ウォールウッドの醜聞 2
30分ほど歩きたどり着いたウォールウッド邸はそれなりに豪勢な二階建ての館だった。
そしてその主人メアリー・ウォールウッドの私室、即ち殺害現場もやはりそれなりに豪勢な部屋だった。
部屋の中央に執務机、壁際にはびっしりと整頓された本棚や書類置き。どちらかといえばファイルやバインダーの方が多い。
窓は二つ。人が通れそうな大きいもので日当たりも良さそう。
天井近くには小さな換気口らしきものが一つだけ。
絨毯は思わず沈み込んで行くんじゃないかと思うほどふかふかだった。
良い部屋だと思う。
問題は――――執務机が真っ二つに割れて、そこに血痕があったということだ。
ノーマンはバインダーを取り出して、35歳が享年35歳になってしまった部屋着姿のメアリ・ウォールウッド氏の殺害写真と見比べる。
写真には真っ二つになった執務机の間にメアリーがひしゃげていた。
正確には胸部がごっそり潰れている。骨が肉を突き破り、内臓は破裂していただろう。
彼女を執務机に腰かけさせ、そこに鋼鉄かなにかの巨大なハンマーを思い切り振り下ろした―――としても、そうはならないはずだ。
しっかりとした造りの机がぶっ潰れている。
相当の力自慢でもこうはならない。
「なるほど」
「どうだ、ヘイミッシュ」
声をかけて来たのはシズクではなかった。
くたびれたモスグリーンのコートとやはりくたびれた黒いスーツの長身の痩せた男。
髪は短く切り揃えられているが、身だしなみを気にしているというよりも手入れが楽だからという感じ。
顔はそこそこ、だが疲れている表情と目の隈のせいで女性受けは悪そうだ。
ハリソン・レナード。
バルディウム警察の刑事であり、ノーマンとはそれなりに旧知の仲だった。
というよりも、ノーマンと会う時はいつも疲労困憊という感じなので勝手に心配していた。
「そうですねぇ」
かけられた声に肩を竦める。
「俺にはなんとも」
「別にお前の推理を期待しているわけじゃない」
切り捨てるような、うんざりしているのがにじみ出る声だった。
「状況を理解しているかと聞いたんだ」
「あぁ、それなら一応。死体に、壊れた机、それに……」
視線を動かす。
部屋の角にはむっつりと黙ったシズクがいて、さらにずらせば一つだけしかない出入り口があった。
本来は扉があったのだろうが―――壊れてただの出入り口になったもの。
蝶番が壊れた跡もある。
「壊された扉」
「そうだ」
「窓は壊されていないですけれど」
「事件当時、鍵が掛かっていたのを確認されている」
「出入口はその扉以外には? 換気口は鼠くらいしか通れなさそうだけど、お金持ちが趣味で作った隠し通路とか」
「そんなものはない」
「なるほど」
扉が壊されたということは無理やり突入したということ。
窓には鍵が掛かっていて、他に出入り口もない。
つまり、
「―――密室、ということですね刑事さん」
「そうだ。うちの鑑識や取り調べでも密室であると判断した」
「だけど、明らかに他殺の死体がある」
「あぁ」
「密室殺人、というわけですね。それも明らかに不自然な死体。当然犯人は見つかっていないし、犯行の手口も不明」
「だから呼んだ」
「でしょうね」
むっつりとした表情でハリソンは頷く。
頼るのは不本意だが、ほかにどうしようもないと言わんばかりに。
別に彼が無能というわけでもないし、警察の権力構造や法律を無視して民間人に殺人事件の資料を渡し、勝手に調査をさせているわけでもない。
これがノーマンと、それにシズクの仕事なのだ。
普通に考えて起こりえない事件。
条理に反した犯行手口。
道理にそぐわない被害や死体。
魔法や奇跡でもないかぎりできないようなこと。
人間にはできないはずなのに―――起きてしまった事件。
そういうものを調査するのが二人の仕事だ。
警察とは派閥や構造は違えど、一応公務員でもある。
社会認知はないどころか、表沙汰にはできない身分でもあるのだが。
「俺たち案件のようですね」
「そうか、よかった。だったらどうにかしてくれ。俺はこの屋敷の関係者と話してくる。お前たちが何者か怪しんでいるからな」
「名探偵とでも言っておいてください。シャーロック・ホームズのモデルだと」
「笑えないな」
肩を竦めながら慣れた様子でハリソンは部屋を出ていった。
「……渾身の冗談だったんだけどな」
