第2話 ペネロペside 勝手な結婚の約束

 もうすぐ、この渡り廊下を殿下が通る。


 同じアカデミーに通っているけれど、すでに王室の仕事を任されている殿下は普段執務室に篭っている。

 お目にかかることはほとんどないため、お会いするにはこないだみたいに執務室に潜り込んで待ち伏せするか、たまに受ける授業で移動するタイミングを見計らって待ち伏せするしかない。

 でも、殿下は普段移動をするときは冷淡そうな従者を連れて歩いているのでいつでもいいわけじゃない。


 騎士になるための実践授業には殿下も参加されていて、その移動時間は一緒に受ける生徒達の模擬になるからと護衛を任せている。その間はいつも側にいる従者は執務室で控えているから話しかけやすい。

 今日も授業が終わっていつもの執務室に戻る殿下の側にあの冷淡そうな従者はいない。しかも教室の窓からジェレミーが居残りしているのが見えたから邪魔者もいない。


 好機だわ。


 いそいで渡り廊下まで降りた私はザワザワとした喧騒に耳を澄まし、殿下の声を探す。


 何組か見送りやっと遠くから聞こえた。


 深呼吸して心の準備をする。


 飛び出して。

 殿下の前で貧血のフリをして。

 倒れ込む。


 何度も思い描いたその計画を頭の中で反復していざ飛び出そうとした瞬間……


「また、お前か」

「ひっ!」

「何の用だよ」

「あんたになんか用はないわ! どきなさいよ!」


 ジェレミーがいないと思って油断していた。


「いましがた殿下には別の通路に向かっていただいた。バタバタと慌てて階段を降りて柱の影に隠れた姿が遠くから見えるし、香水の匂いをプンプンさせてるしで目立ちすぎて待ち伏せになってないんだよ。残念だったな」


 柱の影に隠れていたつもりの私に、金髪の男がそう言って鼻で笑う。


 ジェレミーの方がマシだったわ……


 私はジェレミーと同様に『王太子殿下側近の三騎士』と自称する殿下の学友──ブライアン・ケイリーに見下ろされる。


 随分前に王族警護の近衛騎士団をまとめていたブライアンの父親と、今も国王陛下の秘書官を務める私のお父様は犬猿の仲だったらしくて、両家の関係はすこぶる悪い。

 私もブライアンもお互いにいい感情を持っていない。


「お前、いい加減にしろ。ジェレミーが見逃してるからって調子に乗んなよ」

「は? 何言ってるの? ジェレミーが見逃してる? いつも邪魔ばかりされてるわ!」

「そうか? 他の令嬢と同じようにお前もアカデミーの衛兵に突き出しゃいいのに『俺に任せろ』なんて言うから任せてたら揶揄ってるだけじゃねぇか」


 『俺に任せろ』?

 ……他の令嬢は揶揄ってないの?

 それってどういう事?


「まぁどうせキャンベル卿に泣きついて有耶無耶にするつもりなんだろうけど、これ以上殿下の迷惑になることをするようなら、ジェレミー任せにしないで俺が証拠を集めて然るべき対応をするからな」


 ブライアンの物言いにカチンときて「お父様に言い付けてやる」って言いそうになる。でもそれじゃあブライアンの言った事を肯定する事になるのでグッと我慢して睨みつける。


「やめろよブライアン。ペネロペが謹慎なんて、俺の結婚相手がアカデミーから居なくなっちまう。そんなの寂しいじゃないか」


 ブライアンと対峙していたはずの私の視界に急に派手な赤毛が飛び込む。


「あんたと結婚の約束なんてしていないわ!」


 ニヤニヤ笑うジェレミーを睨みつける。


「ペネロペお待たせ。俺のこと待ってたんだろ? その握りしめてるお高そうなハンカチで俺の汗を拭ってくれるつもりだったのか? 美女に鍛錬の疲れを労ってもらえるなんて騎士の誉だな」

「嫌よ! 誰が汗を拭いてやるもんですか! 汚らわしい!」


 ジェレミーは汗だくの訓練服のままだった。

 みんな実戦授業の後は汗を拭いて着替えてから来るのに……


 慌てて走ってここまで来たの?


 なんで?


 もしかして私がブライアンに絡まれているのが見えたから?


「とっ……とにかく殿下がいらっしゃらないなら用はないわ。ごめんあそばせ」


 私は慌てて取り繕うと、その場から離れた。

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