第8話『何もかもが、おかしくなり始めましたよ?』




 



  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■



 ACT-8『何もかもが、おかしくなり始めましたよ?』






「そいつ、俺の勤め先の同僚で、同じ課なんだよ」


「……どういうこと?」


「わからん。

 なんか、俺には把握し切れない“何か”が起きている気がする」


「やだ、なんか怖い」


「俺もだ。

 本当に訳がわからなくなってきた」


「う、うん」


「もう、寝よう」


 頭がこんがらがってきた卓也は、先程までの展開など忘れ去り、いまはとにかく眠ることを最優先にすることにした。

 意外なことに、澪もそれ以上色仕掛けを仕掛けてくることはなく、妙に素直に布団に潜り込んで来た。


 だが、会話はまだ続く。


「なあ澪、頼みがある」


「なぁに?」


「俺さ、今のこの状況、もしかしたら夢じゃないかって思ってるんだ」


「胡蝶の夢みたいな事を言い出すのね」


「そんないいものじゃないけどね」


「うん、それで? 頼みってなに?」


「明日の朝、起きた時――」


「うん」


「――傍に居てくれないか」


「?」


「頼むよ」


「……うん、わかった」


「ありがとう」


「心配しないで、卓也。

 ボク、あなたのお傍にずっといるからね」


「ああ……」


 澪が、そっと手を握ってくる。

 不思議と、その感触は心地良く、嫌な気持ちはしなかった。












『広くて綺麗で、いい部屋ね。

 私、気に行っちゃった』


『そりゃあ良かった!

 結構苦労して探したんだよ、この物件』


『結構高そうだけど、大丈夫なの?』


『うんまぁ。

 二人で暮らすのに、負担がかからない範囲で考えてる』


『そっかぁ! さすがは卓也さんね』


『そっちの日当たりの良い部屋は、君が使えばいいよ。

 俺は、こっち使う』


『卓也さんが、日当たりの良い部屋にすればいいじゃない』


『いいよ、コレクションが日焼けしちゃうから』


『あー、そういうことかぁ。

 卓也さんらしいや』


『えへへ』


『でもこれで、卓也さんの美味しいご飯が毎日食べられるようになるなんて、夢みたいだなぁ~』


『おいおい、それ以外にもあるでしょ』


『てへへ』











「――也、卓也?」


 ゆさゆさと身体を揺さぶられ、深い眠りから目覚める。

 既に窓の外からは朝陽が差し込み、外からは鳥の鳴き声が聞こえる。

 目の前には、既にメイド服に着替えた澪が、少し心配そうな顔つきで佇んでいた。


「ゆ……優花?」


「お寝坊さん、ボクは澪ですよー」


「え? あ、ああ! お、おはよう」


「おはようございます、ボクの大好きなご主人様♪」


 そう言うと、澪は顔を近づけ、卓也の唇に軽くキスをする。


「あ、こら、またぁ!」


「ぐっへっへ、油断するおぬしが悪いわ」


「どういうキャラだよ、それ」


「ふふん♪ 朝ごはんの準備、出来てるわよ?

 起きられそう? 先にシャワーでも浴びる?」


「いや、大丈夫。起きて飯食うよ」


 重たい身体を引きずるように、布団から出る。

 着替えをしようと服を選んでいると、何故か澪がニッコニコしながらじっとこちらを見つめている事に気づく。


「着替えるから、出てって」


「もっと可愛く言ってよ」


「わたし、今から着替えするの! 出て行ってくださらない?」


「なんでお嬢様口調なのよ!」


「キャストオフだ、そこに居ると怪我するぜ」


「ネタが微妙に古いわよね、卓也って」


「なんで知ってるんだ君は」


 朝から訳のわからない会話を交わし、卓也は澪を部屋から追い出す。

 一方で、彼の存在をしっかり認識出来たことに、内心とてもホッとしてもいた。


(あんな夢見た後だからか

 ――つか、今更なんであんな夢見たんだ、クソッ)


 卓也は、軽く舌打ちすると、とっとと着替える事にした。


「うぉ?!」


 よく見ると、自分の机の椅子の上に、既に着替えが用意されている。

 一枚一枚しっかりと畳まれており、一部のブレもなく重ねられていた。

 

「や、やるなあ。さすが本職のメイドだ」


 そこまで呟いて、澪は結局、ロイエとメイドとどっちが本業なんだろう? と、どうでもいいことを考えてしまった。




 夕食に引き続き、澪の用意した朝食は、期待を煽るだけあって本当に素晴らしいものだった。

 白ご飯に具沢山の味噌汁、西京漬のさわらに一夜漬けの白菜、ひじきとにんじんの煮物、そして半熟卵をだし汁に浸したもの。

 一見普通の和食に見えるが、そのどれもが、驚くほどに美味い。

 味噌汁は、熱い汁が圧倒的なコクと共に口腔と喉を満たし、丁度良い塩梅のさわらや漬物は、食を進めてくれる。

 ひじきの煮物はホッとする味わいで、これも薄味に仕上げてだしの美味さを堪能させる。

 卓也は、一見地味な料理に込められた奥深い技術に、心底圧倒された。


「これ、美味いよ……本当に美味い!」


「さわらだけは市販品になっちゃったけど、今度からちゃんと味噌床から作っておくからね」


「いや充分だよ! こんなに充実した朝食、食べたことないよ!

