第9話 裏切り者

「──とまあ、そういったわけで、俺は勇者に【反転の呪い】がかけられているのでは? と考えたわけです」

「……おいおい」


 ゼルティアはポカンと口を開けっぱなしにする。


「アリサワ、貴様……いったいどんな頭をしてるんだ」


 あ、やっぱり憶測ばかりを根拠にして立てた作戦だったから呆れられているのか?


 ……まあ、普通はそうだよな。こんな妄想みたいな仮定を立てて兵を動かすなんて、普通ならあり得ない。無能な将兵として身内に暗殺されてしまう、なんてことにもなりかねない。


「すみません……でも、客観的な証拠とかを集める時間もなく、この場で集められる情報を元に考えるしか……」

「そうじゃないっ!」

「えっ?」

「すごすぎて呆気に取られているだけだっ! 普通、そんな限られた情報で勇者の弱点を暴けるかっ? 貴様は……ワケ分からんくらい頭の良いヤツだなぁっ⁉」

「うぇっ⁉」


 ゼルティアに思いっきり肩を組まれる。


「目を瞑れ。見ろ。あの勇者が、我が父上を倒したあの勇者が地面に膝を着いている!」

「で、ですね……」


 ハイ・レイスに共有してもらっているその視界の中、確かに勇者は本当に苦しそうだ。


「貴様が、アリサワの練った作戦があの勇者を追い詰めているんだ。すごい、本当にすごいことだぞ、これは!」

「……はい。ありがとう、ございます?」

「なーにを呆けたツラに疑問符をつけておるのだ。作戦はまだ半ばなのだろ? さあ、指揮を続けてみせろ、アリサワ」

「はっ、はい!」


 確かに、ボーっとしている場合じゃなかったな。怒られなかったのが意外で、つい呆気に取られてしまっていた。

 

 ……でも、作戦が上手く運んで、ゼルティアに感激してもらえてよかった。最後まで俺は気を抜かないけど、でもよりいっそう気合いが入ったな。


 よしっ、と意気込んで改めて戦況を見る。


「えーっと……ん? どうやら勇者は、逃げ回っているようですね?」

「うむ。ゾンビ・プリーストに尻ごみをしているのか……いや、少し違うな。何かを叫んでいるようにも見える」


 確かにゼルティアの言う通り、勇者の口がパクパクと動いていた。通信の呪符が近くにないから音は拾えないが、ゾンビ・プリーストに対して攻撃を仕掛けてくる様子はない。


 ……本来の作戦ならここまでで増やしてきた手駒を使って時間を稼いで、その間にできる限りの補助系魔法を勇者にかける手はずだったんだけど……その必要もないみたいだ。


 勇者にどんな事情があるのかは分からないがラッキーだ。……ん?


「あれ、ホブゴブリンからの通信か?」


 手元の呪符が光ったので、起動する。


「どうしたホブゴブリン。なにか異常事態か?」

「ケケケッ! 見てるかい、オマエさんよぉ!」


 ホブゴブリンの下卑た笑い声が脳内に響く。


「勇者のヤツ、傑作だぜ! ゾンビ・プリーストに向かって『レイシア、目を覚ませレイシア!』ってそりゃあもう悲壮な声でよぅ……! 涙目でずぅーっと死体に話しかけてやんのっ!」

「……」

「【反転の呪い】がかかってる自分に対していくつも補助系魔法をかけられてるんだからよぅ、もう敵だって分かるだろ? ひと息に仕留めちまえばいいところを『レイシア、レイシア~!』ってガキみたいにさ。みっともねぇーったらありゃしねぇっ! 聖王国から見放されるのも分かるってもんだぜ、ひゃははは!」

