第15話『 移 動 の お 時 間 で す 』

「ところで、もうそろそろ終電の時間が近いんじゃないでしょうか?」


 頃合と判断した澪は、場を閉める為にそう切り出した。


「もうそんな時間?! うわ、早いなあ」


「飲んでると、時間が経つのが早い早い」


 時計を見てようやく、二人は状況を意識したようだ。

 翌日が休日でもないのに、二人ともそんなのお構いなしといわんがばかりの勢いで飲んでいたが、澪は彼らが無事に帰宅できるのか心配になって来た。


 なんだかんだで、無理やり引き起こした卓也含めて会計を済ませ、ひんやりした空気に包まれた新宿の街を出ようと、駅へ向かう。

 しかし、もうすぐアルタ付近に着くという辺りで、二人は澪に別れの挨拶をし始めた。


「じゃあ、俺達はここで」


「澪ちゃん、今日は本当にありがとう。

 異世界の卓也さんも、こんなお嫁さん貰って幸せだよね!」


「また逢って飲みたいねぇ~。

 俺、今度は澪ちゃんとサシで飲みたいわ~」


「酔っ払い! いい加減にしなさい!」


「あででで」


「……」


 二人とも、半分意識朦朧としている卓也を助けようともしない。

 そんな彼らに呆れた視線を向けると、澪は、少し冷めた口調で呟いた。


「本日は、本当にありがとうございました。

 もしまた機会がありましたら、是非お力添え頂きたく存じます。

 あともし、この後私達と連絡がつかなくなるようなことがありましたら、その際は“この世界から旅立った”とお考えください」


「あ、そうか、そうなったら寂しいね」


「じゃあ、とりあえず二人とも元気で!

 澪ちゃん、また逢いたいね。卓也さんも!」


 それだけ言うと、二人は今来た道を戻っていった。

 彼らの向かう方向に、他に駅はない。

 この時間で歌舞伎町方面に向かっていく意図を察した澪は、また呆れた溜息を吐き、ぐでんぐでんの卓也に向き直った。


「卓也! 帰るわよ! 大丈夫?」


「ん……あ、もうあの二人、帰ったの?」


「帰ったというか、二人でどこか行きました」


「あれ? 終電じゃなかったっけ? もうすぐ?」


「それについてですけど、後でお話しするわ。

 それより、もう帰りましょうよ」


「う、うん」


「んもう、本当にべろんべろんじゃない!

 ほら、ボクの肩につかまって」


「あ、ありがと、澪……」


 もう殆ど寝ているような表情で、卓也が微かに礼を呟く。


「俺さぁ……やっぱり、澪がいなくちゃ駄目みたいだぁ」


「え?」


「澪ぉ……俺、やっぱ澪のこと好きだわ」


「そ、そんな、こんな所で!

