見ると、伝え終わったツヴァイツァーはそっと手を離した。


 そうでなければ、幼いリリアを守れないと、ツヴァイツァーは父として判断した結果でもあった。


 ――今回の件で分かったことは、どうあったとしても、リリアは傷ついてしまうだろう、ということだ。


 紳士の皮を破り捨てて喧嘩をしたいところだが、そうすると妖狐一族もついてくるのでダメだ。とすると最低限、人間側から自分達を放っておいてもらう――。


 その方が最善策だろうと、ツヴァイツァーには思えた。


「このままだと、〝俺〟自身も、領地の外にいる人間が嫌いになってしまいそうですから」


 ふいっと顔をそむけて、ツヴァイツァーはそう答えた。


 拒絶。失望……決定的な溝を作ったのだと知ったハイゼンは、今にも死にそうな顔で、慌てて頭を下げた。


「このたびは、大変申し訳ございませんでしたっ。ご、ご意向については、必ずや、すぐに陛下へお伝えさせていただきます」

「それから、『残念でなりません』とも付け加えてお伝えください」

「え?」

「リリアには、同じ年頃の、貴族の友達も作ってもらいたい気持ちはありましたが……こちらが思っていた以上に、彼女達にとって生き辛い世界なのかもしれないと、私が感じてしまったのも残念でなりません」


 ツヴァイツァーは、ハイゼンに言い捨ててそばを通り過ぎた。


 空中にいるリリアは、いつの間にか、背を丸めるようにして泣いていた。声を上げて泣きじゃくる姿は、訪問者を立派に出迎えて、喧嘩までした少女とは全くの別人にも見えた。



「姫様、大丈夫ですから。ね?」


 黒狐が、焦ったように二本の尻尾でリリアを抱き寄せ、長い鼻先をすり寄せて宥めていた。


 リリアがこのように大泣きしたのは、これが初めてのことで、アサギは強く動揺していた。


「人間なんて嫌いよ……嫌い……大嫌いだもんっ」

「姫様、分かりました。頼みますから、どうか泣きやんでください。ほら、俺の尻尾を掴んで、ぐしゃぐしゃっとしても怒りませんから。それに耳だって掴まえてくれても全然いいですし!?」


 空中でうずくまる少女の周りを、続いて黒狐はおろおろと歩き回る。


 その時、ツヴァイツァーがその真下に歩み寄った。


「リリア」


 そう呼んで、彼が両手を広げた。


「リリア、俺の可愛いリリー。ほら、おいで。屋敷の中に戻ろう」


 ふっと顔を向けたリリアは、父の姿を認めた途端に一層ボロボロと涙した。その胸に飛んでいくと、そこにいる第二王子達も見ずにぎゅっと抱きついた。


 ツヴァイツァーが、しっかり抱えて歩き出す。それでも彼女は、一切顔を上げなかった。


「……父様、私…………もうこんなことしたくない」


 ぽつりと、泣き声でリリアは小さく訴えた。


 その震える体をぎゅっと抱きしめて、ツヴァイツァーは、少し悲しそうに微笑んで、


「――分かった」


 全て呑み込んだ表情で、そう頷いた。



 それから数日もしないうちに、レイド伯爵家の半妖令嬢リリアが、第二王子サイラスの婚約者になったことが発表された。

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