「渾身の冗談が面白くないという現実を受け止めてくださいノーマン君」
やっと口を開いたと思えば辛辣な意見のシズクだった。
彼女はハリソンが去って行った出入り口を見て呟いた。
「相変わらずやる気がない人ですね。ノーマン君ほどではないですけれど」
「やる気がないんじゃないよ。出しどころが解ってるんだ。俺たちを呼んだってことはあの人の仕事は警察や関係者への説明やなわばりの調整だからね」
「はぁ」
どうでもいいと言わんばかりの曖昧な相槌だった。
基本的に世の中に興味がない少女なのだ。
「始めましょうか」
「うん、よろしく」
シズクは右手の手袋の先を咥え、手を下ろす。
手袋を咥えたまま、左の手袋も外してから彼女がノーマンへと手を差し出し。
そっとノーマンはシズクの手を優しく握った。
細く、柔らかい、握れば砕けないか心配になる様な小さな手。
そのまま真っ二つに割れた執務机の下に行き、空いている手で触れる。
深呼吸。
そして彼女は小さく呟いた。
「――――『
その瞬間、ノーマンとシズクの世界は切り替わった。
●
執務室。
扉は鍵を掛けられ閉まっている。
窓の鍵も。
机は壊れていない。
机の正面に寄り掛かった寝間着姿のメアリー・ウォールウッド。
怯えている。
体が震え、表情はこわばっている。
目に映るのは恐怖、疑問、驚愕――――拒絶。
彼女が何かを叫んだ。
次の瞬間、メアリーがぶっ潰れた。
しっかりした執務机ごと彼女の胸が潰れ、机は真っ二つに。
冗談みたいな光景。
人間にできるはずがない。
できるとしたら。
それはバケモノだ。
●
「っ―――」
ひきつけを起こすように、シズクが息を呑む音と共に世界が切り替わる。
「ふぅっ……ふぅっ……」
少しの間、頭を抑え落ち着くのを待った。
ふらつく彼女の肩を抱き、支える。
この世界には魔法も奇跡もない。
あるのは現実と条理とただの人間と≪アンロウ≫と呼ばれる『何か』だけ。
『
『
『
『
潜み、変わり、外れ、歪んだモノ。
人にできないことをする、人によく似たバケモノ。
シズク・ティアードロップは『
『
シズクの場合は『
触れたものの何か―――思念のようなものを読み取り、それをヴィジョンとして見ることができる。
最初は残留思念を見ているのかと思ったけれど話を聞く限りどうも違う。
彼女の『
故に彼女が見ているのはただの残留思念ではない。
だったらなんだという話だが、それは誰にも分からない。
ものに触れて任意でヴィジョンを読み取ることもあれば、偶然触れたものにヴィジョンを見る。
彼女が露出を抑えているのはその為。
特にふと触れたものにヴィジョンを見ないために手袋は必須だし、他人と距離を置いたり会話をしないのも余計なモノを見ないようにする、言うなれば彼女なりの処世術だ。
触れれば見えるヴィジョン。
過去か未来の
何が起きているかは分かりやすいが、どうしてそうなっているかは分からない。
だからそれは≪アンロウ≫であり、彼女は『
『
そして彼女のような≪アンロウ≫と共に、人間には不可能な事件や事故を調査するのがノーマンの仕事である。
ついでに言えば彼女のヴィジョンは触れさえすれば他人と共有もできる。
ノーマンは自分以外に彼女がヴィジョンを一緒に読み取っているところを見たことはないけれど。
「落ち着いた? シズク」
「えぇ、まぁ。それにしても……」
白髪を揺らしながら彼女は息を吐く。
彼女はこのヴィジョンを見えるという異能により、こういった不可解な殺人事件に駆り出されることが多い。
ヴィジョンを見てしまえば、犯人が一発で分かるからだ。
不可解な殺人事件だと思われてヴィジョンを見て、案外犯人が凄く頑張ってほぼ不可能犯罪だったなんてこともわりとある。
だが、今回は。
「犯人、見えませんでしたね」
「だね」
そう、ヴィジョンでは犯人は見えなかった。
そして『
シズクが見えないということは、犯人は≪アンロウ≫だ。
彼女の能力ならば≪アンロウ≫かそうでないかが一発で解る。
これ以上ないくらいに明確に。
問題は、
「誰が犯人で、どんな≪アンロウ≫かってことだね」
「それを考えるのは貴方の仕事ですよ、ホームズ君」
「…………」
どっちの立場を気取るのかはっきりしてくれ。
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