犯人にとって(多分)嫌な組み合わせ(1)

「いちおう、警察車両だと分かるようにしていた方がいいのでは」


 雪弥は、停めた車体のやや後ろに、三角表示板を置いただけの宮橋にそう声を掛けた。車の通りは落ち着いているとはいえ、本来は駐車禁止区域だ。


 そうしたら宮橋が、背を起こして上から目線で叱り付けてきた。


「君は馬鹿か。警察関係だと分かったら、スピードを上げて逃げに入られるだろう。止めるのが面倒になるぞ」

「それ、止めるのは僕の役目なんですよね? 宮橋さんの臨時相棒(げぼく)として」

「もちろんだ。僕がそんな雑用係をやるわけがない」


 確認してみたら、宮橋が当然だと言い返してくる。雪弥は困って首を首を傾げた。別に相手がスピードを上げようと、止められるのだけれど……と言いたげだ。


 だが宮橋が、そのまま「ふんっ」と不機嫌そうに車体にもたれかかって、車の走行を眺めやってしまう。


 質問するタイミングを逃した雪弥も、彼に習って待機姿勢で同じ方向を眺める。


 時速だいたい六十キロ前後で、四車線の国道を車が走り去っていく。大きく橋状になっていることもあって、右手を見ればやや上り坂風だ。先に信号は見当たらない。


 都心の熱を孕んだ風が、高速車の巻き上げた風と一緒に吹き抜けて、雪弥のブラックスーツと蒼交じりの色素の薄い髪を揺らしていった。


「――シートベルト違反が、三組」


 暇で、ちらりと目で流れて行く車をチェックして呟く。


 カシャン、カシャン、と雪弥の目はコンマ一秒の〝流れ〟もよく捉えた。たかが六十キロ前後だ。弾丸を目で追うよりも容易い。


「よく〝見える〟というのも、厄介なものだけれどね」


 ふと、そんな呟きが聞こえて、雪弥は青いスポーツカーにもたれて立つ宮橋へ目を向けた。彼はこちらを見てはいなかった。


「君の目は、現実世界を映し出すのにとても高性能だ。僕の目も似たようなものだが、なるほど、君みたいな視界でずっとやっていると疲れるな」

「僕みたいな視界って?」

「ちょっとばかし君の視界を〝経験〟してみただけだよ。自覚がないなら、いいさ。君自身になんら負荷はないだろうし、そこは僕とは違う」


 独り言のように言った宮橋が、小さく肩を竦めてみせる。ほんの少し笑った目元が、くしゃりと細められて道路を眺め続けていた。


 雪弥は、ちょっと首を傾げた。んー、と深くは考えないまま直感的に言う。


「宮橋さんは、見続けるのが嫌なんですか?」


 ――また、やや、間があった。


「君は、呑気なのか鋭いのか、分からない子だね。知ってか知らずか、どっちともつかない質問をしてくるんだから」


 こりゃ参ったねと呟いて、宮橋が西洋人のような栗色の髪をかき上げる。日差しの下に晒されたそのブラウンの目は、やっぱり雪弥にはガラス玉みたいに見えた。


「色々と見えすぎてしまってね。意識して切り替えないといけないのに、たまに忘れる――青い葉を茂らせた大きな木と、とくに怨念を鳴く顔の実が、とてもとても煩い」


 一体、どちらに対して言ったのか。

 それとも、またしてもただの独り言なのか。


 低くなった小さな声が、流れていく車の走行音から聞こえた。落ちてきた前髪を、うざったそうに指先で少し寄せた宮橋が、指の隙間からじっとりと道路を見ている。


 雪弥は、彼と同じ方向へ目を向けた。


 そこには、大きな道路と流れて行く車があるばかりだ。


 それなのに、雪弥はまるで、宮橋には〝全く別の風景〟でも見えているみたいだという印象をちらりと抱いた。


「ああ、そろそろだな」


 また唐突に、宮橋が声を上げる。


「そろそろって、何がですか?」

「僕らが待っている〝バイク〟と〝車〟さ。今、同じデカいトラックが三台通っただろう。あのあと少しくらいに〝バイクが走ってくる光景〟だった」


 見た、という表現は過去を言い表すものだ。


 雪弥は、そこについて少し考えたものの、途端に「まぁいいか」と一兵として考えるのを放棄して確認する。


「それで? その逃走車たちは、いつ頃こっちに到着しそうなんですか?」

「そろそろじゃないか?」


 適当な感じの口調で答えた宮橋が、同じ車線側の向かってくる方を見て「あ」と声を上げて、続けた。


「あれだ。あの400のCB。赤いヘルメットと白いヘルメットのガキが、二人乗っているだろう」


 言いながら、ほらそこだと指を向ける。


 雪弥としては、三十六歳だという宮橋がかなり若い容姿をしているので、なんだか彼が「ガキ」という言い方をするのが慣れない。


