第12話『そろそろ本気出そうと思います』



 翌朝。

 いつもと違う、どこか快適な目覚めを向かえ、卓也はしばし戸惑った。

 ぼんやりとした頭で、夕べのことを思い返そうとするが、よく思い出せない。

 掛け布団をめくり上げようとして、自分が全裸であることに気付く。


(うわ、これは――ええっ?!)


 澪は、既にいない。

 戸惑いながらベッドの中でもたついていると、いつもの位置に、ちゃんと着替えがしっかり用意されている。

 きっちりと、パンツまで畳んで置かれていた。


(い、いやいやいやいや、あれは夢じゃなかったのか?! 夢だろ? な、オイ?!)


 とりあえず、まずは着替え……ではなく、着衣だ。

 畳まれた着替えに手を伸ばした瞬間。


「ババーン! おはようございま―す!!

 さぁ、今日も元気に行きましょう!!」


 バムッ! と派手な音を立てて、寝室のドアが開かれる。

 そこには、既にメイド服をまとい、身だしなみを整えた澪が、満面の笑顔で突っ立っていた。

 何故か、今朝は異様なほどの元気オーラを漂わせている。


「わあぁっ!! と、突然入ってくるなぁ!」


「微かな物音が聞こえたので、お目覚めになったのかなーと」


「どんだけ地獄耳なんだよ! つか、服着るからちょっと待って!」


「お着替え、手伝いましょうかぁ~?」


 何故か、両手をワキワキさせながら迫ってくる。

 そのいやらしい笑みに、卓也は戦慄を覚え、防御体勢に入った(→布団の中)。


「ヒィッ!」


「くくく、隠れても無駄だ」


 訳のわからない事を呟きながら、澪は、布団の隙間から手を差し込んできた。

 むにゅっ、と、何かに触れる。


「あっ!」


「おお、ビンゴ! さすがは澪さん、一発で捕捉であります!」


「ちょ、ちょ、やめ! それ、シャレにならん!!」


「そう? でも、ここを、こんな風にしたら――」


 澪の指が、淫靡に蠢く。

 力を込めず、指先が掠る程度で、さわさわと優しく撫で回す。

 卓也の身体に、未知の感覚が迸る


「ひゃ……!?」


「ふふ♪ ここ、こうすると気持ちいいでしょ」


「あ、は……や、やめ……!」


「うふふ、卓也ったら、カワイイ声出てる♪」


「や、や、やめろぉ~!!」


 効し難い快感をあえて振り切り、卓也は、布団の中を起用に逃げ回る。

 吸い込むように着替えを取り込むと、これまた起用に着衣して、飛び出した。


「な、な、なんつうことをするんだ! 澪ぉ!!」


「え~? だってぇ♪」


 今“触った”指を、ぺろっと舐めるような仕草。

 その妖艶なポーズに、不覚にもドキッとさせられる。


「な、なんだよ、その意味深な態度は? 顔赤らめんな!」


「うふふ♪ あ~でもぉ、夕べの卓也ったら、可愛かったなぁ♪」


「ぬ、ぬぐ?!」


「あんな風になっちゃうんだぁ~♪

 ちょっと予想外☆」


「だぁっ! だからぁ!!」


 いい様にあしらわれ、卓也は顔中真っ赤にして動揺する。

 同じく、顔を紅潮させた澪は、卓也にそっと抱きついて来た。


「夕べは、とっても素敵だったわ♪」


「俺は知らない。ナニモシラナイ」


「ボクのこと、あんなに可愛がってくれて、ありがと♪」


「…………フハッ」


 あまりの照れ臭さに身動きが取れなくなった卓也に向かって、澪は突然、パン! と手を叩いた。


「はい、茶番はここまでよ!

 朝ごはんの準備出来てるわよ。早く来てね」


 突然踵を返し、リビングへ戻る澪。

 その場にポツンと取り残された卓也は、恥ずかしさと悔しさともどかしさの入り混じった複雑な表情で、その後姿を見送った。


(あ、あ、あの野郎~! なんだよ、いきなりテッカテカになりやがって!)






  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■



 ACT-12『そろそろ本気出そうと思います』






 澪の笑顔が、途切れない。

 元々明るい性格ではあったが、ずっと微笑みっぱなしなのは、今日が初めてだ。

 朝食をたいらげ、食後のコーヒーを嗜みながら、卓也は目の前で頬杖をついている澪の顔を見た。


「うふふ♪」


「な、なんだよ」


「こうしてると、ボク達、まるで新婚夫婦みたいね♪」


「ぶほっ!」


「ボク、身も心も、卓也のものになったんだなぁ~って、とっても嬉しいの♪」


「ままま、待てぇい!!」


 コーヒーカップがでんぐり返るような勢いで、立ち上がる。


「あのな! 夕べのはな、その……なんだ、そういう事では!」


「いいじゃない。

 あんなに愛情のこもったキス、最高に素敵だったわよ」


「……へ?」


「その後も、ボクのこと、ちゃんと抱いててくれたし♪」


「いや、だからね、澪さん?」


「卓也のぬくもり、全身で感じちゃった♪ えへへ☆」


「だからぁ! ただ抱き合っただけじゃないか!

