マサカリ担いだご令嬢(♂)、悪魔に魅入られ逢魔のレイド ~『私の代わりに“悪役令嬢”やってね』とか言われても、誰が受け入れるかクソッタレ~
アマサカナタ
プロローグ
「――あなたとの婚約を、破棄させてもらう」
それが舞踏会や建国祭の時に告げられた言葉だったなら、格好のゴシップになったのだろうが――
古カールハイト王城。かつてはこのカールハイト大陸を支配し、そして今は邪教の徒によって滅ぼされた古城においては、ただの虚しい別れ文句に過ぎなかった。
なにしろ、もう城の主すら亡くなった今、ここには――城内庭園には、誰もいない。別離を告げた金髪の美丈夫と、薔薇のように赤いドレスを纏った赤髪の女しか。
その女が、からかうように言う。
「殿下……それは今、こんな時に言わなければならないことなのですか?」
対する男――殿下と呼ばれた男は、苦笑の出来損ないのような顔をした。つまりは笑おうとして、だがあまりの苦みに笑えなかった。そんな顔だ。
「けじめは、つけるべきだろう?」
「今更ではありませんか? 既に破棄どころか、私は貴族籍すら剥奪されていますのに」
「君がこんなことをしたからだろう。それに……けじめと言っただろう。この話は、君と直接するべきだと思ったんだ」
「……律儀なお人」
何かを思い出すかのように、女はクスと微笑んだ。
男の語ったこと、それは笑ってしまうほどに場違いな言葉だ。何故なら彼らは既に婚約者などではなく、さらに言えばつい先ほどまで、殺し合いをしていた。
もっと深く踏み込んで言うのであれば……そう、戦争をしていたのだ。
人類と、世界を滅ぼす邪神を崇める邪教――ひいてはその邪教に洗脳された、カールハイト王国との戦争。一国そのものを悪へと染め、カールハイトを傾けて戦争に導いたのがこの女だ。
だから女は悪魔と呼ばれた。
その悪魔も、既に膝をついている。砕けた杖に、寸断された薔薇の鞭。勝負は女の負けだった。一対一の果し合いに負け……今、別れの言葉と共に剣を突きつけられている。
だが男は唐突に剣を納めると、そのまま女に背を向けた。
「……どこへ?」
私を殺していかないのかと。言外にそう問う女に返された言葉は短く、冷たい。
「魔王――邪神の元へ。先に行った仲間たちと合流する」
「……あの女の元へ、行かれるのですね」
「ああ、そうだ……君は、僕を恨むか?」
「いいえ……もう、二度と会うこともないでしょうから」
それが本当の意味での、別れの言葉だったのだろう。
男は駆け出した。場内庭園を抜けて、城の中へと消えていく。向かう先は……おそらくは、この城の謁見の間だろう。そこには魔王がいるという。この世界を滅ぼす邪神が。
女は去る男の背を――去ってからしばらくも――見つめていたが。
やがてゆっくりと立ち上がると、振り向きもせずに冷たく告げてきた。
「のぞき見なんて不躾ね。いい加減に出てきたら?」
「――戦場にきたと思ったら、愁嘆場を見せつけられたこっちの身にもなってもらいたいもんだがね」
観念して、“彼”は庭園の影から姿を現した。
ずっと影から隠れて、彼と彼女の戦いを見ていた。どうやら彼は気づかなかったようだが……そのせいで、別れ話を見せつけられる結果となった。流石に気まずく思うのは隠せない。
半ば投げやりな気分で、咳払いの後に“彼”は呟いた。
「あんたが、レディ・ローズレッドで間違いないか?」
「そう言うあなたはだぁれ? たぶんだけど、初対面よね? この戦争で雇われた傭兵さん?」
「どちらかといえば、今回は賞金稼ぎかな。あんたの首をもらいに来た」
「私の? 何のために?」
「……知らないのか? 賞金首になってるだろ、あんた」
意外そうに言う女に、“彼”は顔をしかめた。
