第9話『  異 世 界 へ よ う こ そ   』


 電話が、鳴る。

 澪は、待ち構えていたかのように、受話器を素早く取った。


「もしもし?」


『澪? 俺だけど』


「卓也! やっぱり、何か起きたのね?」


『そ、そうなんだよ! 実は――』


「会社に入れなくなったんでしょ」


『そうそう……って、えっ?! なんで知ってるの?』


「とにかく、今は戻って来て。

 外で合流しましょう」


『え? あ、ああわかった』


「じゃあ、あの公園で。

 じゃあね、気をつけて帰って来てね」


 そう言うと、澪は通話を切り、溜息をつく。


「やっぱり、ボクの予想通りになっちゃった」


 立ち上がり、急いで着替えを始める。

 澪は、卓也から預かった予備の鍵を確かめると、戸締りの確認を始めた。




  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■



 ACT-9『  異 世 界 へ よ う こ そ   』





 卓也と合流したのは、午前九時を少し回った頃だった。

 先日購入した私服をまとった澪は、いつもと違う真剣な過去で、卓也に向かい合った。


「どうなってるんだこれは? 何が起きてるんだいったい?!」


「卓也、電車は普通に乗れた? 定期は?」


「ああ、それは問題なかったよ。

 でも、社員証が使えなくて……それで俺、会社を二年前に退職してる扱いになってて……」


「卓也、通勤定期を見せてくれない?」


 澪に言われて、定期を取り出す。

 それを見た見た澪の表情が、険しくなった。


「な、何かあるのか?」


「ははあ、そういうことね。

 同じ路線で、もっと先の駅にあるわけか。

 それじゃあ、普通に使えちゃうわよね」


「どういう意味?」


 定期を返すと、澪は、ふぅと息を吐いて、卓也の手を握った。

 いきなりの行為にドキリとするが、相変わらず、澪の表情は真剣だ。


「あのね、卓也。

 凄くショックなことを今から話すけど、いい?」


「あ? ああ」




「今ボク達が居る、この世界ね。

 本来、ボク達がいるべき世界じゃないのよ」



「……はい?」





 唐突な発言に、思わず表情が歪む。


「じゃあ何か? 俺達は、パラレルワールドにでも辿り着いたってことか?」


「あら、パラレルワールドの概念がわかるの?

 だったら話が早いわね。

 まさにその通りよ」


「馬鹿馬鹿しい! なんでそんな突拍子もない……」


「それは、多分もうじきわかるわ」


「もうじき?」


「うん。

 卓也、あなたの携帯に、もうすぐ電話がかかって来ると思う」


「な、なんだよ、預言者か君は?」


「そんなんじゃないわ。

 ただ、先の流れを読んでるだけよ」


「……」


 いつもと違い、全然ふざけている感じがしない。

 真剣そのものの澪の言葉は、確かに突拍子もない内容ではあったが、どこか妙な説得力がある。

 卓也は、ゴクリと唾を呑み込んだ。


「き、君の言ってることが仮に本当だとして!

 じゃあ俺は、これからどうすればいいんだ?」


「そ、それはボクにも……」


 ピロロロロロ


 ピロロロロロ♪


 その時、澪が予言した通り、電話がかかって来た。

 表示されている電話番号には、全く見覚えがない。

 卓也は、一瞬澪と目を合わせると、恐る恐る電話に出ることにした。


「もしもs」

『神代ぉ! お前、何やってんだぁ?!』


 ものすごい怒鳴り声が、耳をつんざく。


「は? え?」


『お前、今何処で何してる?!

 今日は直行じゃなかった筈だろうが!

 どこで道草食ってやがんだこのクズがぁ!』


 全く聞き覚えのない声による、身に覚えのない叱咤。

 何がなんだか良くわからなかったが、さすがにここまで言われる筋合いはない。


『お前な、だいだいいつもいつも――』


「うるせぇ!

 いきなり何だてめぇ! 誰にかけてるつもりだ、いい加減にしろ!」


 ブツッ


 カチンと来た卓也は、一方的に通話を切った。

 だが、間髪入れずに……


 ピロロロロロ


 ピロロロロロ♪


「あ?」


『お前、何様のつもりだ?!

 遅刻しといてその態度はなんだ?! 始末書だ、始末書だぞ?!

