押しかけメイドが男の娘だった件

敷金

第一章 男の娘メイドと異世界の旅立ち編

第1話『深夜にメイドがやって来た?!』




 その日、神代卓也(かみしろ たくや)は疲労の極地にあった。


 月曜日から五連続の残業四時間、加えて一時間前の出社。

 しかも、これで五週目だ。

 繁忙期にも関わらず、部署内から連続で三人も退職者が出た穴埋めだったのだが、あまり要領の良くない卓也がその大半を一人で引き受けざるを得ない形になったためだ。


 帰宅してほんの一時間程度の自由時間、その間に夕飯と風呂を済ませ、就寝しなければならないのだが、幸いにも峠は越したし、何より明日は土曜日、久々に憂いのない休日だ。

 今夜はもう時間を気にせず、寝落ちするまでPCを向き合おう。


 そして、孤独を癒そう――そう思った。


 

 三十一歳彼女ナシ、加えて童貞。

 それどころか、女性の手を握った経験すらない。

 最後に、仕事と無関係の会話を女性と交わしたのは、いったい何年前だったか。

 幾度も苛まれた孤独感も、既に案れてしまって久しい。

 否、実際はそうでもないのかもしれないが、少なくとも自分はそう思うようにしていた。


 そうでなければ、この、誰も待っていないマンションの空間が、あまりにも侘し過ぎるから。


 大して飲めもしないのに、何となくで買ったビールを開け、半分くらい飲んだところで手が止まる。

 食べかけのコンビニ飯もそのままに、空ろな目でPCのモニタを見つめていた卓也に、いつしか強烈な睡魔が襲い掛かった。


 ――ああ、また、このパターンで……寝落ちか――


 卓也の意識が、プツンと途絶えた。








     ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■



        ACT-1『深夜にメイドがやって来た?!』






 ――ピンポーン



 いつの間にかうとうとしていた卓也は、突然のチャイムの音で意識を取り戻した。

 時計は、もう午前0時を指している。


「こんな時間に、誰だ?」



 ――ピンポーン


 二度目の音。

 夢うつつの幻聴ではない。

 インターホンの受話器を取り、どなたですかと呼びかけると、向こうから聞き慣れない女性の声が聞こえて来た。


『神代卓也さんの御宅ですね』


「え? はい」


『お約束しておりました、澪(みお)と申します』


「悪いけど、間に合ってるんで」


 キャッチセールスの類と解釈した卓也は、眠りを妨げられた怒りと、非常識な時間帯にやってくる苛立ちが合わさり、受話器を叩きつけようとする。

 だが、


『本日から、こちらに来る事になった者です。

 とにかく、中に入れてくださらない?』


 受話器から聞こえて来たそんな言葉に、受話器を取り直す。


「あー、もしかしてフーゾク的な何か?

 俺、頼んでないですよ」


『こんな時間にそんな訳ないでしょ。

 詳しい説明は中でしますから。

 いつまで独りで突っ立たせておくつもり?』


(あぁ? なんだよ、コイツ)


『貴方のお父様からの指示で来たんですよ。

 寒いんで、早く中に入れてよね、もう。

 さもないと、ここで泣き喚きます』


「だぁっ?! ちょ、待っ」


 強い口調で迫られ、つい反射的に入り口へ走ってしまう。


 ドアスコープを覗いてみると、そこには大きなスーツケースを持ち、黒い上品なドレスをまとった、黒のロングヘアの美少女が一人佇んでいた。

 当然、見覚えなど全くない。


「君が、今話した人?」


『ドア越しに挨拶なんて酷いのね。

 早く入れて欲しいんだけど』


「う、うん」


 なんだか、随分強気な娘らしい。

 これ以上大声を出されて周囲の住民に勘ぐられるのも嫌なので、卓也は、一先ず少女を招きいれる事にした。

 ようやく迎え入れられた少女は、思い切りふてくされた顔で卓也を睨みつけて来る。

 切れ長のつり目が、妙な迫力をかもし出す。


「初めまして。

 イーデル社のロイエ、澪です。

 本日より、どうぞよろしくお願いします」


「イーデル? あの製薬会社の?」


「ええ、そうよ。

 って、あなた、神代卓也さんよね?」


「ごめん、ちょっと話が見えない。

 まず入ってよ」


「……」


 リビングに招き入れ、ふと時計を見る。

 いつの間にか日付が変わっていたようで、もう午前零時七分を差している。

 しばらくの沈黙の後、澪は、どこから取り出したのか、分厚い茶封筒を手渡した。


「契約書です。

 正式な譲渡証明となりますので、ご確認ください」


「譲渡? いったい何の?」


「いい加減にして欲しいんだけど」


「だから、何がなんだか全然わからないんだよ。

 そもそも君は何者だ?