レディ・ローズレッド――スカーレット・メイスオンリー。他に“薔薇の悪魔”や“悪役令嬢”の蔑称で知られているこの女は、クリスタニア史上最悪の裏切り者としても知られていた。
女の経歴は単純だ。表向きにはクリスタニア王国の、メイスオンリー辺境伯家の出で、クリスタニアの第三王子の婚約者。
その裏の顔は邪教の旗頭だ。世界を滅ぼす神を信奉する異端者を率い、クリスタニア・カールハイト両国の陰で暗躍した。つまるところ、生粋の悪党だ。“悪役”という蔑称には嘘偽りも誇張もない。
「だから、私を殺しに来た、と?」
まあなと頷いて、相手の反応を待つ。
嘲笑、激昂、取り乱す、諦める――こちらの言葉を聞いた女が取る行動は、そんなところだろうと考えていたが。
どれも違った。女はうんざりとため息をつくと、退屈そうにこう言った。
「……どうせ全部ここで終わりなのに。つまらないことに時間を割くのね、あなた」
「……あん?」
訝しむのとほぼ同時――
轟音。それも、何もかもが消し飛んだかと思うほどの。
激震に晒されて、視界の全てが千々にちぎれた。あまりに大きすぎるがゆえにかえって何もわからないほどの音と光、そして揺れ。全てが殺到し――“彼”を圧殺し、衝撃となって突き抜けていく。
「な、んっ――――」
自分の声で、自身が無事だと把握した。次いで何が起きたのかも。
爆発だ。王城の、おそらくは玉座の間の方角。そこで何かが爆発したようだが。
唖然とそちらを見やって、“彼”は絶句した。
「なん、だ、あれば……?」
崩落する天井すらもはやない。瓦礫さえすべて吹き飛ばして、城の半ばから上は消し飛んでいる。そこからまるで生えてきたかのように――あるいは、城そのものが成り代わったかのように。
そこにいたのは、龍だった。
闇色をした、山のように巨大な龍。それは竜とは違う。それは神話で語られる、世界を作ったという三柱だった。
母なる神より世界を預かり、一柱は光に、一柱は闇に、一柱は大地になったという、三体の龍。その一柱である、闇色の龍。
知識でしか知らないはずなのに、それを神だと“彼”は認めた。それは理性ではなく本能であり、もっと言うなれば恐怖だった。
「――それほど驚かなくてもいいと思うのよね」
ハッと。その声に金縛りを解かれたように、“彼”は女を見た。
女もまた、“彼”と同じように龍を見上げていたが。その目はまるでつまらないものを見るかのように気だるげだ。
「だって私、何度も言ってきたはずでしょう? 今日が世界の終わる日だって」
「それじゃ、アレが……」
「ええ、そうよ。アレが、世界を滅ぼす邪神」
予定調和とでも言うように、女は淡々と囁くだけだ。
そして龍から目を離すと、こちらの顔を見ながら、つまらなさそうに言ってくる。
「これで私の役割は終わり。もうやることも、出来ることもない。後は世界が終わるのを待つだけ……」
「…………」
「だというのに、私を殺す意味なんてあるの?」
確かに、女の言う通りではある。
素直に、“彼”はそれを認めた。目の前にいるのは神だ。今はまだ大人しいが、それは単に動き出していないというだけだ。もしこの存在が世界を滅ぼそうとしたのなら、それを人間に止めることなどできないだろう。
だとしても、と。
苦笑交じりに“彼”は告げた。
「さあて、な。確かに世界は終わるのかもしれないが……だから何もしないでいられるかっつーとな。もし世界が終わらなかったときに、マヌケだと笑われたかねえな、オレは」
「アレを見て、まだ終わらないかもなんて思うの? あなた、現実が見えてないの?」
「どうかな……まあ、幸運を期待してるとこはある。あんな化け物がいきなり出てきたんだ。逆があってもいいんじゃねえか?」
