GENDAI/ver1.0
@junk1900
chapter 1
無数の赤いランプが壁で点滅している。隣に張られた窓の外では、黒い海面に映る星空が揺れていた。ここは、地球の中心に少しだけ近い場所である。
日本に別れを告げて五か月になる。この船で生活する人間は通りかかった祖国に降りるなりして、三分の一にまで減ってしまった。貯蓄も底をついてきたし、船員が減るに越したことは無いが、銀二たち四つ子はまだ、広い海をさまよい続けるしかない。
「今日も夜空が汚ねぇな」
銀二は窓際で溜め息を含んだ毒を吐いた。窓の外には住めそうな島どころか、触れる岩さえない。まったくもって、変わり映えしない風景というのはどこにあってもそう良い物ではない。
もう一度溜め息を吐こうと息を吸う。
「――どしたん」
低い声と肩を叩く手に、驚いて飛び上がった。本来なら誰も起きていないような時間だ。
振り向いた先には弟の三雷が、肩から離れない虫でも見るかのような顔で立っていた。
「三雷お前、なんで起きてるんだよ」
「ああ、食いすぎてな。んで、もうアラサーというとこまできて中二病かいお前は。そろそろ明日の準備しろよ」
三雷は半笑いでそう言いながら、隣に座ってきた。エネルギーの塊だった頃の三雷の影は薄くなり、なんだか俯瞰的な男の印象を纏い始めている。
「一とセラは、さっき寝た。外は冷えるから気を付けろよ」
「そりゃどうも。ああ」銀二は僅かに水が残ったペットボトルを取り出し、三雷に手渡した。「明日までに飲んでおいてくれ。腐らせたくない」
三雷は頷き、物々交換をするように部屋の鍵を差し出した。
「いちおう二人にも挨拶しとけ。あとこれ」続いて錆びた赤色の腕時計を取り出し、ポケットに突っ込んでくる。
「よし。今日も生き延びたな、兄弟」
「もろちん」
「黙れ」
鈍い光が差し込む寝室。ぶっきらぼうな足音を立て、寝息を立てる二人に近付いた。
「よ、兄さん。あと三浪女」
布団をよく覗き込むと、赤いパジャマ姿の一は相変わらずの綺麗な寝相を保っていた。セラのほうはと言えば、寝ているどころか充血した目を思い切り開いていた。
「なんだ、起きてんじゃん」
「あたしが三浪したのはもうどうでもいいでしょ。性格えぐいよお前」
「そうかもな。早く寝ろよ。じゃ、俺は便所にでも行きますかね」
半ば逃げるように部屋から出ようとする。が、ドアが急に開いて顔面に叩きつけられたため阻止されることとなった。
「痛って!誰?」
不機嫌そうな顔で入ってきたのは、コート越しでもわかる逞しい腕に鍵をぶら下げた船長。
「灰河銀二、早く寝ろ。寝室で大声を出すな」
慌てて頭を下げた。
「すす、すいま、申し訳ありません」
セラがその光景を見て幸せそうにしている。
銀二は唇を変な角度に曲げ、廊下へ急いだ。
「……」
トイレを通り過ぎ、角を曲がった先にある扉を抜ける。
室外に顔を出してみると、三雷の言葉通り、冷たい風が首筋に吹きつけてきた。近くを見回して、誰もいないことを確認してから、海に向かって大きく口を開いた。
「はーっ!今日もつまんなかったよ、神様!」
――少し前、魔人を巡る戦争で四人は追われる身になってしまった。いつか日本に戻りたいと心底では思いながら諦めたように浮浪している。
なんでこんな事になったんだろう。本来なら俺は今頃、血生臭い場所から足を洗って、一と一緒に店でも立てて、そこそこの生活をして、いい人と出会って結婚したりしなかったりして、年喰ったらみんなで旅行とか行って……。旅行にはもうある意味、行けてるかもな。
足元にある吸い込まれるような海原を、睨み続ける。
「おい銀二!ボーっとするな!」
突然、三雷の声がした。
どうやら少し、考え込み過ぎたらしい。
はっとした反動でつんのめり、銀二は柵から危うく落ちそうになった。
なんとか上手く尻餅をついたその瞬間、ポケットから腕時計が飛んだ。
「あっ」
一瞬だけ視界が揺れ、気付いた時には腕時計は水の中に消えていた。
「くそっ」銀二は歯ぎしりして海に手を突っ込んだ。顔に飛沫が散るが、掌には白い泡しか掴むことができない。焦りから、考えるより先に床を蹴っていた。
「よせ銀二!」後ろから届く声が、段々と小さくなる。
よせる訳がないだろ。銀二は頭から海面に突っこんだ。そこからは背筋が冷えるのも、目が痛むのも構わず、死に物狂いで足を動かした。
