2023年1月25日
夜に1日の復習をするのはいいな。
今日はユーさんが童たちを送り込んできた。
注射されまくったのと、鍵をカギ穴に差し込んで、鍵閉めて閉じ込められた。
正直言ってどきっとしてしまった。
私は私が自由にしていることに対して、本当にユーはそれでいいのかって不安になってたし、それでユーさんがこらえきれないで閉じ込めてやるって言ってくれたのが何かそれだけ愛してるんだなって、私のためにそんなことをしてくれたのが、あの人は最強だってのを知っているからこそ愛おしくって、その上にそういうのが成り立つんだなって嬉しかった。
なんでこんな恥ずかしいんだろ。
これに関して、もう少し、掘り下げてみよう。
ユーさんは、どこまでも、私を自由にしてくれる。なぜなら、私にはその自由がないと、閉塞感のあまり、一緒にいられなくなってしまうから。でも、ユーさんは生まれたときから、知らず知らずのうちに人をまとめる立場になっていたり、人のよさから、自然とうやまれるような本質を持っている。私はそれを知っているし、それを尊敬もしている。一方で、言葉を変えれば、それは支配、ともとれる。行為の性質的には同義だが、とらえるものにとっては紙一重で意味は180度変わる。
そこに、どもまでも自由であることを求める私を愛してしまうことは、彼にとってある意味で挑戦なのかもしれない。自然と人を支配してきた人が、今までで一番、支配できないもの、にあってしまって、そしてそれを、自分の元に、とどめておきたい、と思ってしまったのだから。
私の自由を担保するということは、それはある意味で彼の器だともいえる。私が自由であればあるほど、彼の器は大きい。そしてそれはわたしからの信頼にもなるし、周りからの信頼にもなる。このような愛の形は、逆に愛を体で表すときに、こらえきれずにあふれることがある。これが、愛おしい。たまらなく、愛おしい。
どこまでも、永遠の自由が担保されているとき、時には縛られたくなってしまう。
どこまでも自由なのは、本当は本当は、怖いのだ。
少なくて痛いのと、優しくてたくさんのとどっちがいい?って。もう。
無垢な童に、そんなことを話させてしまうのだから、あの人は本当に罪深い。
自らのうちより湧き出でる愛でもって、己の欲求を表現せよ
支配だと相手は萎縮し
羨望だと、相手は逃げる。
己の欲求の表現は、どこまでも、相手に合わせなさい。
二人がそれをできたとき、それは最大の愛になるだろう。
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