 やだ、恥ずかしい♪」


 顔を真っ赤にしながら、それでもフルパワーで卓也の体を支える。


「う、うぐ! 思いの外、重い……!!」


 いつしか澪の顔の赤さは、照れではなく、力みから来るものに変わっていく。


 しばらく後、見かねた周囲の男性達が手伝ってくれたおかげで、二人はなんとか目的である総武線のホームまで辿り着く事が出来た。






  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■



 ACT-15『 移 動 の お 時 間 で す 』






 午前一時半を回った頃、ようやく二人はマンションに帰宅した。

 運良くタクシーを拾えたのと、最寄り駅に着いた頃に卓也の意識が若干戻ったのが幸いしたようだ。

 さすがの澪も、ハイヒールで長い距離を歩いたせいか脚がくたくたで、もうこれ以上動き回る気力がない。

 しかし、ソファにうなだれたままの卓也をそのままにすることも、出来なかった。


 澪は、手早くドレスを脱いでジャージを上だけ羽織ると、卓也の身体を揺さぶる。


「卓也、ねえ、せめて着替えてベッドに入ってよ。

 風邪引いちゃうわよ!」


「ああ、うん、澪……悪いな」


「いいのよ、ボクはあなたの奴隷なんだから」


「奴隷じゃないだろ、俺の相棒だろ」


「……卓也」


「今日、凄く素敵だったよ。

 いつも綺麗だけど……今日は、更に美しかった。

 奥沢のヤツ、澪見てビビってたもんな。ハハ……」


「わ、わかったから! とにかく、寝室へ」


 半ば無理やり、卓也を寝室に押し込める。

 どうやら、もう起き上がって自分で何かをする気力は、完全に尽きているようだ。

 澪は諦めて、このまま寝かせようと考えた。

 しかし、飲み屋のハシゴをしただけあって、さすがに臭う。

 少し悩むと、澪は一旦風呂場に行き、熱めのお湯を入れた洗面器とタオルを持って来た。


「さぁ、脱いで……」


 苦労しながら、うなだれている卓也の衣服を脱がしていく。

 上半身を脱がせたところで、澪は湯に浸したタオルで、卓也の身体を拭き始めた。

 

(まったくもう、子供みたいに)


 ぶつぶつ言いながらも、固く絞ったタオルが冷えないうちに、手早く拭いて行く。

 中肉中背の体格の卓也は、脱いでみると意外に逞しい体つきなのがわかる。


 ――澪の胸が、ときめいた。


 上半身を拭き終わり、パジャマを羽織らせた後、ズボンと下着を脱がせ、再び拭き始める。

 だが、タオルが股間辺りに差し掛かる頃、澪の手が止まりがちになる。

 澪の視線は、剥き出しの卓也自身に注がれていた。


(……おっきい……素敵)


 胸が高鳴り、ゴクリと喉が鳴る。

 いつしか手は完全に止まり、澪は、恍惚の表情で、それをじっと見つめていた。


(ああ、無理……もう、我慢できない……)


 顔が紅潮し、呼吸が荒くなる。

 タオルが、床に落ちた。


 ジャージを脱ぎ捨て、全裸になる。

 我慢の限界に達した澪は、口を大きく開けて舌を伸ばすと、そのまま顔を埋めた。






 時計が、午前三時を指す。

 裸のまま寝室を出た澪は、シャワーを浴びる為に一旦リビングに出た。

 深夜なのに、やけに外が明るい。

 いつもならとっくに寝ている時間なので、気にしていなかったが、こんな時間でもネオンが光っているものなのか、と思い、そのまま風呂場へ向かう。


 一通りシャワーを浴び、身体を清めた澪は、バスタオルで身体を拭いている最中、ようやく違和感に気付いた。


(え? ちょっと待って。

 窓の外、隣のマンションの棟があるだけでしょ?

 何であんなに光ってるのよ?!)


 気がつくと、なんだか足元がフラフラする。

 はじめは眠気から来る眩暈かと思ったが、そうではない。

 明らかに、足元が――否、建物全体が動いている。


(え? な、何? 地震?!)


 慌てた澪は、バスタオルを身体に巻きつけたまま、リビングに飛び出す。

 と同時に、窓の外から、とてつもなくまばゆい光が差し込んでいた。


(え、えぇぇ?!)


 窓の外には、まるで巨大なランプが隣接しているように、赤と黄色、白や青のカラフルな光が、ぐちゃぐちゃに入り混じっている。

 そしてそれらがリビング全体を照らし、室内はサイケな彩りに覆われた。

 だが、それだけではない。


(た、建物が……回ってる?!)


 澪は、窓の外の光が激しく動き回っていることに気付いたが、それは光が回っているのではなく、自分達が建物ごと回転しているのだと理解出来た。

 回転というよりは、まるで部屋全体がメリーゴーランドのようにゆっくりと動いているようだ。

 不安定感が増し、物凄く不快感を煽る。

 だんだん気分が悪くなってきた澪は、這うように寝室へと移動する事にした。


「な、何が、起きてるの……?」


 だが、余りの気分の悪さに耐え切れなくなり、ソファにもたれかかった。

 次第に、サイレンのような音まで聞こえ始める。


(ま、まさか、これ……)


