第2話『性別詐称は勘弁してください!』
季節は、冬も押し迫る時期。
最近は夜も冷え込むので、ソファやフローリングの床で寝転がるのは自殺行為だ。
まして電気代節約の為、極限まで暖房を使用しない主義の卓也の部屋は、かなり寒くなり始めている。
いくら「招かざる客」とはいえ、澪に風邪を引かせかねない選択をするほど、卓也は腐ってはいなかった。
だが、元々疲労困憊の状態で、しかも飲酒までして寝落ちしていた状況。
卓也は、飲み残していたビールを無理やり開けると、ベッドの奥の方に潜り込んでしまった。
ものの数秒も経たないうちに、寝息が響き渡る。
その様子を、澪は、ただ静かに見つめていた。
シュルリ……
照明が消された寝室の中に、衣擦れの音が、微かに鳴った。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-2『性別詐称は勘弁してください!』
朝日が、カーテンの隙間から真っ直ぐに差し込んでくる。
それに反応し、卓也は、深い眠りから解き放たれた。
どのくらい眠ったのだろうか。
スマホで確認しようとして、いつも置いている枕元を手で探るが、見当たらない。
(あれ、リビングに置きっ放しにしたっけな?)
やむなくベッドから起き上がろうとしたその時、何か大きく温かいものが手に触れる。
「ん……っ」
甘く微かな吐息が、耳に届く。
一瞬何が起きたか理解出来ず、パニックに陥った卓也は、自分と背中合わせで眠っている“誰か”の存在を、ようやく意識した。
「うぇ?!
――って、ええっ?!」
自分と同じベッドに寝ているのは、長い黒髪の少女。
朝陽に照らされたその髪は、まるでこの世のものとは思えないような透明感と滑らかさを感じさせ、輝いている。
そして何より、白く透き通るような美しい肌。
髪の隙間から覗く白い柔肌のあまりの美麗さに、卓也は、思わず息を呑んで見入った。
(え、これ誰――
って、あっ! き、昨日の飛び込み訪問女?!)
徐々に、夕べのやりとりが思い出される。
脳のシナプスがようやく繋がり始めた卓也は、澪の身体をまたぐようにして顔を覗き込み――慌てて元の位置に戻った。
(な、な、な、なんで、裸なんだ?!)
澪は、服をまったく身に着けていなかった。
卓也が起き上がった勢いでめくれた掛け布団の下からは、腰下辺りまで露出した澪の肢体が覗いている。
まるで彫刻のような、否、あまりにも完成され過ぎた美麗な肉体美は神々しささえ感じさせるほどだ。
それでいて、柔らかそうな肌の質感や、胸先の薄桃色の箇所などが、堪らないほどのエロティシズムを掻き立てる。
澪はまだ深い眠りに就いているようで、起きる兆しはない。
卓也は、ゴクリと唾を呑み込むと、まだ捲くれていない部分をも確認しようと、そっと手を伸ばす。
男の子だから、そうせざるを得なかった。
仕方なかったのだ。
――クシュン!
澪が、小さく可愛らしいくしゃみをする。
我に返った卓也は、頭を軽く振ると、掛け布団をそっと掛け直してやった。
(あ、あ、危ねぇ!
お、思わず、理性が吹っ飛ぶとこだった!)
以前、同僚だったか大学時代の仲間だったかに、聞いたことがある。
胸が大きいわけでもなく、お尻が大きいわけでもないスレンダー体型なのに、それでも男の性欲を駆り立てる肉体の持ち主が稀に居る。
そういう奴が、本当にエロくていい女なんだ、と。
(アホくさ……顔洗って、とっとと飯食お――
って、コイツは飯、どうすんだろ?)
しばらく考え込んでいたが、昨日は自分の必要な分しか買い物をしていないし、元から食材も尽きている事に気付き、卓也は早々に着替えを始めた。
コンビニで適当に買い物を済ませた卓也が自宅に戻ると、澪は既に起床していた。
ベッドから身を起こし、恥じることもなく、その裸身を晒しつつこちらを見ている。
卓也の思考が、止まる。
「おはようございます、ご主人様!」
「……」
「すみません、つい寝坊してしまいました!
今から着替えますので、少々お待ちください」
そう言うと、澪は下半身にタオルケットをまとわせた状態で立ち上がる。
その拍子に、スルリとタオルケットが滑り落ち、澪の全裸姿が晒されてしまった。
「あっ」
「うわっ!!」
咄嗟に顔を背ける卓也だったが、ほんの僅かな瞬間(ゼロコンマ数秒)、おかしなものが視界に映った。
タオルケットを拾い上げようとする澪の裸身を、今度は堂々と見つめる。
赤面が、みるみるうちに青ざめていった。
「おい」
「はい?」
「なんだ、それ」
「なんだそれ、といわれても」
「その、股間のモノは、いったいなんだ?!」
「え、コレ?
