ビル・イン・ダーク(2)
まるで巨大な密室の中に放り込まれたみたいだった。漂う湿った空気は――なんというか、外であるはずなのに、やっぱり静かすぎてちょっと気持ち悪い。
「宮橋さん、何をしたんですか?」
「本来は用意もないまましちゃいけないんだけどね。ちょっと裏技を使って、この場所を外界から切り取って、ひとまず音を外に出さなくしただけさ」
そんな事、本当に出来るのだろうか?
そう雪弥が不思議に思った時、廊下にのそりと進み出てくる影があった。
それは一見すると熊みたいにも見えるくらい、随分大きくて逞しい男だった。解かれた拘束衣からは筋肉が浮かび上がっていて、裾が切れ切れの腕はだらりと下がっている。
様子がおかしいのは明らかだ。
ゆらりとこちらを見た大男の目は、どうしてか眼球以外の物が押し込まれていて真っ白だった。体中に手術痕が白く浮かび上がっており、額にも生々しい線が入っている。
「…………気のせいかな」
雪弥は、ここへきて初めて、口許にチラリと緊張を滲ませた。
そのせいでより嫌な予感を察した宮橋が、隣からこう尋ね返す。
「何がだい。言ってみなよ、雪弥君」
「いえ、普通はありえない事なんですが、その……――心音を感じないんですよ」
澄ませた耳に入ってくるのは、それとは別の脈動音だ。
その時、男が不意に、こちらと向き合うように一歩踏み出してきた。どしりとした足音は、鉄の固まりが置かれたかのような重量感でもって響く。
と、大男の首が、グギリと右に傾げた。口がぶるぶると開いたかと思うと、太い電気コードのようなモノがずるりと蠢き出てくる。
「うげ」
雪弥と宮橋の声が、珍しく揃った。
口だけでなく、男の手足からもソレが続々と伸び始めた。大男の晒された太い首からも、皮膚を突き破って機械の電子線が飛び出してきて、増殖するみたいにどんどん増えて行く。
不意に大男の腕が、衣服を内側から破いて二つに裂けた。
「うっわ、グロテスクだな」
趣味が悪すぎるぞ、と、宮橋が思わずそう言った時――。
内側を晒して面積を広げた両腕が、あっという間に血管のような無数の配線を蠢かせたかと思うと、ガチャリ、と複数の砲弾口を形勢した。
「え」
きゅいーん、と聞き慣れた装填音がする。
一瞬、呆けてしまっていた雪弥は、ハッとして宮橋の腕を取った。
直後、小型のミサイル弾が続けて発射された。大男の身体から噴き出した電子線は、蛇のようにその先端を絡ませ合うと他の砲撃機も作り上げ、それでいて物騒なマシンガンまでも出現させて撃ってくる。
廊下に爆破音と銃撃音がこだました。雪弥は腕を引っ張りながら「とにかく走って!」と叫び、攻撃をかいくぐりながら宮橋を走らせた。
「くそっ、あの正気の沙汰じゃない大男め! 税金もきちんと収めている善良な市民を、しかも正義のヒーローである刑事を一体なんだと思ってるんだ!」
「宮橋さん! そんな事を言ってる場合じゃないですからッ」
雪弥は一時避難させるように、途中から伸びている細い廊下へ宮橋を押し込んだ。それから誘導で追いかけてきた小型ミサイルの一つを振り返ると、
「とりあえず、――邪魔!」
一度に色々と起こり過ぎて、ちょっとキレ気味に、彼はそれをしたたかに蹴り飛ばして大男の方へ打ち返した。
雪弥の一蹴りが放たれた直後、猛スピードで打ち返されたミサイル弾が、先程の数倍の速度でもって大男へと向かって弾けた。
視界はより一層悪くなった。しかし、マシンガンの銃撃音はやまない。
「――自分からの攻撃は、ノーダメージなのか」
そうすると、こちらが持っている銃の方も効かないのだろう。
そう推測しながら、雪弥は宮橋のいる方の廊下へ一旦身を滑り込ませた。
「ミサイル弾を蹴り飛ばすって……軍泣かせだなぁ」
「ざっと見た感じだと、頭の部分を押さなければ爆発しないタイプのものだったので、それ以外のところを蹴りました」