 澪の意識は、そこで途絶えた。






 翌朝。

 爽快な気分で目覚めた卓也は、自分がいつの間にかパジャマを着てベッドで寝ていることに気付き、戸惑った。

 澪はもう起きたのか、布団の中にはいない。

 昨日の事を思い返し、風呂に入らず寝たことを思い出した卓也は、すっきり目を覚ます事も兼ねて、シャワーを浴びることにした。


「おはよー、み……」


 言葉が、止まる。

 リビングでは、バスタオル一枚だけを身体に巻きつけた澪が、ソファにもたれかかるような姿勢で倒れていた。


「お、おい、澪! 大丈夫か?! しっかりしろ!」


「……え、た、卓也?」


「どうした、何があったんだ?!」


「え、あ、あの、ボク、夕べ――」


 そこまで言って、慌てて立ち上がる。

 はらりと舞い落ちるバスタオルを拾おうともせず、澪は、窓の方を向いて絶句した。


 バルコニー側の窓は、分厚い遮光カーテンが閉められている。

 裸のまま呆然と立ち尽くす澪は、ふらふらと窓の方へ歩み寄り、勢い良くカーテンを開けた。


「お、おい! 全裸ぁ!」


「そんな……元に戻ってる?」


「な、何があったんだ?!

 あと、服着ろよ、風邪ひくぞ」


「お酒なんか飲んでないのに、ボク……酔っ払ったの?」


 昨日、自分が飲んだものを思い返すが、アルコール類はやはり覚えがない。

 最後に飲んだものを重い返し、澪は、顔を紅潮させた。


「あ、あのね、昨日――」


 澪は、夕べの出来事を、卓也に詳しく話した。




「――幻覚じゃない?」


「ボク、そんなもの見るような状態じゃなかったよ?」


「薬とか何かやってらっしゃる?」


「してません! ロイエは、そういうのは厳格に禁じられています!」


「じゃあもう、夢しかないんじゃないかな」


「夢、だったのかなあ。ボク、自覚なく疲れてたのかな?」


「それより、服を着たら少し休めよ。

 あんなところで寝てたんだから、疲れ取れてないだろ」


「うん、ありがとう。そうするね。

 ねえ、ボクが寝付くまで、傍に居てくれない?」


「お、おう、いいけど」


「うふん♪」


 ソファに座る卓也の膝の上に座りながら、澪は甘えるように顔を摺り寄せる。

 まだ、服は着ていない。

 卓也は、やれやれと言いながら、ふと、自分のスマホがない事を思い返した。


「澪、俺のスマホ知らない?」


「ああ! そうだ、落としそうになってたから、ボクが回収したんだった!」


 そう言うと、ハンドバッグを取りに行く。

 その時卓也は、こちらに背を向けたまま屈んだ澪の姿をもろに見てしまい、思わず目を逸らした。


「これこれ!

 あ、そうだ、そういえばね」


 澪は、夕べの出来事を、卓也に話して聞かせる。

 奥沢と優花の関係についても。


 その話を聞いて、卓也は信じられないといった表情で首を振った。


「いやいや、そんなまさか。

 奥沢は、そういうことするようなヤツじゃないし」


「でもそれ、卓也の世界の奥沢さんでしょ?

 こっちの世界の奥沢さんは違うのよ」


「とはいえなあ、さすがに証拠がないと……」


「証拠なら、あるわよ」


「へ?」


 澪は、卓也のスマホを借りると、ファイル管理アプリを立ち上げた。

 そこから、とあるファイルを展開する。





 『お二人とも、実はお付き合いされてるんでしょ?』


 『あ、やっぱ……わかるぅ?』


 『澪ちゃん、すっごく勘がいいね。

  でも――コイツにはナイショにしといて☆』


 『なんかねー、旦那ともたまーにはするんだけどさ。相性が悪いってのかな』


 『わかるー。うちの奴も、子供生んだ途端にレスになっちゃったし』


 『いいよぉ、奥さんの代わりに、いくらでも搾り取ってあげるからねぇ♪』


 『おぉ☆ 是非たのんます!』


 『この後でもいいよぉ♪』


 『おほほぉぉ~♪♪』





 音声ファイルを聞き終えた卓也は、愕然とした表情で澪を見つめた。


「マジかよ、これ」


「マジよ。

 あなたに聴かせようと思って、ボイレコ作動させといたの」


「や、やっぱり優花は、こっちの世界でも優花だったんだな!

