第11話『人の愛し方って、難しいもんですね』
十三年前。
まだ大学に入ったばかりの卓也は、同じサークルに所属していた、
おとなしく自己主張が苦手で、まるでどこか良い所のお嬢様ではないか、とすら思わせるしとやかさに、卓也をはじめとするサークル内の男子達は、全員夢中になった。
所謂「オタサー姫」的な扱いになったものの、誰もがある一定のラインから先に踏み込めない、こう着状態が続いた。
そこを、あえて勇気を以って破ったのが、卓也だった。
卓也は、純粋に優花に憧れ、純粋に好きになった。
女縁のない男共の中に入って来た、手の届き易い相手だから……といった、無根拠に等しい想いからではなく、本気で彼女に恋をしていた。
一年間想いを募らせ、人生最大の勇気を振り絞り、彼は告白し、そしてそれは実った。
優花も、実直で真面目、そして素直な性格の卓也を好いており、いわば相思相愛の関係だったのだ。
そこからの卓也は、最大の愛情を以って、優花に尽くした。
決して拘束はせず、相手を尊重し、喧嘩はせず、常に優しく接する事を自身に義務付ける。
やがて、周りが羨むほどのおしどり関係となった二人は、大学卒業後も互いの愛を紡ぎ続けた。
就職を経て、いつしか二人の付き合いも、八年に及ぼうとしていた。
卓也は、いつまでも優花を待たせてはいけないと考え、思い切って、結婚を前提とした新生活の準備を始めた。
広くてちょっと豪華なマンションを借り、お洒落な家財道具を揃え、いつでも優花を迎え入れられるように環境を整えた。
更に一年を費やし、理想の新居の準備が整ったところで、卓也は優花に同棲を申し出た。
優花は、最初は戸惑ったものの卓也の熱意にほだされ、承諾。
九年半の時を経て、二人の愛ある新生活が始まった。
――だが、一年も経たぬうちに、優花は、卓也のマンションを飛び出した。
喧嘩など一切していない、全て彼女の望みを優先させ、自分はあらゆる事を我慢し、捧げて来た。
にも関わらず、優花は卓也との生活を拒んだのだ。
三ヶ月も経たぬうちに、卓也は、人生で最大級の衝撃を受ける。
なんと、大学のサークル時代の後輩と、優花が結婚するという報告が来たのだ。
それも、「結婚式の招待状」という形で。
何が起きたのか、理解が及ばなかった。
だが、卓也は、最後まで優花への愛を貫く覚悟を決めていた。
結婚式に出席し、もはや手の届かなくなった最愛の
『ありがとう、私達、絶対に幸せになるからね!』
その時の、優花の満面の笑顔が、脳裏にこびりついて離れない。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-11『少しだけ、昔の話を』
卓也は、人生の全てを失ったと思った。
それまでの自分を取り囲んできたあらゆるものが、もはや何の価値もないと思えてならなかった。
だが、それでも、彼女と紡いだ思い出の痕跡を捨て去る勇気は持てなかった。
二人で買った記念品を、何度も捨てようとしたが、出来なかった。
それから更に一年後。
奥沢からの情報で、実は優花は、大学卒業後に卓也の後輩とも付き合い始めていたのだと聞いた。
卓也が、彼女を拘束しないと誓いを立てたその裏を突くように。
後輩との付き合いも、実は六年以上に及んでいたらしいという現実に、卓也は眩暈がした。
信じていた、愛していた人が、二股をかけ、あまつさえ天秤にかけていた。
その現実がどうしても受け入れられなかった。
ある時、もう死のうと真剣に考えた。
或いは、優花を殺して自分も死のうかとも思った。
だが、出来なかった。
長年愛し続けた優花の笑顔と、結婚式に見たあのトラウマの笑顔が、どうしてか卓也の手を、足を止めたのだ。
それ以来、卓也は、人生の目標もなく、ただ日々を過ごすだけの生活を繰り返し続けた。
忌まわしい想い出を蒸し返すだけにしかならない筈の、この部屋の中で、何年も。
「――意気地がないんだと思う。俺って」
最後に言い結ぶ言葉に、澪は――青筋を立てていた。
「ちょっと! 何よソレ!」
「えっ」
「その女、卓也のことバカにしすぎじゃない?!