オポンチン」
「って、てめぇ! 男なのかよぉ!!」
室内に、卓也の怒りの声が響き渡った。
その怒号は隣の部屋三軒先だけでなく、なんと上下の階+2にまで及んだというが、それはまた別の話である。
十数分後。
「それでは、改めて説明するわね」
「ああ」
昨日の黒いドレスと違い、何故かメイド服をまとった澪は、卓也と向かい合うようにソファーに座る。
ドレスと同じように黒を基調とした上品で高価な布を使用した本格的な造りの衣装だということは、素人の卓也にも判断出来る。
しかし、何故かデザインはフレンチメイド風で、胸元と背中は大きく開いて肌が露出し、加えてスカートはマイクロミニ、しかも横に大きく広がっている形状だ。
こんな格好でうろうろされては、目のやり場に困ってしまうというパターンだ。
ともすれば、家庭内コスプレにも思えてしまうが、何故か澪が着ていると違和感が全くなく、良く馴染んでいる。
妙にゆっくりと座ろうとするため、スカートの中身が一瞬見えそうになり、卓也は咄嗟に目を背けた。
「ふふ♪」
「な、なんだよ」
「今、どこを見てたの?」
上目遣いで、薄笑いを浮かべながら、物凄くわざとらしく質問してくる。
卓也は咳払いをすると、プイと横を向いた。
「そ、それで?
なんで、君はその……オカマなんだ?」
「いまどき、そういう表現する?
別に、ボクは普通の男の子ですけど」
「普通ではないだろ!
何処の世界に、そんな格好をする男が……
って、もういいや。話続けて」
「ああ、はいはい。
えーとね」
澪は卓也の態度に怯むことなく、明るい声で説明を始める。
世界規模で活動している巨大製薬企業「イーデル」では、現在、とある特殊な薬品を製造開発しているという。
それは一般向けの開発ではなく、ある特定の層にのみ向けて作られている物なのだが、まだ臨床実験段階。
イーデルでは臨床実験のために、極秘裏に「ホムンクルス」を製造・使用しているという。
そのホムンクルスは、臨床実験終了後に特殊な教育や訓練を施され、ごく一部の限られた富裕層に向けて販売されているらしい。
そして、澪もそのホムンクルス「ロイエ」の一人なのだという。
「え? じ、じゃあ君は、人間じゃないの?!」
驚きの表情で尋ねる卓也に、澪は何故か「エッヘン!」と胸を張って返す。
「正確に言うとそう。
でも、肉体的には完全に人間と同じよ。
ただ、非合法に製造された存在だから、法律上はこの世に存在してないことになってるの」
「さらりと、スゴイ話をしてない?
それで、そのロイエの君が、何故俺のところに?」
「その前に、座る場所を変えてもいい?
ここだと話しづらいの」
「え? ああ、どうぞ」
「じゃあ遠慮なく♪」
「え?」
澪は悪戯っぽい笑顔を浮かべると、向かいに座る卓也の膝の上に座って来た。
柔らかい生の太股の感触が、ズボン越しに卓也を刺激する。
また、あの甘い香りが濃厚に漂って来た。
「ふわっ?!」
「重い?」
「そ、それは……ないけど」
「なら、いいじゃない」
そう呟きながら、澪は大きな瞳で顔を覗き込んでくる。
よく見ると、彼女の瞳はとても澄んだディープブルーで、吸い込まれそうなくらいに美しく輝いて見える。
そのあまりの美麗さに、卓也はつい見入ってしまった。
澪の両腕が、卓也の首にそっと絡まる。
「こうすると、少し楽でしょ?」
クスクス笑いながら、まるで卓也の反応を楽しむように見つめてくる。
顔を真っ赤に染めた卓也は、いつしか彼女を退けようという考えすら、浮かばなくなっていた。
(お、お、お、落ち着け俺!
コイツは男なんだぞ?!