「逆って?」
「あんな化け物をどうにかしてくれる、あの化け物と似たような何かさ」
もしそんな奴が現れたのなら、それこそその争いによって世界が滅んでもおかしくはなさそうだが。
どちらにしろ、その時はその時だ。今とは何も変わらない。
「それに……あんたはこれまでやりたい放題やってきたんだ。最後くらい、報いを受けてもいいんじゃないか」
言い切って――“彼”は懐から、小さな鍵を取り出した。見た目的にはただの鍵だ。大したことのないおもちゃのような。
それを握り締めて、念じるように静かに囁く。
「――マスターキー、セットアップ」
そして呟いたその瞬間に。
鍵は音もなく姿を変えた。まばたきほどの一瞬で、鍵から人ほどにも大きい一振りの斧へと。
魔具だ。魔術がこの世界の運命を改ざんするのと同様に、刻まれた呪文が魔具そのものの情報を改ざんする。
小さな鍵から化けた魔具――この斧で、“彼”はこれまで全てを両断してきた。今回もそれをやる。レディ・ローズレッドは凄腕の魔術師だ。相手にとって不足はない――
だが。
「――私がこんなこと、やりたくてやってるとでも思ってるの?」
「…………?」
唇を噛みしめるように――拳を握り締めながら放たれた、その言葉は呪詛のように静寂に響いた。
先ほどまで、確かに女は笑っていた。気だるげな、人を小ばかにしたような笑みで。だが今は……その微笑みの残滓すら残っていない。笑うことをやめた女の顔にあったのは、ただ純粋な怒りに見えた。
あまりにも唐突な女の変化に、“彼”は呆気にとられたが。
これもまた唐突に、それを気にしている事態ではなくなった。
変化があったのは龍の方だ。微動だにしていなかった邪神が、不意にもたげるようにして顔を上げる。何もない曇天の空を睨むようにして見つめ――
そして、吠えた。
「……っ!?」
耳が聞き取ることを拒絶するほどの音圧。声を発しただけだというのに、その衝撃で彼は数舜――間違いなく――自分の意識を手放した。
ブラックアウトした視界が明滅するなか、かろうじて倒れ込むことだけは耐える――その中で、彼は見た。黒龍が吠え、睨んでいる先、空を。
そこに現れたものに気づいて、彼は愕然と叫んだ。
「――もう一体の、龍!?」
太陽と見まがうほどの白金の輝きがそこにあった。
羽ばたく仕草も見せないくせに、吊られたように宙に浮いている巨躯。超然と見下ろすその顔が見つめているのは、唸り声をあげる邪龍だけだ。
邪神が突然姿を現したのと同じように、その乱入者も唐突に降臨する――
「世界が終わるのは目的じゃない――ただの結果よ」
ハッと。その声に彼は振り向いた。
女は変わらず白龍を見上げている。語る声音は独り言のようだが……その言葉は彼に説明している。
「世界を滅ぼすのが邪神の願いだけれど、それを阻止するために動く者もいる。それがあの龍。世界を作った三柱のうちの二柱が、これから全力で戦うの。世界を滅ぼすにしても、続けさせるにしても、どちらかが勝ってしまえば、どちらかの願いは叶わない……だから死を目前にして、負けた神様は考えた。もう一回、この世界をやり直そうって」
「いきなり、何を――」
「神様らしい傲慢さよね。思い通りにならなければ、最初からやり直しちゃえばいいって。あの人たちにとっては、この世界自体が自分の持ち物なのよ。だからどんな風に作り変えてもいいと思ってる。付き合わされる私はいい迷惑よ」
戸惑う彼の言葉をだが女は取り合わない。矢継ぎ早に語りながら、言葉は途中からうわ言めいた恨み言へと転じていった。
「なにもかも理不尽じゃない。どうして私だけ付き合わされなきゃいけないの。もううんざりよ。その挙句に今度は傭兵? 何も知らないくせに、訳知り顔で。やりたい放題やってきた? こんな未来のない生活を、何度も繰り返されるのが楽しいとでも?」
