雪弥と宮橋、そして忘れていたこと(1)

 風間の店をあとにし、再び乗り込んだ宮橋の青いスポーツカーで、来た道を戻るように進んだ。


 出勤ラッシュもとっくに終わっている国道は、先程よりもすいている様子が目立った。客を乗せていないタクシーが、のんびりと走ってもいた。


「宮橋さんが見付けたその場所、結局のところ都内でしたね」


 雪弥が思ったことを口にすると、ハンドルを握っている宮橋が、どこか皮肉げに口角を持ち上げた。


 まさか来た道を、県警がある地へ向けて真っすぐ進むなんて思っていなかった。宮橋が少女の向かう先と推測した場所は、彼のマンションから恐らく見える風景の中だろう。


 彼のことだから、すぐに返答があるのかなと思っていた。


 でも、しばらく発言はなかった。雪弥がようやく車窓から、そちらへ目を向けてみれば、宮橋は前を見たままだった。


 彼は太陽の光りが眩しく照りつける前方の道を、じっと見据えている。その綺麗な横顔は、まるで一人何かを呑み込んで、思っているかのようで。


 ――そして、雪弥には、どこか心を痛めているようにも見えた。


「君は、僕の心配をするのかい」


 また、心でも読んだようなタイミングで、唐突にそう宮橋が声を投げてきた。


 他の言葉であったのなら、まだマシだったのかもしれない。けれどそれは雪弥にとって、全くの予想外な感想でもあった。


「……心配、しているのでしょうか」


 よく、分からない。


 正直、不意打ちのような発言内容だった。じっと見つめ、考えている雪弥の黒いコンタクトがされた目に、宮橋の横顔が映っている。


 ややあってから、雪弥はこう言った。


「じっと見ていたから、気を損ねてしまったんですかね。すみません」

「フッ、君はそう考えるのかい」


 宮橋が、喉の奥で少し笑うような顔をする。


「まぁいいさ。彼女の向かう場所については、そもそも県警が見える風景の中にあるだろう、とは思っていた」

「なぜ?」

「彼女は、遠くへは行けない。怨みに鬼、と語られたその【変身物語の鬼】。その【物語】はここで始まって、そしてここで終わるから。――いつだって、僕のいる地で」


 後半、考えを一人呟いているようにも聞こえた。


 その時、宮橋のスーツの胸元から、また例の、個性的で愉快そうな調子のメロディーが流れ出した。


 雪弥は、そちらへきょとんとした目を向ける。それに対して宮橋は、露骨に綺麗な顔を顰めて、自分の胸ポケットに一度目を落とした。


「なんだ? このタイミングで電話をしてくる馬鹿は、一人しか浮かばないが――雪弥君、すまないが取って僕の耳にあててくれるか。今、ちょっと手が離せん」

「あ。はい、分かりました」


 雪弥は、宮橋が前の車を次々に追い越すのを見て、それのせいなのではと思いつつも言われた通りにした。


 ――直後、携帯電話から大きな声がもれた。


『てんめぇぇえええええ! 昨日の夜、一方的に気になるところで電話を切ってんじゃねぇよ!』


 その声は、彼とは同期の刑事である三鬼(みき)だった。


 そういえば昨夜、ちょうど乱れ撃ち状態の中で着信があった。そちらの方がインパクトが強くて、途中電話を取った一件を今になって二人は思い出した。


『かけ直しても電源切られてるし、おかげでこっちは、気になって気になって仕事に全っ然集中できなかっただろうが!』

「ははは、忘れてたな―」


 宮橋が棒読みで言った。呆れ返った笑みには、しつけぇ、と出ていた。


 でも確かに、あそこで電話を切られたら気になるだろう。その後は帰宅しただけなのに、宮橋はどうやら朝まで電話の電源を切っていたようだ。


 ――緊急事態の連絡なんてこない。


 まるでそう分かって〝事前に察知したうえで携帯電話の電源をオフにしていた〟みたいだなと、雪弥は不思議なことを思ったりする。


『んで? なんかあったのか? 昨夜、お前『戦闘中だ』って言ってたろ』


 耳を澄ませて黙っていると、三鬼のそんな声が電話の向こうからした。


 雪弥は一瞬、宮橋が間を置くのを見た。その形のいい切れ長の明るいブラウン目が、彼の視線の先で、ガラス玉みたいな印象を強める。


「――何も」


 そっけない一言。


 ああ、それは、〝嘘〟。


 普段はよく分からないことも、どうせ理解できない、理解しなくていい、と好き勝手喋ってくる。それなのに宮橋が、ここにきてそれを言葉に出さないのが――。


 だからこそ、雪弥の目には〝奇異〟に見えた。


『……ちぇっ、へたな嘘つきやがって』


 少し間を置いてから、そう電話の向こうで三鬼が言うのが聞こえた。


『何があったのかは知らねぇが、怪我がなけりゃそれでいい――怪我はしてねぇんだろうな? お前、朝こっちにこなかったろ』

「言ってくれるね。まるで、怪我をしていたら僕が署に顔を出さない、みたいな言い方じゃないか」

『お前はいつも、そうだろうが』


 宮橋が不敵に笑って言えば、向こうからそう返ってくる。雪弥は彼の耳に携帯電をあてながら、こめかみに青筋を立てた中年刑事の三鬼を思い浮かべていた。

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