彼女を追って

 着地後、雪弥は宮橋の先導で、例のビルを目指して走った。酔っ払い歩いていた男達が、上から降ってきたのを見て「飲み過ぎたかも」と目を擦っているのも気付かなかった。


 なんだなんだと、たびたび目を向けて行く通行人の間を二人は駆ける。


「まだビルの近くに、いてくれるといいんですけどね……」

「いると思う。もしかしたら、これは――」


 言い掛けた宮橋が、考えたくない嫌な可能性でも消すかのように頭を振った。


 やがてビル近くまで来た。

 いるとしたら、この辺からは要注意だろう。そう思って目でも捜しながら走っていると、ふと、消灯した商店通りに浮かび上がる一点の色が見えた。


 それは、例のナナミという中学三年生の少女だった。


 やはり僅かに発光でもしているみたいに、薄暗い中だと特に目を引いた。雪弥が気付いてすぐ、宮橋も察知してその姿を確認した。


「――雪弥君が一番に見付けるところも、なんだかな」


 そちらへと一緒に向かいながら、宮橋が引き続き思案気な呟きをこぼした。


 その女の子は、私服の上から羽織っただけの着物を、ゆっくり揺らしながら歩いているだけなのに、やっぱりどんなに追いかけても距離が縮まらなかった。こちらが道を曲がった頃には、彼女の姿は既にその先の曲がり角にあったりする。


 ふわり、ふわり――亡霊のように消えては、現われているみたいだった。


 チラリと過ぎった発想を、雪弥はまさかと笑って考え直した。今度こそ宮橋の仕事を終わらせるべく、カチリと目の前の事へ意識を向けて集中する。


「先に行って捕まえます」


 一応、宮橋にそう声を掛けた。彼の方から「――多分、そうは出来ないと思うけどね」と、ポツリと考えるような声が聞こえてきたが、気に留めなかった。


 たまに居合わせる一般人に迷惑をかけないよう調整しつつ、ぐっと足に力を入れると、一気に加速して裏通りを走り抜けた。


 だが、その少女の姿を追って表通りへ出たところで「あれ?」と、雪弥の足は止まった。彼女の姿がどこにも見えない。


「見失った……? おかしいな、そんなに時差もないはず」


 そう口にしながら見回したところで、居酒屋の脇道に入っていく彼女の姿に気付いた。宮橋が追い付く中、雪弥は「気のせいかな」と呟きつつ再び走り出す。


 けれど、それは一度だけではなく、それから何度も続いた。途中、本気になって足場のコンクリートを砕いて急発進してしまったものの、それでもやっぱり彼女の姿を一時的に見失ってしまうのだ。


 どんなに速く走っても、工夫を凝らしてみても、結局のところ距離が縮まる様子はない。


 やがて雪弥は、気付くと宮橋と足並みをそろえるように一緒になって追っていた。先程の苦労と変わらず、その少女は視線の先にいる。


 ふわり、と揺れる着物と揃えられた黒髪。ゆらりと現われては消えるみたいに、彼女は同じ距離感でもって前にいるのだ。


 彼女の頭には、長く白いツノも生えているのに、たまに表通りに出て居合わせた人達も、たまたま目を向けておらず気付いていないかのようだった。


 まるで誘うみたいに、ふわふわと服や髪が揺れているみたいだ。


 雪弥は、そんな不思議な気持ちが込み上げてしまった。しばらく追走を続けたところで、先程の疑問を隣を走る宮橋に尋ねた。


「宮橋さん、さっき僕が単身で追っていった時、途中途中で完全に彼女を見失ってしまう感じがあったんですよ――どうしてですか?」

「彼女が『向こう側』を時々通っているからさ」

「うーん……」


 そう言われても、よく分からない。


 首を捻った雪弥は、短く己の考えをまとめて白状するようにこう述べた。


「僕には、宮橋さんが山で口にしていた『実体を持ってきていない』と同じに思えるんですけどね」


 だって、まるで幽霊みたいだ。存在感があまりにもないせいで、いつもみたいに五感での追跡がいかないでいる。


 雪弥はそんな感想を胸に、体重がないみたいに歩く少女へと目を戻した。姿を見失う事については、勝手に接触してきたかと思えば『三日後』だのなんだのと言っていた大男の気配が、目の前で唐突に断たれた時とよく似た感じがしていた。