 ありがとう、澪!」


「えへへ、どういたしまして♪」


 顔を紅潮させ、照れる。

 そんな澪を見つめながら、卓也は、また何かを思い返して言葉を止めた。


「どうしたの? なんだか変よ?」


「ああ、うん。ちょっと夢見が悪くて」


「あー……ここは追求しない方がいいみたいね」


「ありがとう。

 ところで、君は食事しないの?」


「ご心配ありがとう。

 あなたが起きる前に、ささっと済ませてるわ」


「そうなんだ」


「こんな馴れ馴れしい態度してるけど、線引きはちゃんとしてるのよ」


「俺は、澪はあくまで同居人という認識だから、あまりそういうの考えないんだけどね」


「卓也って、優しいのね。

 ホント、好き♪」


「ぶっ」


 頬杖をつきながら、うっとりした顔でこちらを見つめてくる。

 澪の優しげな微笑に、卓也は、だんだん照れ臭くなってきた。




 朝食を終えた後。

 卓也は、何処かに電話をかけたが、繋がらないようで困惑していた。


「どうしたの?」


「ああ、やっぱり、親父の電話通じない。

 あの電話番号も、検索した範囲では該当がないなあ」


「やっぱり、神代重鉄鋼も?」


「ああ、ない。

 ところがさ、別なものはあったんだ」


「え、ウソ。何なに?」


「ああ、これを見てくれ」


 そう言うと、卓也はPCの画面を澪に見せた。


 そこは、とある企業のWEBサイト。

 動画で各所が動いたり、マウスをあてがうと自動的に一部が展開してコンテンツが浮き出たりする、所謂“業者に作らせたのがミエミエ”の、古臭い構造のサイトだ。

 中小企業のようだが、沿革を見る限り全国各所に営業所があるようで、そこそこ大きな規模を誇ってはいるようだ。


「この企業が、何かあるの?」


「画面の右上を見てくれ」


「右上――あっ!」


 澪が、小さな声を上げる。

 そこには「大ローゼン株式会社」と記された社名ロゴが表示されていた。


「ここが、あのお金の振込元?」


「うん。だが事業内容とか見ても、俺の会社とは全然違うし、関わりもなさそうだ。

 ましてや振込代行とかやってる感じでもない」


「益々おかしいわね。

 だったらどうして、そんな会社が、あなたにお金を振り込み続けたのかしら?」


「まったく、わからん」


「卓也の社員証はある?」


「ん、これ」


 青い首紐が結び付けられた、ソフトビニール製のカードケースに入った社員証。

 そこには卓也の顔写真と名前、そして勤務先の「大菊輪商会株式会社」の記載が確認出来る。

 澪は、社員証を何度もしっかり確認し、卓也の顔を覗き込んだ。


「偽造じゃなさそうね」


「偽物だって思ってたのかよ!」


「卓也、明日、会社行くでしょ?」


「そりゃあもちろん」


「ボク、家に居るから、何かあったら電話して」


「え?」


「ボクの予想が当たってたら、明日、ちょっとしたことが起きる筈だから」


「??」


「お願いね」


 澪は、何故か神妙な面持ちで念を押してくる。

 その真意を測りかねた卓也は、とりあえず、彼の言う通りにすることにした。



 その日は、澪から何か仕掛けてくるようなこともなく、ごく普通に、自然な流れで生活し、そして就寝に到った。

 安堵した卓也は、同時に、なんだか気が抜けたような気分にもなっていた。





 翌日、休み明けの月曜日。

 朝六時半に起床した卓也は、それより早く起きて朝食やスーツの準備を整えてくれていた澪のフォローで、非常に快適な朝を迎えていた。


「ありがとう、本当に助かるよ!」


「どういたしまして」


「あ、俺、お昼は社食で食べるから。

 澪は、何か好きなものを食べておいて」


 そう言いながら、小遣いを渡す。

 だが澪は、それを受け取りつつも、昨日のような神妙な面持ちで卓也を見上げてきた。


「昨日も言ったけど、もし、おかしなことがあったらすぐに電話してね」


「わかったけど、なんか怖いなあ」


「あと、ボクもちょっと調べたいことがあるの。

 留守の間、パソコンを使わせてもらってもいい?」


「ああ、構わないよ。

 じゃあ、ログインしとく」


「えっちな画像は調べないから、安心してね」


「絶対調べる気満々だろそれぇ!!」


 卓也は、サブドメインを作成して澪専用のアカウントを作成し、PCを預ける。

 それを見た澪は、案の定、不満げな顔になった。


「じゃあ、行って来ます」


「行ってらっしゃい」


「帰宅前に連絡するから」


「はーい」


 挨拶を交わし、マンションを出る。

 卓也は、「なんだか新婚夫婦みたいなやりとりだなー」と一瞬考えたが、慌てて頭を振った。


(お、落ち着け! 澪は男だぞ!