 急いで会社に来――』


 プツッ


「あーあ」


「なんだコイツ、間違い電話の分際でえらそうに」


「神代、って言ってたの、聞こえたけどね」


 澪の呟きに、今更ながらはっとする。


「え? え? ちょ、待って、どういうこと?」


 ピロロロロロ


 ピロロロロロ♪


 またまた電話がかかってくる。

 卓也は、素早く通話を切ると、すかさずブラックリストに登録した。

 静寂が、訪れる。


「澪、これっていったい……」


「今の電話、恐らく、あの“大ローゼン”って会社からよ」


「は? な、なんで?」


 動揺する卓也に、澪は、まるで何かを宣告するような雰囲気で、静かに呟く。


「この世界で、あなたが勤務していることになっている会社だからよ」






 その後、卓也は、澪の言う通りの行動を始めた。

 まず、銀行口座から有り金を全部下ろす。

 先日、身の覚えのない大金が振り込まれていた口座だけでなく、それ以外のサブ口座も。

 そして、先日に引き続き更に食料や日用品の買出しを行い、特に長期保管が出来るものを中心に買い溜めする。

 その他、生活に必要な消耗品も出来るだけ多めに買い込んだ。

 それはまるで、これから篭城するかのような準備体勢だなと、卓也は思った。


 午後になって帰宅した二人は、疲れ切った表情で、背中合わせに座った。


「い、いいのかな、こんなことして」


「いいのよ、あなたのお金である事には間違いないんだから」


「これから何が起きようとしてるんだ?!」


「卓也、ボクの話を聞いてね」


 澪は、彼自身の推測と断りを入れた上で、説明を始めた。


 卓也と澪は、何かしらの理由で、それぞれが本来居るべき世界から逸脱してしまった。

 卓也も、澪も、本来はそれぞれ別な世界の住人で、澪の世界ではロイエがおり、神代重鉄鋼も健在。

 しかし卓也の世界ではそれはなく、そして彼も大菊輪という会社に勤務していた。


 だがここでは、卓也は大ローゼンという会社に二年前から勤務しており、更にイーデル社にはロイエに繋がる情報が皆無だった。

 そして卓也の父も亡くなっており、当然、家業も存在していない。


 つまり、卓也と澪は、ここまでの時点で既に複数の「違う世界」に渡ってしまったのだ。

 ――それが、澪の主張だった。


「いやいやいや、ちょっと待ってくれ!

 そんな馬鹿げた話があるかよ!

 SFじゃあるまいし!」


「まさにその通りよ。

 ボクだって、状況証拠がなかったら、こんな事バカげたことだって思うわ。

 でも、否定要素って、ある?」


「い、いや、そう言われても……」


「とにかく、ここまでの状況を考えると、ボク達は最低でも一、二回は並行世界に移動してるんじゃないかしら。

 だとしたら、もうまもなく、また別な世界に移動してしまうかもしれないわね」


「し、信じ難い話だ」


「その時のために、揃えられるものは手元に揃えておいた方がいいと思うの。

 お金も、物資も。

 何が起きるか、わからないものね」


「なんだか、頼りになるなあ、澪って」


「だって、あなたに何かあったら、ボクは――」


 そこまで言った時点で、突然、チャイムが鳴った。

 立ち上がろうとする卓也を止め、澪が玄関に向かう。

 身を隠すようにとジェスチュアを送ってきたので、卓也は、寝室に飛び込んだ。



「はい、どちら様でしょうか」


「大ローゼン株式会社の、矢吹と申します。

 神代卓也さんは、ご在宅でしょうか?」



 ドアの向こうから、微かに声が聞こえる。

 あの声は、電話で怒鳴っていたあの男のようだ。

 しかし、考えれば考えるほど、自分が怒鳴られたり、家宅訪問をされるいわれはない。

 だんだん腹が立って来たので部屋を飛び出そうとしたその時、澪が何か話し出した。


「あ~、悪いけど、あの人、あんたんとこの会社辞めるってさぁ~」


「は?」


「あんな超ブラック企業、やってられるかってブチ切れてたのよねぇ~。

 あんたでしょ? 今朝カレのこと怒鳴りつけたのって。

 あれで決め手になったみたいよぉ~?」


 いつもと違い、何故か凄くけだるそうな口調で話す澪。

 何が起きてるのか全然わからないが、あの気の強そうだった男が、言われるがままになっている。


「あ、いや、その、急にそう言われましてもその……弊社としてはですね」


「あのさぁ、悪いけど、帰ってくんなぁい?

 カレにぃ、退職届書いて送らせるからさぁ。

 それ届いたら、退職処理やっといてよぉ」


「え、ちょ、本気で……?」


「だからぁ、本気の本気だって言ってんじゃん。

 まだ話引き伸ばす気ぃ?

 つかさ、あんた、さっきからどこ見てんのよぉ」


「いや、いや! そ、それはその……わ、わかりました!」


「わかったら、とっとと出てって。

 あたしら、これから忙しいんだからさぁ~。

 わかんでしょ? 大人なんだから」


「で、では、か、神代さんには、よろしくと……」


「はいはい、じゃぁねぇ~~」


 バタン!


 ガチャガチャ……ガチャッ!


 ドアが閉じ、チェーンロックが掛けられた音が聞こえる。


「卓也、もういいわよ」


「な、何が起きt――」


 寝室のドアを開けてリビングに出た卓也は、玄関から戻って来た澪の姿を見て、腰を抜かした。



 下半身には、何も着けていない。

 両脚は剥き出しで、ブラウスは腹の上辺りまでボタンが外され、肌が覗いている。

 髪も、先程までは整えられていた筈なのにぼさぼさになっており、かなりだらしない様相。

 よく見ると、右足首には下着が絡み付いている。 

 それはまるで、先程まで全裸だったところに、適当な服を羽織っただけという雰囲気。


 卓也は、澪が咄嗟に取った演技の主旨を即座に理解した。


「あの人、顔真っ赤にして、目線あっちこっち行っててすごく可愛かったわよ♪」


「あ、悪魔か、この男……」


「なによぉ。うまくごまかしてあげたってのにぃ」


「やり方ぁ!」



 とりあえず、澪のおかげで一応のピンチは乗り越えた。

 これからの課題は――果たして何だろう?



 卓也は、身だしなみを整えることなく、不気味な笑顔で寄ってくる澪の猛攻をかわしながら、これからどうするべきかを、本気で考え始めていた。



(というか、本当に、俺は別な世界に来ちまったのか……??)

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