雪弥と宮橋は一旦、空から

 エレベーターに乗り込み、最上階を目指した。屋上へと続く道のりには、ブラックスーツを着た人間が数人いて、雪弥が来るなり「こちらです」と早速案内した。


 ヘリポートがある屋上へ出ると、軍服姿の男達の姿もあった。


 そこには、軍用の輸送ヘリが、いつでも離陸できる状態でいた。

 バラバラと音が立ち、風が雪弥と宮橋の髪とスーツをはためかせた。待っていた全員が、雪弥の姿を目に留めた途端、ピシッと一斉に敬礼姿勢を取って――宮橋がちょっと引いた。


「君、随分怖がられているなぁ」

「そうですか?」


 そんな覚えはないのだけれど、と雪弥は黒いコンタクトをした目を彼らへと向けた。


 すっと視線が合った彼らが、ピリピリした緊張状態で敬礼姿勢を強めた。目をやや上にそらして、悲鳴の代わりのように揃って答える。


「〝ナンバー4〟! お待ちしておりました!」


 軍用ヘリの、風の音に負けないようにだろう。


 雪弥は、強風で邪魔になるコンタクトを外しにかかりながら向かった。一歩前に出た彼がリーダーだろうと推測して、とくに目も向けないまま声をかける。


「ご苦労。今回は宮橋さんも同行する、用意は整っているか?」

「はっ、今回はそちら用にパラシュートもご用意致しました!」

「よろしい。僕も、今回は彼に合わせる」


 雪弥は言いながら、軍人に促されヘリに乗り込んだ。続いて宮橋が「足元にご注意ください」と丁寧に案内を受けて中へ進む。


 何かあった時のため、操縦席側には、既に座席に待機している軍人達の姿もあった。けれど彼らは、視線でさえ煩わせないよう、ピシッと背筋を伸ばして押し黙る。


 その様子から、普段の〝ナンバー4〟への接され方が容易に分かった。宮橋が「なるほどね」と呟いて、案内された側面の横続きの座席に腰を下ろした。


「君、普段はパラシュートもなしなのかい?」


 一旦、離陸と飛行の安全用ベルトを軍人にされながら、宮橋が雪弥を見た。


 雪弥は、外から号令が上がって、離陸していく音を聞きながらうーんと考える。


「そうですね。近くなら、身一つの方が早いので」

「君の言う『近く』の距離感は信用ならないな。真似をしたらダメなパターンのやつか」


 離れて搭乗していた軍人達の、一層固くなった緊張と反応から、宮橋は早々に察した。後半、そう言いながら、開きっぱなしの扉の風景を眺めにかかった。


 じょじょに浮かび上がった軍用ヘリは、やがてホテルのヘリポートを離れ、上空へと飛び立った。


 やや進路変更の傾きが起こった後、揺れは小さくなり安定飛行へと移る。遊覧ヘリにも慣れている宮橋が、しばらく向こうの操縦席側を観察したのち、こう言った。


「軍用ヘリも悪くないな。僕にも操縦させてくれ」

「だめですよ……。何を唐突に言っているんですか」


 雪弥は、困ったように青い目を彼へと向けた。その眼差しは『またか』とも言いたげであるのを、宮橋はしっかり理解してもいた。


 だが、彼はビシッと指を差して述べる。


「君だって操縦するんだろう」

「まぁ、必要があればしますよ。でも日本だと、あまりないですね」

「なるほど、ステルス経験もあるのか」


 ……何も言っていないのに、また、当てられた。


 ちらりと思い返していただけなのにと、雪弥は不思議で首を捻る。真面目な顔で「なるほど」とやっていた宮橋が、飽きたように思案顔を解いた。


「まっ、そんな事はどうでもいいんだよ。この軍用ヘリだ」

「そこで話を戻しますか」

「ヘリの離陸くらい、誰でも簡単にできるだろう」

「大事なのは、着陸です」


 横顔に提案を投げ掛けられた雪弥は、ひとまず大事なのでそう教えた。


 軍用の輸送機の中には、よく見知った空気が緊張感をもって漂っていた。

 到着までを待ちながら、雪弥は小さく鼻息をもらして腕を組む。つい先程まで、エージェントとしての空気からは離れていたので、なんだか〝日常を過ごす宮橋〟が隣にいるのも変な感じがした。