 イーデルとかロリエとか、何なんだよ?」


「ロ“イ”エ!

 そう、何にも聞いてないのね、わかったわ」


 澪は茶封筒を自ら開封し、書類をテーブルの上にざらっと並べると、その中からソフトケースに収められた書類を選び出して、卓也に突きつける。

 そこには、



“私、神代孝蔵は●月○日付を持ちまして、購入したロイエ・澪の所有権及び管理権限を

 息子である神代卓也に全て譲渡する事をここに誓います。


 ●月▲日 神代孝蔵”



 と記されており、捺印までされていた。

 その下には受理証明と思われるイーデル社側の署名と社印が確認できる。

 書類の端には箔が押され、綺麗な模様の組み込まれた上等な紙質の物が用いられた書類で、見た限り、偽造書類の類には思えなかった。


 しばらくの間を置き、卓也は、譲渡内容の文をようやく理解した。


「澪って、君の名前だよね?」


「そうよ」


「譲渡って、親父が、君を? 俺に?」


「ボクでは不満だって言うの?」


「いや、譲渡って意味がわからない。

 第一、俺の親父は――」


「ボクの習得技能については、二冊目の冊子――ああそう、それよ。

 取扱説明書に明記されているわ。

 一応でいいから、軽く目を通しておいてね」


「取扱説明書ぉ?

 なんだよこれ、充電方法とか故障時の確認方法とかあるのかよ」


「人を何かの家電みたいに言わないでよ」


「ねえ、それより――」


 ソファから立ち上がると、澪は何を思ったか、卓也の隣に座り直した。

 ふと、コロンの甘い香りが漂う。

 卓也の心臓が、ドクンと脈打った。


「もうこんな時間だし、詳しい話は明日の朝にして。

 今日はもう、休まない?」


「え、えぇ?

 と、泊まっていくってこと?」


「そうよ、ボクは今日から、ここでご厄介になるんだから」


 澪のとんでもない呟きに、卓也は反射的に奇声を上げた。


「はぁ?! ちょ、待って?!

 何ソレ、君は!

 見知らぬ独身男の家に転がり込んで、平気でそーいう事しちゃう系?!」


 何故か胸元を手で覆い隠すような仕草でドン引く卓也の態度に、澪は小首を傾げた。


「……ねえ、なんか、話が噛み合わなくない?」


「う、うん。さっきからそんな気がしてた」


「あなた、神代卓也さんよね?

 199X年△月▼日、山G県余M市出身の三十一歳で、血液型はB型で」


「そ、そうだよ?」


「神代重鉄鋼株式会社の現社長・神代孝蔵氏のご長男で――」


「は?」


 澪の言葉を、思い切り顔をしかめながら遮る。


「かみしろじゅうてっこお? 今、そう言った?」


「え、ええ」


「しかも、現社長?!

 ははは、そいつぁお笑いだ」


「は?」


 目だけ笑ってない笑顔を向けると、卓也は、コホンと咳払いして澪を遠ざけた。


「あのさ、どこからうちの家業の話を聞いてきたのかわかんないけど」


「う、うん?」


「神代重鉄鋼は、確かにうちの親父の代まであった会社だよ?

 ――十二年前までな!」


「へ?」


「とっくに倒産してんだよ!

 それに、親父の孝蔵も十年前にくたばってる!

 だから、こんな書類にサイン出来るわきゃあないだろ!」


「ええぇっ?!」


「いったい何のつもりなのか知らんけど、詐欺話になんか乗らないぞ。

 第一、俺そんなに金持ってねーしな!

 はいサヨナラ、とっとと出て行ってくださいー☆」


「きゃあっ?! ちょ、ちょっと待ってってばぁ!」


 無理やり肩を押されて玄関まで連衡されながら、澪が抗う。


「そ、そんな話、ボクも聞いてないわよ!