 結局浮気してんじゃねぇか!」


「あの後、二人は歌舞伎町へ消えてったわね。

 確か、あそこの奥の方はラブホ街でしょ?」


「そんなこと、良く知ってるなあ。

 ……つまりは、そういうことか」


「意外と平静ね、卓也」


「ああ、なんつうか、昨日のアレでもう吹っ切れたからかな」


 ジャージを着る澪を見ながら、卓也は、呆れた顔でスマホを置く。

 だが、また直ぐ取り上げて、何やらアプリを展開し始めた。


「ねえ、何してるの?」


「もし本当にホテル行ったなら泊まり確定だろ?

 まだ居る時間だと思うから、冷やかしメールしてやろうかと」


「何考えてるの、そんな悪趣味なことはお止めなさい」


「そう言いながら、画面を覗きに来ている君はなんだ」


「えーと、ちょっとした好奇心?」


 苦笑いしながら、卓也は昨日登録したLINEグループ通話を開き、本当に冷やかしっぽいメッセージを書き込む。

 早速送信ボタンを押すが、


「あれ?」


「矢印が、消えないわね」


 送信した筈のメッセージが、いつまで経っても送信済みの状態にならない。

 何回送っても同じ状態だ。

 ブロックされた可能性も考えたが、それなら通話ウインドウ自体が開かない筈だ。

 

「なんか変だな、通信環境悪いのかな?」


「ねえ、ちょっと通話してみて」


「ええ? それはさすがに」


「この前、奥沢さんがかけて来た電話番号に」


「ああ、LINE以外でってことか」


 何か思う事があったのか、澪は何故か妙に真剣な表情だ。

 卓也は、リダイヤルを利用して、先日かかって来た奥沢の電話番号に掛けてみた。




『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。

 番号をお確かめになって、もう一度おかけ直しください』



「……あれ?」


「やっぱり、通じなくなってる?」


「おかしいな」


 何度掛け直しても、状況は同じだった。

 その後、卓也は、優花のLINEから直接電話してみることにした。


 今度は、待機音が聞こえる。


「あれ、通じるかも?」


「そうなの? もし通じたら、昨日の――」


 澪がそこまで呟いた時、通話が繋がった。

 電話の向こうからは、少し寝ぼけた感じの、聞き慣れた声が返って来た。


『もしもしぃ?』


「おはよう、優花。

 こんな朝早くからごめん」


 そう言った途端、電話の向こうから、ガラガラドシャーン、という慌しい音が響いて来た。


『お、お、おはようございます! 専務!

 ど、どうして、私のLINEをご存知なんですか?』


「――専務?」


 声の主は、昨日聞いたばかりの、優花で間違いない。

 だが、態度が妙だ。


「昨日はどうもありがとう。久々に楽しかったよ」


『え? き、昨日ですか?』


 なんだか態度が妙によそよそしく、おまけにやたら緊張しているようだ。

 ネタにしても、なんだか奇妙だ。


「どうしたんだよ、そんなに緊張して。

 それより、奥沢のことなんだけど」


『え? ああ、もしかして、あの奥沢さんですか?

 どうかされましたか?』


「連絡しても、電話が繋がらなくて。

 あの後、なんかあったのかなって」


『あ、あの後……ですか?』


「うん」


『あの、専務。

 奥沢さんは――』


 優花の声が、妙にか細くなる。

 なんだか妙な気配を感じた卓也は、耳を更に押し当てた。


 しばしの沈黙の後、優花は、冷静な口調ではっきりと伝えてきた。




『奥沢さんは、五年前に交通事故で亡くなられてますけど――』





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