 そんじょそこらの女じゃ歯が立たないくらい美形だけど、男なんだぞ?! 惑わされるなぁ!)




 卓也が外出したのを確認すると、澪はしっかりを施錠を確認し、彼から借りたパソコンに向き合う。

 ログインすると、慣れた操作でブラウザを立ち上げ、「イーデル株式会社」の公式サイトにアクセスする。

 ユーザーログインページを開いた後、澪は、素早いキータッチで何かを入力し始めた。 



 




 七時二十五分。

 最寄り駅のいつもの改札を通り、いつものホームで電車を待つ。

 遅延がなければ、卓也が辿り着いてものの数分もしないうちに電車がやって来る筈だ。

 しかし、その日は不思議と電車が来ず、またホームに並ぶ人の数も、心なしか少ないようだ。


(おかしいな、時間間違えたか? ――いや、合ってるな)


 時計を確認し、いつもの時間であることを認識する。

 しかし、電車は十分経ってもやって来ない。

 十二分くらい過ぎた辺りで、ようやくホームに大勢の人が集まり始めた。

 だが、


(あれ、いつもの顔ぶれと違う)


 長年同じ時間帯の電車で通勤していると、たとえ勤め先や名前を知らなくても、毎朝見かける“馴染みの顔”が何人が出来るものだ。

 卓也の場合も、それで何人か良く会う人達がいる。

 だが今朝に限り、そういった顔ぶれが全く居ない。

 やがて、電車がようやくやって来た。

 電光掲示板には、特に遅延情報は表示されていない。


(ダイヤが変わったのかな? でも、そんなアナウンスなかったぞ?)


 幸い、いつも始業三十分近く前に会社に着くようにしているので、遅刻にはならないが。

 しかし卓也は、言い知れぬ不安を抱き始めていた。

 まるで、初出勤の勤務先に行く時のような。


(なんだかなあ。もう六年以上通ってるのに、こんな気分を味わうなんて)




 会社の最寄り駅に着き、大勢の会社員達の流れに紛れ、自分の会社を目指して歩く。

 なんだかんだで、ここまで来ればいつもと同じだ。

 気のせいか、何人かが、自分の方を振り返っているように感じる。

 いささか嫌な気になったが、あえて気にせず、卓也は自分の勤務先をひたすら目指した。



 いつもより十五分ほど遅れて、会社に到着する。

 ここは、自動改札のような機械に社員証を当ててから入場するシステムになっている。

 いつものように流れに乗り、鞄から社員証を取り出し、読み取り機に当てる。

 だが、


 ビーッ


 エラー音が鳴り、ゲートが開かない。

 

「あれ?」


 再度読み込みを行うが、エラーは一向に収まらず、中に入れない。

 焦った卓也は、後ろで詰まっている人達に詫びながら列を離れると、近くに居る警備担当者に声をかけた。


「すみません、なんかエラーが出て入れないんですが」


「はい、ちょっと社員証をお借りしていいですか?」


 警備員に社員証を手渡し、数分待たされる。

 しばらくすると、困り顔の警備員が、社員証を手でくるくる回しながら戻って来た。


「あれ、よく見たらあんた神代さん? 商品開発課だった?」


「はい、そうですけど」


 警備員は、何故か先程と違い、胡散臭そうな目でこちらを見つめている。

 いつも挨拶をしている間柄だが、こんな態度を取られたのは初めてだ。


「あの、なんかの故障ですかね?」


「あのね、神代さん。

 あんた、何しに来たの?」


「は?」


「この社員証、まだ返してなかったの?

 じゃあ、私から返しておくから」


 そう言うと、警備員は卓也の社員証をポケットに押し込んでしまう。


「いやいやいや、何言ってんですか!

 返してくださいよ! それないと入れないじゃないですか!」


 慌てて取り替えそうをするが、警備員はすっと身をかわす。

 と同時に、呆れたような溜息を吐き出し、まるで子供に言い聞かせるような口調で呟いた。


「神代さん、あんた、もうここ辞めて二年も経ってるでしょうが」


「はぁっ?!」


「どうしたの、早く今の会社に行かないとヤバいでしょ。

 こんなとこに来てる場合じゃないよ?」


「ちょ、あんた、何言ってるんだよ」


「とにかく、もうあんたはここの社員じゃないんだから、出てって」


「わ、わぁっ?!」


 神代は、大勢の社員達が行き来するエントランスの中を、警備員に羽交い絞めにされたまま引きずられていった。






「……やっぱりかぁ」


 ふう、と大きな息を吐いて、澪はソファの背もたれに身体を投げた。

 天井を眺めながら、何ともいえない複雑な表情を浮かべる。

 パソコンのモニタには、先程と同じ、イーデルのWEBサイトが表示されたままだ。


「ロイエの会員制ページに入れない。

 ――というより、ロイエ自体が、いないみたい」


 澪は、フローリングに広げた自身の契約書を、横目で眺めた。





「やっぱりここ、ボクの居た世界じゃない」

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