 第一、昨日孝蔵さんと直接話ししてるもの!

 電話でだけど!」


「まーたまた、そんな見え透いたウソを」


「本当よ!

 じゃあ、そこの書類に書かれたところに電話してみてよ!」


 そう言うと、澪はリビングの方を指差す。

 余りに必死に食い下がる彼女の態度に、卓也は、先程とは違う意味での違和感を覚え始めていた。


(まさか、死んだと思った親父が生きていた、だと?!

 いやいやそいんなバカな!

 だって俺、アイツの骨を骨壷に入れたんだぜ! 火葬する直前にも顔見てるし)


 なんだが、オカルト的な意味で怖くなって来た卓也は、澪の言うがままに書類を確認すると、父親の連絡先とされる電話番号に、恐る恐る架電してみることにした。



 Prrrr......

 Prrrr......


 ガチャ


『もしもーし』


 スピーカーの向こうから、聞き慣れた……否、出来れば二度と聴きたくなかった、あの忌まわしい声が響いて来た。

 卓也の背筋に、冷たいものか迸る。


「あ、あの……お、親父?」


『なんだ、卓也か?

 こんな時間になんd――あ、そうか!』


「えっ?」


『澪ちゃんのことだな? そうか、今着いたか!

 ワハハ、以前からお前に散々ねだられていた娘だよ。

 無理してやっと買えたんだからな、大事にしてやれよ?』


「え、ちょ、待っ」


『んじゃ、俺は明日出張で早起きだからもう寝るぞ!』


 ガチャ


 ツーッ、ツーッ……



 一方的に、電話が切られる。

 卓也は、信じ難いものを見たような青ざめた顔で、澪を見つめた。


「あんたら……冥界の使者?」


「何言ってんのよ。

 相変わらずでっかい声だったわね。

 とにかく、ボクがウソ言ってるわけじゃないって、理解した?」


 腰に両手を当て、えっへんポーズでドヤ顔する澪に、卓也は、言葉を紡ぐことが出来なかった。



「ねえ、ご主人様?」


「ひぃ?! な、何その呼び方?!」


「さっきの続きだけど、今夜はもう休んで、明日詳しい話をしましょう?

 どうもお疲れみたいだし、絶対その方がいいわよ」


「う、うん、確かに。

 んでも、この部屋、ベッドが一つしかないんだよ。

 だから俺が今夜は――」


 そう言ってソファを指差そうとすると、その手を取り、澪は何故か妖艶に微笑んだ。

 改めて見る、その美しさに、卓也は思わず吸い込まれそうな錯覚に陥った。


「だったら、一緒に寝ればいいじゃない」


「は、はぁ?!」


「だってこれから、ずっとここで一緒に暮らして行くのよ?

 なら、そのくらい……普通に、するでしょ?」


「ふ、ふ、ふ、普通に、な、な、ナニをするのかなー?」


「やだ、声がうわずってる。超カワ♪」


「いや、あのその」


 顔中を真っ赤にして慌てふためく卓也に、小悪魔めいた微笑を向けると、澪は突然、ブラウスの胸元のボタンをいくつか外し始めた。



「ボクは――いいですよ?」



 少し首を傾げるように、薄い微笑みを交えて真正面から見つめる。

 彼女の美麗な顔つきと、唐突に漂い始めた妖しい魅力に捕らわれ、卓也は、一瞬で正常な意識を奪われた。


 ――が。


 ビビビビビビビビビビビ!!!


「ふえっ?!」


 澪が、ビビる。

 なんと卓也は、突然に自分の両頬を手で連打し始めた。

 

「す、すごい!

 ビンタでビビビって音出せる人、初めて見たぁ!」


 おかしなところに注目する澪をよそに、卓也は、必死で自分に言い聞かせていた。



(これは夢だ、これは夢だ!

 美少女が同棲希望とか、死んだ親父が生きてるとか、そんなたまげた事が現実にあるわけがない!

 目覚めろ卓也! このままでは魔道に堕ちてしまうぞ多分きっと恐らく!)




 自分の顔が1.5倍ほどに膨らむまで、卓也の奇妙な自己ビンタは続けられた。




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