はらごしらえと話

 県警を出たあと、彼の青いスポーツカーで近くのファミリーレストランに移動した。


 奢るから好きなものを注文しろ、と不機嫌なのか親切なのか分からない調子で偉そうに言われた雪弥は、ひとまず丼ぶり物とパスタ料理とグラタン、計五品ほど取った。


「君は、僕の臨時の助手みたいなもの――つまり、下僕だ」


 注文した料理が届いて食べ始めたところで、珈琲とサンドイッチに手を付けないまま、宮橋が当たり前のような顔でズバッと言い切った。


 ランチ時間ではないファミリーレストランは、客もまばらで落ち着いている。見つめ返す雪弥の手が止まって、しばし二人のいる席が、しん、と静まり返った。


「…………下僕……。あの、すみません、宮橋さん。後輩とか部下とか、そういう感じでもっと他に言い方はなかったんですかね?」

「あるわけないだろう。相棒としているからには、君に求めるのは大きく二つ」


 君は馬鹿か、と目を向けて宮橋が説明を続ける。


 なんで自分が叱られている形になっているんだろうな、と雪弥は首を傾げた。命令厳守だから、下僕という言い方をしたのだろうか?


「いいか、僕の命令には絶対に従え。僕の相棒として動くからには、それは必須だ。それから僕は余計な質問は嫌いだ、不用意にあれやこれやといちいち尋ねてくるな、いいな?」

「はぁ、了解しました」


 少し変わっている感じの人であるらしい。


 とはいえ従うだけであるのなら簡単だ。もともとナンバー4として上司や組織の決定に従い動いている雪弥は、それ以上に質問事項もとくに覚えなかった。


 ひとまず、目の前にある丼ぶり料理の食事を再開した。


 ただパクパクと食べていると、宮橋が頬杖をついてこちらを見てきた。


「なんですか?」

「別に。ただ見ているだけさ」

「サンドイッチ、食べないんですか? 野菜たっぷりで美味しそうですよ」

「僕は空腹じゃないからね。君に一つ譲ってやってもいい」

「はぁ、それなら一つ頂きます……?」


 これ食べたら手を伸ばすかと考えて、タレがたっぷりかかった、卵でとじられた丼ぶりの肉を頬張る。もぐもぐしている間も、宮橋は引き続きじっと見てきていた。


 不意に、宮橋の表情からふっと力が抜けた。


 そんな風にすると、ますます三十代半ばには到底思えなかった。どこか西洋人の血を引いたような、ただただ綺麗な男に見えた。



「ああ、なんとも哀しい『犬』だねぇ」



 ぽつり、と彼が独り言を口にした。作り物みたいな明るいブラウンの目は、まるでこちらを通して、ずっと向こうを見ているかのようだった。


 前触れもない不思議な独白だ。気付いて見つめ返しているというのに、引き続きじっと何かを見ているかのような彼に、雪弥はきょとんとして手を止めた。


 そうしたら途端に、宮橋の目に強さが戻って顔が顰められた。


「おいコラ、手を止めるんじゃない。君、空腹だろう」

「えぇぇ……あの、食べないと動けないほどでは」


 食べ始めてようやく空腹感がじんわりと込み上げた程度で、心配されるレベルでもない。雪弥はそれを考えつつ、丼ぶりのおかずと白米をパクリと口に入れる。


「そもそも僕は、食べなくても動けますよ」

「それは君が鈍いだけさ。君の身体は、君が思っている以上にエネルギーを必要としている。だから、甘いものだろうと『馬鹿みたいに食べ続けられる』」


 言いながら、宮橋が頬杖を解いて珈琲カップを手に取った。指先の動きや仕草は品があって、それなりにしっかりと教育を受けてきた様子が見て取れた。


「君に自覚がないのなら、それでもいいんだけれどね」


 どこか含むようなニュアンスで独り言のように言って、珈琲に口を付ける。


「つまりはざっくり言ってしまえば、君は大食らいなのさ」

「はぁ、なるほど……?」


 初対面の人に、そんな事を言われている状況も妙な気がする。大食らいなんて誰かに言われた事も記憶にないように思えて、雪弥は「うーん」と首を捻ってしまう。


 一品目の料理を食べ、宮橋のサンドイッチを一つ胃に収め、続いてパスタ料理をただひたすら食べ進める。次の定食料理に移った頃、空き皿を下げに来たぎこちない愛想笑いの男性店員の後ろから、サラリーマン風の男達が「めっちゃ食ってる……」と覗き込んでもいた。