 思い出したぞ! 君が“どうしても裸で抱き合いたい”っていうから」


「でも、ボクのお願い聞いて、ちゃんと服脱いでくれたじゃない」


「そ、それは……その、なんというか」


「それでも充分なの、ボクは♪

 ――ねえ」


 急に笑顔を止め、澪は、真剣な表情に切り替わる。

 その豹変ぶりに、卓也は一瞬ギョッとさせられた。


「な、何?」


「あとゴメンね、我慢できなくって。

 ……拭いてくれてありがと♪」


 卓也は、思わず、自分の右手を見つめた。


「もう、ああいうのは、勘弁な……びっくりしたんだから」


「許してくれるの? ありがとう! 好き♪」


「み、澪だから、だぞ! こんなことするのはぁ!」


「……(///)」


「真っ赤になってやんの」


「だ、だって! そんな事言われたらぁ~!」


 可愛らしく身悶えする澪を見ながら、卓也は、もしかして自分はもう引き返せない領域に足を踏み入れてしまったのでは? という考えに捉われ、身震いした。






 問題は、山積みだ。

 卓也は、澪と力を合わせて、異世界でどのように生きていくべきかを模索することにした。


「なあ澪、俺達、ずっとこの世界でこれから生きていくことになるのかなあ?」


 不安げに唱えるが、澪は意外にも、あっけらかんとした態度で返して来る。


「たぶん、それはないと思うの」


「どうして?」


「前にも言ったけど、少なくともボク達……というか卓也は、最低二回は異世界転移をしているのよ」


「うんうん」


「ボクと卓也が出会ってから、体感的にはまだ四日。

 その間に、最低一回は世界を移動している訳よね。

 ということは、意外と些細な理由で世界を移動する条件は揃っちゃうのかもしれないわ」


「そ、そういうもんか?」


「ボクが思うに――」


 澪は、自身なりの分析をまとめた。

 並行世界への移動は、このマンションの部屋単位で行われる。

 という事は、「神代卓也」が存在する他の世界を、今ここに居る卓也が上書きして回っている形になる。

 そうでなければ、この世界に本来住んでいる筈の「神代卓也」が姿を現さない理由が説明出来ない。

 という事は、世界移動は、マンションの部屋そのものに要因があるわけではなく、卓也自身に要因があると考えるのが妥当だ。


 ――それが、澪の導き出した結果だった。


「ちょっと待って!

 ってことは、世界移動は何かの超常現象が起きたわけじゃなくって、俺が原因で起きてるってことか?」


「あくまで可能性の話よ。

 だって、どの世界に行っても、一番変化がないのはあなたなんだし」


「この部屋もそうじゃないか」


「違うわ。

 この部屋は一番大きな変化を起こしてるのよ。

 だって、本来ここにあった筈の“別な神代卓也”の生活環境を、塗り潰しているわけだから」


「なんだか、だんだん訳がわからなくなってきたぞ?

 つうか何? 俺に、そんなとんでもない超能力があるってか?

 ハハハ、ないわぁ~……」


「まだ、あなたの力で起きたことなのか、断定は出来ないけどね」


「そ、そうだろ? そうだよな?」


「でも、こうやってまとめてみると、もしかしたら世界移動のスターターが何なのか、特定出来るかもしれないわ」


「お、俺のせいでない事を祈りたい」


「まあそこは、おいおい考えをまとめて行きましょう。

 もしかしたら、何か検証をする必要があるかもしれないし」


 そう言いながら、澪は、両肘をついて口元に手を当て、上目遣いで見つめてくる。


「な、なんだよそれ。

 どっかで見たようなポーズだな」


「エヴァに乗れ。乗らないなら帰れ」


「ロイエって、いったいどういう教育受けてるのか、謎だな」


「うふ、ボクね、古いものを見るのが好きなの。

 映画でも骨董品でも。

 卓也の部屋のレトロゲームも、結構興味あるのよ?」


「だったら、後で何かプレイしてみるか?」


「やったぁ! やるやる! ねえ、一緒にやろう♪」


「ああいいよ……って、話逸れてる!」


「ああんもう! 卓也がスーパーカセットビジョンの話なんかするからぁ」


「してねーっつの」





 二人は、初めて会った夜のことを、もう一度思い返してみることにした。


 卓也は、五週間に及ぶ残業地獄で疲弊して帰宅、寝堕ちした。

 その深夜、澪がやって来る。

 死んだ筈の父親と電話で会話。

 飲酒して睡眠。


――全く、思い当たることがない。

 卓也は、紙を持ち出して時系列順に出来事を書き出し、それを澪と共に眺めつつ熟考したが、やはりこれぞというポイントが見出せなかった。


「俺、奥沢と会ってみようかと思うんだ」


「え? この前、もん~のすごく悪いタイミングで電話かけてきた人?」


「知らんがな。

 まあ、それだ」


「会ってどうするの?」


「あいつは、この世界で澪以外に繋がりを持てそうな存在だ。

 事情を話して、この世界の状況を詳しく確認しておきたい」


「事情って、そんな話信じてくれるかしら?」


「そこはやってみなきゃわからん。

 ただ、その為には、澪――君の協力が必要だ」


「え、ボクも付き添うの?」


「ああ」


 何か意図があるのか、卓也は、真面目な表情で澪に頼み込む。

 彼の考えが咄嗟に理解出来なかった澪だが、主に頼まれて断れるわけがない。


「わかったわ。

 でも、男の人同士で会うとしたら、その……お外で、よね?」


「ああ、あいつも俺も酒好きだから。

 居酒屋になると思う。

 あ、そういえば、澪っていくt――」

「そこはハッキリさせない方がいいわね! 色んな意味で!」


「あ、はい。察し」


「ただ、ボクはお酒飲んだ事ないから、お付き合いはしても飲まないでおくわね」


「そうだな、澪には冷静な状態で居て欲しいから」


「了解、じゃあ、あなたの考えに従うわ」


「ありがとう」


 卓也と澪は、何故かガッシリと握手を交わす。


 彼らなりの、いささかいびつな“異世界調査”が、これから始まろうとしていた。

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