「幽霊でもなく、あれは彼女本人さ」


 宮橋が、隣を走りながらそう声を投げてきた。


「身体が『向こう』からの影響を受けて、存在が一時的に曖昧になっている。そのせいで、ただの人間であれば通れないはずの『向こう側』を出入りしている状態なんだ」

「それって、普通だと通れない不思議な道って事ですか?」

「まぁね。特殊な血筋の者が、たまに似たような『道』を通る事はあるが――ただの人間なら正気を失う」


 ツノまで生えてしまっている彼女は、ぼんやりとしていて意識もない状態だ。正気を失っているから出入り出来ているという事なのかなぁ、と雪弥はやっぱりよく分からなかった。


 どれくらい追いかけっこを続けていただろうか。


 気付けば、静まり返った夜の街の一角に来ていた。そこには古びた大きな建物が一つ建っていて、工事用の柵がされている中へと少女が入っていく。


 敷地内には、工事用の道具も置かれてあった。建物は、玄関口と窓ガラスが既に外されている。ふわりと進んでいく彼女の着物の裾に気付いて、雪弥も建物の中へと足を進めた。


 建物の一階は、開けたフロアになっていて月明かりが差し込んでいた。全体的に劣化しており、物が全て運び出されている様子からすると廃墟のようだ。


 辺りを見回すが、またしても少女の姿を見失ってしまっていた。


「……足音もしないし、匂いもない」


 雪弥は、黒いコンタクトの下を、すぅっと鈍く蒼に光らせて呟く。このようにして追跡が何度も断たれるというのも経験になく、実に妙な相手だと思う。


 つい、立ち止まって辺りをきょろきょろしていると、宮橋の靴音が近くで止まるのが聞こえた。


「ここは会社として使われていたビルの一つだな。建て替えるとは聞いた」


 彼が思い返すように言った時、おぼろな月のようなぼんやりとした『色』が視界の隅に入った。


 二人が目を向けると、まるでタイミングでも待っていたかのように、少女の横姿が一つの扉へと吸い込まれていく。


「………………エレベーターが多い時代だというのに、階段か」


 察して呟いた宮橋が、そこでチラリと雪弥を見やった。


「君、暗い場所だとか、オバケが怖いだとかいうのはないだろうね?」

「オバケっているんですか?」


 何を唐突に質問しているのだろう。雪弥が本気で分からなくて首を傾げると、そのきょとんとした呑気な面を前に、宮橋が「いや、もういい」と片手を振って歩き出した。


「そういえばそうだったな、君が躊躇(ちゅうちょ)して足を止めるだなんて、僕とした事がバカなくらい『ありきたりで普通の反応』を考えてしまったよ」

「あっ、待ってください」


 雪弥は慌てて追いかけると、隣に並んでひょいとその横顔を見上げた。


「宮橋さん、また何か怒っていたりします?」

「これまで押し付けられてきた相棒と、君が随分違っているのを忘れていただけさ。君の目も、僕と似たように『よく見える』のもあるしな」


 むすっとしてポケットに手を突っ込んだ宮橋が、自分よりやや目線の低い雪弥をジロリと見つめ返した。


「君、ここが真っ暗だとか、どうせ思わないんだろ?」

「月明かりもありますし『随分』明るい方かと」


 古い窓も全部外されているおかげですかねぇ、と、雪弥は護衛も兼ねている彼の少し前を進むようにして、先に階段へ足を踏み込んだ。


 本気でそう思って言っているのだと分かった宮橋が、なんだか呆れたような目をその背中に向けていた。


「はぁ。君の事だから、幽霊廃墟だろうと怖くもなくずんずん進むんだろうなぁ……」


 それはそれで、ウチの係だと重宝される所……と、宮橋はちょっと複雑そうに見解を呟きながら、雪弥に続いて階段へと足を踏み入れた。

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