 宮橋は呆れた様子で、自分のサンドイッチを食べ終えた。最後のシメに冷たいアイスコーヒーを追加注文し、ついでに本人に確認しないまま真面目な顔で「彼にはオレンジジュースを」と店員に伝えた。


「それで、あなたの言う『用事』というのはなんですか?」


 僕は何をすれば、と料理を完食した後、雪弥は改めて尋ねた。


 疑う様子もなくオレンジジュースを口にしているのを、宮橋はしばし何も言わないままじっと見つめていた。面倒だから何も言わずにおこうと決めたかのように、一つ頷く。


「あの馬鹿三鬼が、ちょっと厄介なものを持ってきてね」

「ばかみき?」

 

 そう言えば、さっきもその単語を口にしていたな、と雪弥は思い出す。


「僕の同期で同僚さ。同じ三十六歳で、名前は三鬼薫(みきかおる)。名前ゆえか縁があったのかね――とりあえず、あいつにはなんでもないと言い聞かせて、さっきこっそり僕の方に回してもらった」


 ざっくりと説明しながら、ポケットを探ってテーブルへと小袋を置く。その中には化石みたいな小さなものが入っていて、コツリ、と音を立てた。


「これは?」

「被害者が持っていた、とある『骨』だ」

「え。そんなもの持って来て良かったんですか?」

「勿論ダメに決まっているだろう」


 だが、と言いながら宮橋が椅子にもたれかかって足を組み直す。セットされている少し癖のある豊かな薄栗色の髪が、彼の端整に顔にさらりと掛かっていた。


「『L事件特別捜査係』の特権を行使した。そもそも、これが署にあったらあったで、大変な事になるんだけどね。長くそばに置くほど『気』が移るから」


 またよく分からない事を言う人だ。


 雪弥は、「はぁ、なるほど?」と答えてオレンジジュースを飲んだ。今後自分に必要とも思えなくて、L事件特別捜査係という存在定義についても尋ねようとは思わなかった。それに質問したらしたで、先に言われていた通り嫌がられたりするのかもしれない。


 そんな事をぼんやり考えて見つめていたら、宮橋もただただ見つめ返してきた。随分と長い間、互いの顔を見つめ合っていた。

 


「持っているだけで人を不幸にする、というモノを知っているかい」



 しばらくして、沈黙を終わらせるように宮橋がそう言った。


 雪弥は「さぁ」と答えて、空にしたグラスをテーブルに戻した。そういった類のものは、あまりパッと浮かぶものもない。


「君は僕に、用事はなんだと訊いた。だから僕は、答えられる範囲で説明するだけだ。だから別に理解を求めるつもりはないし、ただ聞くだけで構わない」


 そう前置きしたかと思うと、宮橋がテーブルの上に置いた小袋を指でつまんで持ち上げた。


「これは『子』の骨。子は人の内であるから、骨自体になんら力はない。ただ、厄介な事に『彼ら』の骨は人気でね。チャンスとばかりに追ってくるモノがいて、そうすると人間は勝手にソレらに巻き込まれて不幸になる――というわけだ」


 それでいて、長いこと戻されなかった場合は『人の外である母』が出てくる。


 簡単な仕組みだろ、と宮橋が美麗な顔でフッと不敵に笑う。つまり原因があっての不幸説なのだろうかと、不思議とそんなに強い違和感らしいものも覚えないまま雪弥は少し考えた。


「ようするに僕らは、こうしているだけで厄介な事に巻き込まれる可能性が高い、という事ですか?」

「そういう事でもある。つまり僕の用事だが」


 なんとなくの範囲で尋ねたら、宮橋が上出来という顔で胸ポケットに小袋をしまって、こう続けた。


「問題になる前に、こいつを本来の場所へ返してしもおうかと思ってね」


 そうして、会計のレシートを取って席を立った。

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