「…………」
「勝手に共犯者に仕立て上げられて、逃げ道もないから仕方なく手伝ってあげた。その責任を全部私に負えって言うの? 私がやりたいわけでもないのに? 自由なんてないのよ。なのにやりたい放題だなんて、とんだ言いがかり――」
そこまで言って、ふと何かに気づいたように女は目を見開いた。
ハッと、慌てて自身の手の甲を眼前にかざす。その仕草になんの意味があるのか、彼にはわからなかったが……
「……そっか。今この瞬間だけは、私は縛られてない。自由……そう、自由なのね」
女は呆然と……だがゆっくりと、頬を持ち上げていく。
先ほどまでの笑みが淑女としての微笑みだったとするのなら。今女が浮かべているのは、親から贈り物をもらった子供のような、満面の笑みだった。
「ねえ、あなた。私、腹が立っちゃった」
「……は?」
「さっきも言ったでしょ、こんなの理不尽だって。私のことなんて何も知らないくせに、訳知り顔で報いを受けろなんて宣うんだもの。私、怒ってもいいと思うの。八つ当たりしたって許されると思わない?」
そして、言い切るのと同時。
女が急変した唐突さと、まるっきり同質の突然さで。彼女と“彼”の足元が、急に発光した。
「――だからあなた。私の代わりに“私”をやってよ」
魔術だ。あまりにも鮮やかに解き放たれたから、気づくのに遅れた。何が起きるのかも読めないが。
効果は明瞭だった。全身から力が抜けて膝をつく。だがそれだけでは済まず、“彼”はそのまま地面に倒れ伏した。身動き一つできない。何をされたのかもわからない。
ニコニコと――未だ楽しそうな女に、どうにか口を開くが。
「な、にを、お前――」
「大丈夫よ、大丈夫。殺しはしないわ。それじゃ意味ないしね。この世界はもう終わり。全部が滅茶苦茶になって、望まない結果になるからやり直しになる。私もそれに付き合わされることになるけれど――」
その声は途中で中断された。
轟音。咆哮。絶叫。轟音――もはや音ですらない衝撃が古城に響く。
見上げれば龍たちが、現れたのと同じほどの唐突さで戦闘を開始していた。
小細工のない肉弾戦。振り下ろす鉤爪が、魔力を伴う咆哮が、暗黒色の怪光線が、理解不能の異質な魔術が――敵を屠るための攻撃全てが、衝撃となって世界に吹き荒れる。
その衝撃に、世界が軋んだのを“彼”は悟った。知覚できない第六感が、本能すら超えた超感覚が、絶望と共に悟らせる――この戦いの果てに、真実、世界は滅ぶだろうと。
だが真の意味での絶望は、“彼”と女の真下で輝き続ける魔法陣だった。
(なんだ、これ……まずい……!?)
体から、体以外の何もかもを引きはがされるような。ゾッとする感覚に、だが逃げ出すどころか指一つ動かすことさえできない。
全身の感覚がまたたく間に消えていく中。女の囁きだけはハッキリと聞き取れた。
「――今度は、あなたも連れていく」
それが全ての合図だったかのように、世界が崩壊を始める。
邪龍も白龍も。悲鳴のような声を上げながら、それでも互いを滅ぼすべく戦う。
この世の神が傷つくたびに、世界は軋み、ガラスが割れるような音を立てて壊れていく。
その光景すら、もう彼には見えなくなった。
闇色の世界で最後に感じたのは、あの赤い女の涼やかな、声。
「忘れないでね。あなたが目を覚ますのは、“私”が十歳になる誕生日の日……その日が来たら、また会いましょう?」
ともすれば遺言のようにも聞こえた、その囁きを最後に。
――世界は終わり、そうして彼は意識を失った。
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