何よ、どうしてそんな残酷なことが出来るのよ! 信じられない!
人間じゃないわ! ぜえったい、許せないぃ!!」
「き、君がエキサイトしてどうすんだよ」
「だって! だって! そんなの、そんなの酷すぎるじゃない!
卓也、何も悪い事してないのに、そんな――」
「ああ、未だに、どうして俺を捨てたのか、実際全然理解が出来てないんだ。
あ、そんだけ自分に自信があるって意味じゃないよ」
「それは、わかるけど……」
澪は、いつしか半泣きになっている。
「それで、その女と後輩は、いけしゃあしゃあと、今も結婚生活満喫してるっての?!」
「噂では、子供が生まれたって」
「な、な、なんてことぉ!! 卓也をこんなに傷つけておいてぇ!
絶対許せない! 爆破してやる! ボクが木っ端微塵にしてくれるっ!」
何故か自分のことのように激怒し始めた澪だったが、卓也はそれを冷静に諌めようとした。
「そういうこと言うな!
子供が生まれたんなら、彼女らの生活がうまく行くように祈るべきだ」
「な、なんでよ! だって――」
「生まれてきた子供に罪はないだろ。
そこまで行ったら、もう昔話でしかない。
この話はもう、俺一人が我慢すれば、それでいいんだ」
「た、卓也……そんな、そんなのって……」
「つまらない話を聞かせて悪かった。
この話は、もうおしまい。
二度としないから」
そう呟くと、卓也は腰を上げ、寝室へと戻ろうとする。
それを、澪が後ろから抱き着いて、止めた。
「み、澪?」
「卓也ぁ……なんで、なんであなたばっかり、そんな悲しい目に遭わなきゃならないのぉ?」
澪は、本気で泣いていた。
背中に顔を埋めながら、隠すことなくすすり泣いている。
ぬくもりを背に感じながら、卓也は、何とも言いがたい不思議な感覚に捉われていた。
「ありがとう、と言っていいのかな」
「……え?」
「澪が話を聞いてくれて、俺の代わりに怒ってくれて。
それだけで、なんだかとっても、すっきりした気がする」
「……」
「ありがとうな。
俺、澪のそういうところ、好きだよ」
「卓也……ご主人様……
う、うわあぁぁん……」
とうとう、本格的に泣き出した。
振り向くことも出来ないまま、卓也はただ、澪の嗚咽を背で受け止め続けた。
『――はぁ? お前、その話マジかよ?!』
『何言ってんだ奥沢。
そんなの、普通のことじゃないか』
『全っ然! 普通じゃねぇよ!
なんだよ、そんなに長く付き合ってて一回もヤってねぇって、異常だぞ異常!』
『結婚するまで、そんな無責任なこと、出来るわけないだろう。
男として』
『いや、待て、
もしかすると、お前……まだ、童貞なんか?』
『当たり前だろう! 俺はまだ結婚してないんだぞ?!』
『……』
『男女のスキンシップは、結婚して初めて行われる神聖な行為だ!
最近の奴らは、結婚はおろか、婚約もしてないうちから、平気でキスしたり、セックスしたり!
モラルはいったい何処へ行ったんだ?! モラルは?
そう思わないのか、奥沢?!』
『ちょ、待て。
まさかお前、佐治と……き、キスもしてなかったのか?』
『当然だ! 手も握ったことはない』
『あ~、あのな、卓。
お前がフラれた理由、俺、よぉく判ったわ』
『当事者じゃないお前に、いったい何が判ると』
『まぁ聞け!