 そう思いながら、雪弥は宮橋のいう方を目視した。そこには、二人乗りをした該当するバイクが一台あった。他の車と同じ速度で、こちらへと向かって流れてくる。


「止めればいいんですよね?」


 雪弥は、スーツの袖口を整えつつ確認した。


 青いスポーツカーから、宮橋が一歩離れて頷く。


「まずは止めろ。次に車が来るから、ひとまずバイクの二人は速やかに僕のところへ寄越せばいい。ストレス発散の一環で、僕が拳骨を落として捕獲する」

「そんな清々しく言い切った刑事は初めてです」

「だが、軽い怪我くらいはいいが、腕なんかは折るなよ」

「そんなへましませんよ。加減します」


 雪弥は淡々と答え、黒い瞳の奥をゆらりと青く光らせた次の瞬間には、動き出していた。


 バイクとの距離感を捉えたまま、素早く進行方向先へと飛び出す。


 唐突に、ブラックスーツの若者が前に立って驚いたらしい。隣の車線を走る車が、びくっと車体をぶれさせ、バイクの青年達が何やら叫んだ直後に急ブレーキを掛ける。


 速度が減速した。これなら壊さずに済む。


 雪弥は冷静に構えると、途端にバイクへと向かって走り出した。目撃した車の運転手たちが「うそでしょー!?」と車内で叫ぶ声は、届いていない。


「んぎゃあああああ一体なんだ!?」

「ばっ、バカくるな!」


 二人の青年が騒ぐ。


 その一瞬後、雪弥は彼らの目と鼻の先に迫っていた。バイクの頭部分を、ややメキリと言わせつつ片手で掴むと、進行方向へ向けて横倒しに転ばせた。


 ソフトに横倒しにさせられたバイクが、ガシャンッと派手な音を立てて部品の一部を破損させ、投げ出された青年たち共々道路を滑っていく。


 十分な距離感を持っていた後続車が、慌てて続々と車線を変更した。


 そんな中、雪弥は道路を滑るバイクを追って、一つ飛びで後ろへと宙返りした。数メートル滑ったところで、そのバイクに着地し〝地面にめり込ませて〟止めた。


 荒技である。余計に、色々と壊れた。


 脇を通過していく車やらトラックやらが、我が目を疑う顔で雪弥を見ていった。続いて地面を転がっていく青年達が、そこへ到着してバイクの前で止まった。


 雪弥が、律儀にも視線を合わせようとバイクの上でしゃがみ込む。そんな中、二人の青年たちがハッとしたように、彼を見つめ返して怒鳴った。


「あっぶねぇな! 何しやがんだ!」

「一体なんなんだよお前えええええええ!?」


 バイクの後ろに乗っていた方の青年は、半キャップのヘルメットの下で半泣きだ。


 なぜか喧嘩を売るように言われてしまった。よしよし大きな怪我はないなと確認していた雪弥は、ふと思い出して、ナンバー1からもらっていた偽の警察手帳を掲げて見せた。


「警察です。強盗犯が逃走中だと応援要請を受けました」

「え、警察……?」

「制服じゃないってことは、まさか刑事の方……?」


 おそるおそる質問されたので、雪弥はひとまず、こっくりと頷いてみせた。


 その直後、青年たちが丈夫にもガバリと立ち上がった。まるでホラー屋敷から飛び出したかのような形相で、道を逆送するように走り出した。


「こ、こここんなおっかねぇ『刑事さん』なんて知らねぇよ――――っ!」

「絶対ぇSだ! 先輩たちよりヤバイ人だ!」


 よく分からないことを色々言われている。


 雪弥は首を捻りつつ、トンッと軽く地面を蹴るようにして走り出した。一気に追い付かれた青年たちが、迫る彼を見て「ひぃいいいい!?」と悲鳴を上げる。


「逃げられたら困るんです。掴まえてくださいと、指示されていますから」

「「んぎゃあああああ取って食われる――――っ!」」

「取って食われるって、何が?」


 ほとほと困った顔で、雪弥は逃げようとする青年二人を掴まえた。ぐりんっと踵を返した拍子に、その細腕にぶら下がっている青年達が、遠心力で振り回されて「ぐえっ」と呻き声を上げる。


 雪弥は来た道を引き返すと、青年達を宮橋のいる方へ一人ずつ放り投げた。


 少しこちらへと移動していた宮橋が、飛んでくる青年たちを見据えて待ち構えた。腕――ではなく、足を上げ、それぞれ彼らの顔面を靴裏で受け止める。


「よし、よくやった雪弥君。次は車だ」


 宮橋は、青年達に容赦なく――ぴしゃりと次の指示を出ようにそう言った。

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