テツオの大学受験 その2

 周りのほとんどが進路を決めて次の準備をしている3月下旬、ただでさえピリピリしているところに3日前には深夜になっても次男が帰らず嫁ヨシエは心労が重なり壊れかけた。

 覚悟はしていたが国公立前期が×、センター利用で名前を書いたら合格した愛知大学経営学部経営学科(お義父さん推薦の母校)が保留中、その上当人は「明日、たとえ後期が合格しても愛知に行きたい」と言い出す始末。長男テツオとヨシエの長い格闘が天王山を迎えようとしている。

 その日の朝はあろうことか心拍が異常に速く息苦しくて目が覚めるモリタ。10時発表と聞いていたが車の運転や仕事に集中するため時計を見ないようにする。

10時15分ヨシエから電話。蚊の泣くような声

「・・・もしもし・・・もしもし・・・・・・・・テツオ・・・番号あったよ・・・・・・・・これでも愛知行くがけ?・・・・」

 学校の方針を真に受け入学時から当人以上にこだわり譲らなかった国公立。学年懇談会で聞いた「例年最後ま※1  で諦めなかった生徒が合格していきます」という講話を引用し、ねちっこく発破をかけ続けその度に衝突したこの冬。そして伸びない模試の判定を覆しいろんな圧力から解放された安堵。受話器の向こうで泣いているのがわかる。富山大学経済学部経営学科夜間主コース合格。

 質素な家計、粗末な成績に照らし合わせヨシエが勧めた受験だが親にしてみれば身の丈に合ったもうこれで十分という合格。しかし、喧噪に憧れるテツオは違った。そしてここから怒涛の3日間に突入する。

 その晩3人で話し合ったが深夜になっても妥協点が作れない。その間もお義父さんから執拗に結論の問い合わせの着信が入る。じれったくなったヨシエが

「そこまで言うなら愛知の1年目の成績で特待生※2  になられ!そのかわり、なれなんだら即退学!」

この条件をテツオが呑む。もちろんお義父さんには内緒。

 翌朝5時、家族3人で名古屋に向かう。車の中※3  では誰も口をきかない。

 名古屋に入り授業料を振込み、その控えを持って大学の事務室で正式に入学手続き。続いてお義父さんが押さえてくれたアパートの契約のため不動産屋と物件を回り支払いを済ませ、さらに大学生協にも立寄り午後2時に名古屋を出る。

 途中ひるが※4  の高原サービスエリアに寄った時どうしても「このままではいけない!」と思えてきた。特待生の条件は極めて厳しい。こんな奇跡のような“賭け”が成就するのはマンガの世界だけ、入学しても1年後誰も得する者がいない。テツオは高卒のプータローになりヨシエの両親は悲しみ理不尽な条件を提案した親は不良資産を抱えることになる。

「やっぱり止めよう!今ならまだ間に合う!」

「はぁ?信じられん!今更何言うとるが!」

で始まった駐車場の車内での押し問答は延々2時間たってもらちがあかず

「1年という条件は止めよう。行くなら4年間や。ただオレ達だけでは無理やからお義父さんにも少し協力をお願いしよう」

と調整しヨシエの実家に向かう。あいにくお義父さんは留守。お義母さんがお茶を用意して下さったがそれにも手を付けず5分で

「帰ろ」

とヨシエが言う。

玄関を出る時のヨシエ

「報告しに来ただけ。良かったね、あんたらの思い通りになって。あと頼むちゃ」

と捨て台詞。

 自宅についたのが9時半。親は床に就くがテツオは帰宅したお義父さんとの電話が始まる。モリタはスキークラブの行事で翌日から野沢温※5  泉に1泊の合宿。ヨシエの「そんなことをしている場合ではないやろ!」という無言の圧力を感じながらもそれはそれこれはこれ、翌朝バスに乗っているとお義父さんから長い文章がCメールで6通に分けて届く。昨晩ヨシエが言ったことや随所に生じた軋轢に困惑されている様子。「承知いたしました」と返信して野沢温泉で泊まったその夜、携帯に電話がかかる。