「……伝えたい内容はそれだけか?」

「んぁ? ああ、まーな。あ、そうだ! 掘っ立て小屋で視とけよ? いまからもっとおもしろいことをしてあの勇者を泣かせて──」

「戦闘中だぞ、集中しろ」


 俺はそれだけ言って通信を切る。


 ……耳ざわりなホブゴブリンの声に、気分がムカついた。


「ったく……せっかく作戦が上手くいって良い気分だったのに……」

「ん、どうしたアリサワ。ホブゴブリンはなんと?」

「いや、どうでもいい内容でした」


 なんというか、こう……水を差された気分? ってやつだ。

 

 もちろん、俺たちは魔王軍側に所属している者たちであり、召喚されたばかりの俺とて魔王様を深く傷つけられたことで、勇者たち聖王国側の人間に対して憤りを覚えている。

 

 しかし、そんな打ち倒すべき相手とはいえ、自分の命を懸けて国のために戦う戦士の尊厳をわざわざおとしめるのはちょっと違うだろって思う。

 

「……はぁ。説教してやりたいが、今は我慢しておくか」

 

 ガスを抜くように、俺は小さく呟いた。あんなクズでもホブゴブリンはウチの戦力の要の1つではあるからな。それにこれからもうひと働きしてもらう必要もあるし……いま機嫌を損ねてモチベーションを落とされるのは困る。

 

 まったく、人材不足な企業の上司って……こんな気分なのかね。ひとりじゃ対して仕事もこなせないクセに口と態度だけは一人前の部下を持っている気分だ……って、今も実際そんな立場だな、俺。


 ……と、そんな余念にうつつを抜かしていたところ。


「これはッ……!」


 隣で静かに戦況を見ていたゼルティアが、ふいに立ち上がった。


「まさか、いままで本気じゃ……いや、違うな、これは……」

「えっと、どうかしましたか、ゼルティア様?」

「正念場だぞ、アリサワ。このむき出しの魔力、肌で感じることさえできる。勇者のヤツ……とうとう殺意を前面に押し出してきたぞ」

「えっ……?」


 ハイ・レイスから共有される視覚の中、一見して勇者に特別に変わっているところは見抜けなかったが、しかし。


「なっ……ホブゴブリンのやつ、なにをやってるっ⁉」


 戦闘中にも関わらず、ホブゴブリンは俺のあてがった骸骨馬スケルトンホースの上に腰かけたまま自分の【イチモツ】を出して、そこにゾンビ・プリーストの顔面を引き寄せていた。


 ……あの大馬鹿、ホントに何をやってんだっ⁉


 俺は慌てて再度通信を繋げる。


「おい、ホブゴブリン! 何をやってる! ゾンビ・プリーストを離せっ!」

「あ、あ」

「作戦はまだ終わってないんだぞっ! おい、ホブゴブリンっ?」

「──あああ……ああああ!」


 カチカチカチ、と。声にならない言葉と共に聞こえてくるのは、ホブゴブリンの上下の歯が震えてかち合う音だけだ。


 なんで反応しない? なにかに気を取られているのか? であれば、もっと大きく声を張って……と、息を吸い込んだその時だった。


「──レイシアに触るな……クズが」


 殺気にまみれた勇者の声が聞こえ、ゾクリと。呪符越しにも関わらず俺の背筋に鳥肌が立つ。


「レイシアの尊厳を……なんだと思っている? このクズが」

「あっ、あああ、ああああ……!」


 ゾンビ・プリーストだけは動じず、俺が先ほど命じたまま勇者に向かって補助系魔法を飛ばし続ける。が、勇者はもはやそれから逃げ回ることもしない。ひたすらにズンズンとホブゴブリンへと距離を詰める。そのあまりのプレッシャーに、ホブゴブリンは何に触れられてもいないのに落馬した。


「た、たす、助け……」

「殺す、お前の……その四肢をバラバラに刻んでやる」

「あぅ、あぁぁぁ、うわぁぁぁッ!」


 ホブゴブリンはあろうことか、骸骨馬とズボンすらもその場に置き去り、背中を向けて戦場から逃げ出した。


「「……はっ?」」


 その光景を目の当たりにし、一拍遅れて、俺とゼルティアの声が重なった。

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