お前のそんな態度に、佐治はどう思ってたんだろうな?』
『は?』
『九年だっけ? そんだけ長く付き合ってたのに何も手を出されなくて。
佐治からすれば、お前が本当に自分のことを好きなのか、不安だったんじゃないかな』
『俺は、優花にもちゃんと言ったぞ? 好きだって、愛してるって。
それに、結婚するまでは、とも』
『でも、佐治はそれを言葉だけの愛情表現としか思えなかったから、アイツの方に行ったんだろ?』
『そ、そんな訳が……』
『その話を聞いた以上、悪いけど、俺にはお前の方に原因があったようにしか思えんわ。
あとな、そんな弥生時代クラスの古臭い価値観持ってたら、お前一生結婚なんか無理だぜ』
『どうしてだ! 俺は、ちゃんと筋を通したのに――』
『はたから見れば、お前は通すべき筋も通せない、回り道ばかりのチキン野郎にしか思えないんだよ』
『お前……!』
『そんな目で睨むな!
俺は一般論の話をしてんだ。
まぁ飲め! もうこんな事は話はしねぇぞ!』
『……俺は……俺は……』
夢の中で、奥沢とサシで飲んだ時の記憶が蘇る。
あの時に感じた、何とも表現しづらい胸の痛み、どんよりとした不快感。
それが不意に去来し、卓也は、冷や汗を掻いて目覚めた。
隣では、こちらに背を向けて寝息を立てている澪が居る。
(俺は……やっぱり、間違っていたのか?
優花を抱いてやれば、キスしてやれば、俺達は結婚できたのか……?)
眠っている澪の寝顔を覗き込む。
窓から微かに差し込む青白い光に照らされ、澪の顔は、いつもとはまた違った神秘的な美しさを感じさせる。
卓也は、そっと顔を近付けてみた。
(……いや、澪は……違うだろう。
俺はやっぱり――)
「卓也?」
突然、澪の声が耳に届く。
慌てて顔を離すと、まるで逃げるように、ベッドの反対側へ移動した。
「起きちゃったの?」
「あ、ああ、ゴメン。
ちゃんと寝てるかなって思って、つい」
「うん……大丈夫よ。
ボク、ずっとあなたの傍に居るから」
「え?」
「心配しなくても、いいよ……。
ね、一緒に寝よ」
「あ、ああ」
「こっち来て。
腕枕してよ」
「はい?」
「卓也に、腕枕して欲しいの」
「なんだ、子供みたいな事言って」
「ふふ♪」
甘えるように身を寄せると、澪は卓也の肩にちょこんと頭を乗せてくる。
頬ずりするように顔を寄せると、身体をぎゅっと密着させてきた。
「おいおい」
「うふ♪ 卓也、だーい好き!」
「あ、ああ、ありがとう」
「ボクの事好きって言ってくれたの、すっごく嬉しかったよ」
「え?」
「卓也、そういう事、あんまり言ってくれそうにないなあって思ってたから」
「そ、そう?」
なんだか照れ臭くなり、掛け布団を顔まで引き上げる。
しばらくの沈黙の後、澪は、囁くような声で話しかけてきた。
「ねえ、卓也」
「なんだ? 寝れなくなった?」
「あのね、聞いて」
「うん」
「――女の子じゃなくって、ごめんね」
「え……?」
「ボクが女の子だったら、きっと卓也、何も困らなかったよね?
だから、ゴメンね……男の子で、ごめんね」
「澪、いや、そんなことは」
掠れるような声で、だけど、それははっきりと、卓也の耳に届いた。
「女の子じゃないのに、傍に居させてくれて、優しくしてくれて。
そんな卓也のこと、ボク、本当に好きなの。
――だから、ボク、一生あなたについていくね」
「……」
「あなたが、ボクを要らないって思う日まで」
「……何、言い出すんだ」
「――愛してる」
「あ」
澪が、顔を近付ける。
唇が迫っていることは、吐息で伝わる。
だが卓也は、何故か、それを振り払う気になれなかった。
柔らかい感触が、そっと、唇に触れる。
そして、僅かな隙間から、小さく湿った舌が、入り込んで来る。
澪の身体が益々密着し、腕が身体に絡みつく。
だが今夜だけは、卓也は、それを受け入れたいと思った。
二人の想いが、火照るような熱の中で、激しく絡み合った――
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