雪弥は、ざくっとそう答えた。宮橋が「いや、そういう事じゃなくてだな」と続けようとした言葉は、再び始まった大型攻撃によって遮られた。
大きな爆音が続けて鳴り響いた。砕かれた壁の一部が舞い、近くの柱まで破壊されて破片が飛ぶ。建物が揺れて廊下の上の天井にもヒビが入り、パラパラと頭上から降ってくる。
こちらの姿が見えないというのに、まるで乱れ撃ちだ。
「くそッ、信じられるか!? 破壊兵器が生きているみたいだな」
咄嗟に頭を両腕で庇っていた宮橋が、ようやく一旦、銃撃までやんだところで怒りの声を上げた。
一緒になって壁に背を付けて腰を下ろしていた雪弥は、目を向けられて困ったような表情を浮かべる。
「まぁ、僕も似たような感想が浮かびました。心臓は止まっているけど、肉体の方は生きてもいるみたいですし――」
「そんな冷静な状況分析は求めてないぞッ。ここまでくると、その辺の怪異の方がまだ可愛いわ!」
宮橋が言いながら、怒り心頭といった様子で床をバンバン叩く。その際に、馬鹿力で脆くなっていた床のヒビが増していた。
いきなりの攻撃は、少々ショックもあったのかもしれない。雪弥とて混乱しているし、改めて答えますからと伝えるように、ひとまず降参のポーズで手を上げて見せた。
すると宮橋が一旦静かになった。ぶすっと顰め面で見つめられた雪弥は、「えっと」とぎこちなく声を出す。
「実は以前、アレと似たような形態変形を見た事があります」
雪弥は先日、高等学校に潜入した一件を思い出した。薬による肉体と精神の強制変化、肉体を弄られていた殺人兵――。
とはいえ、これまでとタイプは全く違っている。
あれはどう見ても『機械』だ。生物としての『生』はまるで感じない。宮橋の言うように、機械が生きているみたいだった。
「ですがそれとは違って、なんというか――異様だとは思います」
ずしん、と進んでくる足音が聞こえて、雪弥は警戒へ注意を向けた。
耳を済ませると、蠢いている音が引き続き聞こえてくる。どんな動力でなりたっているのか、先程怒涛の発砲をしてきたばかりだというのに、更に武器を生成するような硬化音も聞こえてきていた。
「僕は人間の皮を、機械が破るというのは見た事がありません」
雪弥はそう答えて、そろりと頭を動かした。
さて、どうしたものか。
そう思って向こうの状況を目に留めようとした時、またしてもマシンガンのスイッチが入れられたかのような連続射撃が始まった。パッと頭を戻してすぐ、近くの至るところを銃弾がえぐり出した。
射的に正確性はなく、距離的にもまだ大丈夫だろう。とはいえ近くの床にも弾がめりこんで次々と破片が上がり、雪弥ははねてきた弾をひとまず自身の銃で撃ち弾いた。
「あのバカ連射はどうにかならんのかッ」
宮橋が細い廊下の壁で身を庇いながら、忌々しげな声で低く言った。
「一体あの身体を生かすために『なんの特別な一族の血』を利用したんだか――ったく、怪奇と科学を融合とか碌(ろく)な事をしないな!」
一つの人命をなんだと思ってやがる。
ギリィッ、と宮橋の美麗な顔が珍しく憤りに歪んだ時、不意にスーツの胸ポケットから、場違いな平和的着信音が鳴り響き出した。
一体なんの音楽だろう、と雪弥がチラリと横目を向ける。
宮橋は、こんな時に誰だ、と言わんばかりの表情で携帯電話を取り出した。その着信画面を確認した途端、こめかみにピキリと青筋が浮かんだ。
自分に正直な彼は、文句を言ってくれるという態度で即座に通話ボタンを押すと、銃撃音が鳴りやまない中で素早く耳にあてた。
「こんな時に電話してくるな馬鹿三鬼め! 非常に迷惑だ馬鹿タレ!」
一瞬の間があった。
直後、電話の向こうから大きな声が上がった。
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