「これが、君が普段いる側の世界、か」


 ふと、そんな声が隣からした。

 目を向けてみると、同じく足を組んで機内の様子を眺めている宮橋が、吹き込む風に明るい色の髪をバタバタさせながら言う。


「なんとも落ち着かない物騒さだね」


 そうだろうか。これが普段通りだったから、賑わう県警の食堂だとか、宮橋と刑事として雑務をしていた時の方が、雪弥は落ち着かなかった。


 ああ、多分〝新鮮〟ってやつなんだろうな。


 雪弥にとって、そうであったように。宮橋にとっては雪弥のこの当たり前の事が、見慣れない全てなのだ。


「そういえば宮橋さんって、刑事さんでしたね」

「軍人でないのは確かだよ」


 軽く雪弥が笑って言うと、宮橋がフッと笑みをもらして答えた。


 どれくらい経った頃だろうか。やがて操縦席側から合図があり、席を離れた軍人達が雪弥と宮橋に降下準備の装備を始めた。


「ナンバー4を投下!」


 機内にそんなアナウンスが流れる。その認識を確認し合うように、動き出した他の軍人らも言葉を繰り返した。


 開いた扉の前に立った宮橋が、風で髪やスーツをばたばたさせながら笑った。


「ははは、なんだか危険物を投下するように聞こえるなぁ」


 パラシュートを背負った宮橋は、そう面白そうに感想の声を上げた。パラシュート経験の他、パラグライダーなどの経験も豊富なので、緊張はない。


 緊急処置や対応も知っていたのには安心できた。もしもの事を考えつつも、素人相手ではないので気はやや楽だ。


「そうなんじゃないですかね」


 ふぅと肩から力を抜いて、雪弥は暇を潰すように冗談でそう答えた。


 その後ろで、ピシリと機内に緊張が満ちた。けれど雪弥が全く見向きもしないのを、宮橋が面白そうに眺める。


「さ、行きますか」


 そう口にすると、宮橋が希望したその〝ポイント地点〟へ向けて、まずは雪弥が空へと躍り出て降下を開始した。


 続いて宮橋の番――と思いきや、彼が世話になった軍人をくるっと振り返った。そして美しい顔でにこやかに笑う。


「諸君! なかなか面白い経験になった、ありがとう」

「あっ、いえ、お気を付けて……」


 そんな軍人達の戸惑いの返答も聞かず、宮橋は楽しげな笑い声を「わははははは」と上げて、軍用ヘリから大空へ飛び出していった。


 残された機内の中で、ようやく扉が閉まり出した時に男達が顔を見合わせた。


「そもそも〝ナンバー4〟と普通に喋っていた彼は、何者なんだろうな……」

「刑事だと言っていましたが、宮橋財閥だから慎重に対応せよ、と追って命令もありましたよね」

「まぁ、〝ナンバー4〟の事だ。関わらない方がいい」

「恐ろしいお方だと、上からも言われているからな」


 ぶるりと、彼らが注意事項を思い出して震え上がる。


 ――実のところ、その雪弥が宮橋に新米の後輩扱いというか、堂々と下僕宣言までされていたとも彼らは知らなかった。



 そんな中、雪弥は先に地上へ降り立った。宮橋の無事の到着をと考えて振り返ったところで、ふと安全を考えて下で「おーらい、おーらい」と待ち構えた。


「あ、やめろ、馬鹿」


 なんか宮橋が言ってきたが、ばたばたするその足を見て「はてどうしたんだろうな」と思っている間に、もうすぐそこまで迫っていて――。


 雪弥は、彼をぼすんっと両腕で抱え受け留めた。


 その直後、宮橋の手が素早く伸びて、雪弥の顔面を鷲掴みした。直撃した際の衝撃の強さと、ギリギリと締め上げられる感じ。そして次に聞こえた低い声で『怒り』に気付いた。


「だから、お姫様抱っこするなと言った」

「あ……、すみません」


 雪弥は、今になって思い出し、謝ったのだった。

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