オポンチンぶ~らぶらでヒゲもスネ毛も生えて、男臭くて……
って、イイ匂い……めっちゃ肌キレイ……)
必死で理性と抑制力を働かせ、澪の強烈な魅力に抵抗する。
だが、もはや男とは到底思えないような身体の柔らかさ、存在感、美貌、髪は、卓也の“男とは何か”という概念を全力で崩しにかかっていた。
「ボクは、あなたのお父様に正式に購入されて、その上で派遣されたの。
だから、何か特別な費用が発生するとか、妖しい契約がどうのとか、そういうのは一切ないから安心してね」
「え、で、でも」
「このおうちに入った瞬間、ボクはもう、貴方の所有物になったの。
その意味、わかる?」
「え? ど、どういうこと?」
「ボクのこと、好きにしてもいいのよ」
「え……」
「その気になったら、いつでもエッチなことを――してもいいって意味」
一瞬、脳が弾けそうになる。
卓也は、これまでの人生の中で、澪に匹敵するほどの美女を見た記憶がない。
否、性別はともかく、それくらい極上天使クラスの美貌と要望の持ち主が、自分の膝の上に乗っているのだ。
間近で見たら、例えば女性なら化粧の痕跡が見えたり、何処をどうメイクしているのか等、なんとなくわかってくるものだが、澪にはそれが一切ない。
切れ長の目、小さくスリムに整った輪郭、すらりとした鼻立ち、そしてぷるんとした愛らしい唇。
見つめていると、本当に吸い込まれそうなほどの美しさだ。
そんな相手に、こんな刺激的なことを囁かれてしまっては。
卓也のカイザーソードも、天空を貫こうというものである。
「って、待て待て!
男同士で、いったいナニをしろってんだ!?
俺、そ、そういう趣味は一切ないぞっ!」
それでも、あらん限りの抵抗を試みる。
だが、澪はまるでそんな態度など見通しといわんがばかりの態度で、更に視線を絡めてくる。
「本気でそう思ってる?」
「ど、どういう意味だよ?」
「さっきから、ボクの脚に、固いのが当たってるんだけど」
「え……えっ?!」
慌てて引き剥がそうとする卓也に抵抗するように、澪はぎゅっと抱きついてきた。
長く柔らかい髪が、卓也の頬をくすぐる。
「心配しないで。
ロイエは、そういう訓練も受けてるから」
「く、訓練?」
「ご主人様を、満足させるための、ね♪」
耳元に届く、甘くせつない囁き。
だがそれに反応するより早く、澪の唇が卓也の唇に重ねられる。
小さな舌が口内にねじ込まれ、口腔内をくすぐっていく。
(う……ふぁ、ファーストキスが……男と、だとぉ?!)
突然のことに呆気に取られる卓也は、なすがままになるしかない。
心は戸惑いつつも、カイザーソードはもう色々と限界を迎えそうになっていた。
「ふふ♪
ちょっとお膝に乗っただけで、もうこんなになってる」
澪の右手が、淫靡に蠢く。
「お口で、してあげようか?」
あまりにも甘美な、抵抗しがたい「誘惑」。
卓也は、まるで蜘蛛の巣に捕らえられた蝶のように、自分では如何ともしがたい状況の追い込まれる。
(だ、だ、だ、ダメだ! 負けるな卓也! うおぉぉぉ、燃えろ俺の
卓也は、それでも必死に抵抗を試みた。
「そ、それより! き、き、昨日の話なんだけどさ!」
かろうじて搾り出した質問に、澪は小首を傾げる。
その可愛らしさに、無意識に喉が鳴った。
「俺の親父だけど、なんで生きてることになってるんだ?
もう十年前にくたばってるんだよ。
葬儀もちゃんとしたし、骨だって拾ってる。
昨日のあの電話はいったい誰なんだ? 声は確かに……そっくりだったけど」
いきなり雰囲気を壊され、ふてくされ顔になった澪は、頬をぷぅっと膨らませる。
「それ、夕べも聞いたけど。
神代孝蔵様は、亡くなられてなんかいないわよ。
それに神代重鉄鋼なんて、今は中東アジアや欧米にも進出している、世界的な大企業じゃない」
「はぁ? それ、どこの異世界の話?
確かに、うちの会社は親父の代まで三代続いたけど、せいぜい国内でヒーヒー言ってる程度の零細企業だったんだぜ?」
相変わらず、話が全く噛み合わない。
しかし卓也は、何故か澪の言うことが、丸々全部ウソだと断ずる気にはなれなかった。
一晩寝て冷静に考えた末、どういう経緯で彼女――否、彼がここに来たか、その理由を知りたくなったのだ。
「なんか、話がおかしいわよね」
「話がおかしいだろ」
「もう一回、電話してみる?」
「ああ、そうだな。
それに、ネットで検索してみればわかるよ。
神代重鉄鋼のことも」
そう言うと、卓也はスマホを取り出し、ブラウザを立ち上げる。
検索エンジンに「神代重鉄鋼株式会社」と入力して検索してみるが――
「――アレ?」
「な、俺の言った通りだっただろ?」
検索結果には、似た名称の他企業名こそ表示されたものの、“神代重鉄鋼”などという会社名は、一切表示されなかった。
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