「・・・いろいろ考えたけど・・・・オレ・・・・富山大学で頑張る・・・」

 ここに至るまでテツオにどれだけの葛藤があったかは想像に余りある。そして自宅で直接テツオからこう告げられた時のヨシエは泣き崩れたに違いない。テツオVSヨシエVS初孫を溺愛するお義父さん。特に12月からはここには書けないとんでもない言葉が飛び交い疲弊したことが何度もあったがそれもそろそろノーサイド。やけくそで行った名古屋も今振り返ると遠回りではなかったかもしれない。そして何かに導かれていたのではとさえ感じる。いつか「そんなこともあったね」とお酒が飲めたらいいのだが何年後になることやら。アパート暮らしを始めたテツオからは音沙汰がない。


 その1ヶ月前

 ヨシエのお父さんが予告なく先回りしてテツオの受験した私大のある名古屋まで行ってアパートを見てきて下さった。いいところがあったので仮押さえを、ついては親の承認が必要、云々。これにヨシエが怒った。

「はぁ?国公立の後期の発表がまだながに?」

「何言うとる!その頃には良い物件が全部なくなってしまって遅いんじゃ!」

「仕方ないないけ!どうなるかわからんがやから。そうなったときに動くしかないないけ!」

「お前らはテツオのことをなんも考えとらん!もうワシャ知らん!何もせんぞ!」

「誰が何かしてくれって頼んだ?とにかくちょっかい出さんといて!なんもせんといて!」

という悶着があった2日後の朝、ヨシエが今度の日曜日にテツオのスーツを買いに行くと言う。はぁ?まだ進路が決まってないのに?

「何言うとるが!入学式に必要やないけ」

「まだ、入学できるかわからんやろ。もしかしたら浪人になるかもしれんないか」

「成人式にも着るがいから今買ってもいいないけ」

「テツオが買って欲しい言うとるがか?」

「いずれ必要ながいから何の問題があるが?何でアンタに文句言われんなんが?」

「いや、買うな言うとるわけではないちゃ。仕立てるわけではないし進路が決まってからでもいくらでも間に合うやろ?なんでそこまで先回りせんなん?あんたがしようとしとることはお義父さんと同じでない?」

「あんたホントにお気楽でなんも考えとらんがに変なとこにケチつけるね。普通、男親いうたらなんも口出さんとお金だけ出すもんやけど、アンタは口は挟んでお金は出さん、そんなに私のすることが気にいらんがけ!」

一触即※6  発の朝鮮半島みたいになったところで時間になり家を出て会社に向かう。

 その日のお昼過ぎ、ヨシエからメールが届く。

「今朝のスーツの件、じじと同じやないか~言われてムカッ!ときたけど、やっぱりそやねアンタの言う通りやわ。でも買うわ」

 つまるところ、この父娘は思い込んだら止まらない、止められない。

「了解」

と返信した。

                                2013年4月



※1 最後まで諦めない

国公立の後期試験は高校の卒業式のさらにあとに実施される。

知り合いのピアノ先生、御三家と言われる進学校に通っておられるお嬢さんは卒業式が終わった後も学校に残り、後期の試験に向けて勉強されていたそう。

ちなみにテツオは友達とどこかで宴をしていたと思われる。


※2 特待生

テツオが仕入れてきた話

早稲田が落ちて愛知に行った人がいるが、今ではこの大学に満足し、特待生になって頑張っているという話。


※3 車の中では誰も口をきかない

こんな支離滅裂で納得できないな進路って? 運転しながら涙が出てきた。


※4 ひるがの高原サービスエリア 

東海北陸自動車道の岐阜県にあるサービスエリア

標高860mで日本一高いSAで、目の前に大日ヶ岳が広がる絶景。


※5 野沢温泉

長野県野沢温泉村の百%天然雪のスキー場。

温泉はシンボルともいえる大湯をはじめ、13の外湯めぐりが楽しめる。モリタが入った温泉はとにかく熱かった!


※6 一触即発の朝鮮半島

2012年12月12日に発射された事実上の長距離弾道ミサイルは、打ち上げが困難とされる冬季にもかかわらず、事前の予告通り飛行。目標とされる米本土に届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)開発へ一歩前進し、脅威がさらに高まった。

2013年2月12日、北朝鮮の朝鮮中央通信は3回目となる地下核実験を成功裏に実施したと発表。







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