不思議な二人の、穏やかじゃないドライブ(2)

「確かに空気が揺れる感じがしたんだけどなぁ……」


 つい、そう疑問を口にしてしまったら、車を追い越すように車線変更しながら宮橋がこう言ってきた。


「さすがの動体視力だ、君の目に間違いはないよ。忌々しい事に、僕の車に体当たりしている『ヤツ』がいる」

「体当たりしている奴……? でも、何もないですけど」

「君の目に見えないだけさ」


 宮橋が、こちらに横顔を向けたまましれっと答える。


 またしても、きゅっとハンドルが切られてスポーツカーが車線変更する。何かが空気を押すような音を耳で拾った雪弥は、そちらを横目に留めつつしばし考えた。


「見えないのに『ある』とか、ありえるんですか?」

「ふっ――考えてその質問か」


 君は素直なのかね、と宮橋が小馬鹿とも自嘲ともとれない笑いをこぼした。彼は独り言のように「普通なら『もっと疑う』」と呟くと、雪弥が向くのに気付いて視線を返した。


「ありえるのさ。君が目に留めている世界以上に、この世は色々と混じり合って複雑なんだよ。それに関わる機会があるのか、それとも縁がないままに終わるかの違いさ」


 宮橋が、片手をハンドルから離して手振りを交えて言う。


 雪弥はなんと言えばいいのか分からず、首を少しだけ傾げた。開いた窓から入り続けている風が、灰と蒼が混じり合ったような色素の薄い髪を揺らしている。


「僕も仕事上、色々とありえなさそうな研究や実験は見てきましたけど、やっぱりよく分からないです。そもそも、どうして僕に教えてくれるんですか?」

「正確に言うと、教えているわけじゃないさ。ただ一方的に論じてる。実に忌々しい事に一部の連中が、僕の事を『魔術師』と呼ぶように、僕は魔術師(それ)らしくもあるというわけだ」

「魔術師?」

「おっと失礼、ただの定義と有りようからの呼び方さ。現代における魔術師というのは、理(ことわり)を見、中立に立ち、それでいて――『理解されなき物語を知る者』」


 そもそも本当の魔術師はもう死んだ、と宮橋は不思議と明るいブラウンの目で見据える。その美麗で不敵な笑顔を前に、雪弥はやっぱりガラス玉みたいな目だなという印象を覚えた。



「はたして君は僕を信じるかい、雪弥君?」



 そんな事を問われた。


 よく分からない人だ。否定するには、それなりの根拠と理由がいるだろう。信じるも何も、と雪弥は思って、袖口を少し緩めて動きやすくしつつこう答えた。


「あなたが有るというのなら、その見えないヤツというのは『有る』んでしょう。僕は今、あなたのパートナーで護衛任務も兼ねています――で? 下僕(ぼく)はどう動けばいいですか?」

「へぇ、随分あっさりしているんだな。仕事柄、細かい事も気にしそうだと思っていたけれど」

「だってそこに『有る』というのなら、僕は何モノだろうが殺すまでですよ」


 すると宮橋は、どこかおかしそうに愉しげな調子で相槌を打つ。


「そりゃ随分物騒だ」


 言いながら、またしてもバックミラー越しに何か見た様子でハンドルを切った。アクセルを踏んでスピードを上げた際、何かがタイヤの横を擦る音がした。


 やっぱり何かいるみたいだ。


 雪弥は、興味津津といった様子を窓から顔を出して覗き込んだ。でもどんなに目を凝らしても、吹き抜けていく風の音に混じる妙な抵抗音しか分からない。


「衝撃音から推測するに大きそうなのに、風を受けている音量と合わないなぁ……」

「雪弥君、それ以上身を乗り出すと『コンタクトが外れる』よ」


 不意に、投げ掛けられた言葉に「え」と声がもれた。


 思わず振り返ったら、前方を見据えている宮橋が口許に笑みを浮かべたまま「用意はいいかい」と言ってきた。その目は、初めて試すような、ワクワクしている感じが伝わってくる。


「僕がこれから右に車線変更すると、ヤツが飛び込んでくるのが『視え』た。つまりハンドルを切って二秒半後、君は方位八時の方角を『思いっきり斬れ』ばいい」

「はぁ、なるほど……?」


 まぁ斬れというのなら、と雪弥は右手を構えてバキリと指を鳴らして爪を伸ばした。黒いコンタクトの下で、瞳孔が開いた目が淡くブルーの光りを帯びる。


「僕はいつでもいいですよ、宮橋さん」


 窓の方を見て、雪弥はそう答えた。


 その途端、宮橋が「よしきた」とハンドルを切って車線変更した。ぐんっと車体が揺れる中、雪弥は一、二……と秒数を数えながら窓から身を乗り出す。


 何も見えない。


 でも、――不意に強い不快感がゾワリと込み上げた。


 雪弥の獰猛な獣の目が、空気の一点をロックオンする。ただただ猛烈に殺したくなって、一気に思考が赤く染まる。自分の領域(テリトリー)を侵略されているような不快感だ。


 ぴったり二秒半。

 気付いたらそこ目掛けて、雪弥は自分の爪を振るっていた。


 不思議な事に、空気とは別の『何か』を斬った感触がした。ぞわぞわとした身の内側に途端に広がったのは、ああ、殺してやったぞと低く嗤うような錯覚的な満足感で――。


「ははっ、さすがは化け物退治の三大大家の番犬だ!」


 そんな宮橋の声が聞こえて、雪弥はハタと我に返った。


「予想以上に凄まじい切れ味だ。あのバカデカいモノも、あっさり真っ二つにするとは畏れ入る――まさか『見えないモノ』も引き裂くとはね!」


 大変満足そうな声を聞きながら、助手席に座り直した雪弥は不思議そうに自分の手を見た。確かに何かを『斬った』感触が残っていた。でも、これまで『斬り裂いて』きた、あらゆるものと質感が違っている気がする。


 人間や動物と、骨格や肉の付き方も少し違っていて、実に奇妙。


 とはいえ、それがどんな生き物に似ているのかと問われても答えるのは難しい。


 化け物退治と聞いて、先日兄が話していた蒼緋蔵家の事が脳裏を過ぎった。しかし自分には関係ないだろうという認識からか、意識は元の長さに戻した爪先に残る感触に引っ張られて、やっぱり気になってそちらを考えてしまう。


「なんだろう。やたらと骨があるみたいな……?」

「ははは、まぁ確かに、そこそこ骨は多そうなヤツだったよ」


 見えないのが幸いなくらいさ、と宮橋は言った。

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