だが無論、金属より早く沈むのは不可能だった。すぐに背中を引っ張られるようにして、上へと引きもどされていく。
「ちくしょう!」水面から出て、息を吸うより前に銀二は叫んだ。「やっちまった。ごめん、本当に」
「何言ってんだ、戻ってこい!」三雷の悲痛な声は先程より遥かに遠ざかっていた。
あんなに大事なものを。銀二は悔やみきれないまま、力の入らない腕で泳ぐ。泳いでいくうちに、四肢は重くなっていった。
いや、いくらなんでも重すぎる。分からないはずのない違和感だが、時計で頭がいっぱいで気付くまでに時間がかかったのだ。それがいけなかった。
慌てて全力で四肢を振り始めた頃には、波の音がすぐ後ろまで迫ってきていた。
「銀二!急げ!」
絶叫が響く。反応して顔を上げた瞬間、殴られるような痛みが一気に頭を襲ってきた。
一気に海水の奥へと沈められる。心臓が狂ったように脈打ち始めた。流されまいと必死にもがく。その間も、何かが頭にガンガンとぶつかった。目に染みこむ海水と目の前に滲む血で、なにも見えない。
何やってんだ俺。戻らなきゃ、きっと戻れるから、手を動かせ。手を、足を――。
これは、まずいな。
一瞬だけ視界の隅に赤い船を捉えてすぐ、銀二の視界は暗闇になった。
それは永らく見ることのなかった、幻想的な夢だった。
エメラルドブルー色の蒼い星が目の前にあって、月のような場所でそれを見ていた。銀二の隣には、どこか見覚えのある帽子の青年が座っていた。
青年はこちらを見もせずに語りかけてきた。
「あなたにとってあの時計は、そんなに大事なものなのですか」
……そう言われたら危ういかもしれない。でも曾祖父の時代からの財産だと言われてきたものを手放すのは罪だと思った。
「そうですか。でもあなたの命のほうが、失う罪は大きいはずです」
そうか、死んだのか。まあ自分の番が回ってきたというだけだ。
「いいえ、まだあなたは生きている。死というものを簡単に受け入れないほうがいいですよ」
しかし、もう受け入れるしかないのではないか。魚にでもしてくれたらまだ生きられるのだけれど。
「受け入れるということは諦めるということ。もしあなたが諦めないというのなら、あなた自身が応えてくれます」
……思い出した。あんた、俺達の家を潰した軍人だろ。どうしてこんなところで出てくるんだ。
「こうして償わないといけないからです」
都合のいい話だな。
「ですね。そうでなくてはならないと、私はずっと思っています。だから、どうか無事で」
――彼の言葉でなにか紐が解けたように、銀二だけが地球に向かって落下し始めた。
やけに穏やかな夢だ。男に怒りも湧いてこないし、頭から落ちているのにまるで恐怖を感じない。
呆然としているうちに、全身が雲の中へと突っ込んでいた。そこで一気に時間の流れが速くなり、視界も鮮明になっていく。
いつの間にか場面が一転し、錆びた歩道橋に降り立っていた。見下ろした時そこにあったのは、いくつかの人影が夕方の交差点で別れる、普遍的な光景だった。それはよく見ると今よりいくらか若い銀二と兄弟たちの姿で、場所は分からない。ただ、帰り道で別れた事がない四人が各々に散っていくのは現実の光景ではなかった。
非現実!それはこの夢を表現するのに最適な言葉だ。というかそうだ、これは夢だったな。
――そろそろ起きるか。
目を、薄く開ける。すべてがぼやけていたので目を擦った。
意識が現実に戻ってくる。そうして真っ先に視界に入ったのは、両脇にそびえる壁と、その間に見える灰色の空だった。
あれ?
「……海は?……三雷は?」
重い腕を動かし、体のあちこちに触ってみる。胸にも顔にも痛みはなく、背中だけに濡れているような感覚があった。
変な気分だ。思い切って体を起こしてみる。
すぐさま異常に気付いた。背中を濡らしている海水と思われた液体は赤黒く、凹凸のない地面に焼け焦げた服の切れ端が落ちている。ここは知った場所ではない。
銀二は力を込めず立ち上がった。
「……なんで、立ってるんだろうな」
曇り空の下、銀二のいる住宅の間隙にはおびただしい数の焼死体が転がっていた。
茫然と眺める遠くの路地に、誰かの足が見えた。
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