軋む青(4)

 庭園にある花柄の装飾がされたベンチに腰かけ、紗江子と亜希子が笑顔でお喋りを続けていた。暇を持て余したアリスが、先程から相手をしてもらっている緋菜を連れ出し、花壇で揺れている花の名前を尋ねている。


 屋敷から連れ出された雪弥は、噴水の枠に腰を下ろしてその光景を眺めていた。そばのテーブルセットには、一緒に移動してきた桃宮勝昭と蒼慶が腰かけており、そこには宵月が当然のような顔をして立っていた。


「そうですか。アメリカの大学を飛び級とは、素晴らしいです」


 そう言った桃宮が、目尻に柔らかな笑い皺を浮かべて、真っ直ぐこちらを見つめてきた。

 彼らの話を全く聞いていなかった雪弥は、まさか話題を振られると思っていなかったから、どうにかぎこちない愛想笑いを返した。一体、兄はどんな感じで、僕の大学の件を『世間話』に盛り込んだのだろうか、と思う。


「えぇと、そうでもないですよ」


 雪弥は適当に答えながら、先程からずっと考えていた事へチラリと意識を戻した。最後に宵月が伝えてきた『蒼慶の伝言』が、頭にこびりついて離れないでいる。



――侵入者は人間ではないのかもしれない、だから気を付けろ。



 人間ではない、といわれると、どうしてか夜蜘羅という男が連れていたモノが思い出される。

 どんなに攻撃を与えても痛みを感じないように動き続けて、手足が有り得ない方に曲がったり伸びたりしていた存在だ。アレは前回の仕事で、とある『薬』によって変化した大学生のようなものとは、全く別とも感じていた。


 どう違うのかと言われれば、表現がちょっと難しい。なんというか、元々アレは『あのまま』が本来の姿と形なのではないか、という直感的な想いと印象を抱いているというか――


 そう思案しつつ視線をそらした雪弥は、ふと、庭園の通路脇に設けられたベンチに腰かけている紗江子と目が合った。すぐに微笑みを返されて、戸惑う。つい、自然と笑顔が作れないせいで片頬が引き攣ってしまった。


「あの子、昔からあんな笑い方なんですよ。困ったみたいな、ぎこちない感じの」


 こちらを見た亜希子が、そう言って「誰に似たのかしらねぇ」と小首を傾げる。


「たまに腹の底から、笑わせてみたくなったりもしますわ」

「きっと優しい子なのでしょう。私の夫も、ずっとそうですもの。ね、あなた?」


 こちらまで聞こえるような声で促された桃宮勝昭が、「そうかなぁ」と疲れ切った目元を細めると、困ったようにして笑った。向かいの椅子に腰かけていた蒼慶が、腕を組んだまま一同を軽く見渡して、椅子の背にもたれかかる。


 婦人方は気にした様子もなく、お互いの顔を見合ってお喋りを再開した。その上品な笑い声を聞きながら、雪弥は蒼慶の方へと視線を戻した。


 蒼慶は腕を組んだまま、どこかしらばっくれるようにして、少し休憩でも挟むかのように空を仰いでいた。そんな彼の傍に立ち続けている宵月が、横目をこちららへと向けてじっと見つめてきた。

 雪弥は、宵月の視線に何か、含みがあると気付いて「なんだ……?」と訝った。じっと見つめ返していると、彼の瞳孔が少し右へと動いて、辿ってみた視線の先には桃宮勝昭の姿があった。


 桃宮は、開いた両足の間で手を組み、口元に小さな微笑をたたえて妻達の様子を見つめていた。その眼差しは、想いやりや愛情に満ちているように見えたが、目尻に何本もの入った線がひどく疲弊した気配を漂せている。その細められた瞳が、紗江子からアリスへと移ると少しだけ和らぐ。


 ふと、桃宮の喉仏が上下した。緊張を覚えたように、組んでいた両手に力がこめられて白くなったかと思うと、まるで意気込むみたいに短く息を吸い込む。

 それから、ふっと微笑に戻して、彼が蒼慶を振り返った。


「そういえば、この前アメリカに移住するために、買う家の下見に行ったのですが――」


 そう切り出した桃宮の話は、耳に入って来なかった。雪弥は、どこか違和感を覚えて内心首を傾げていた。ちらりと宵月に目配せすると、彼は僅かに首を左右に振って見守る方向の意思を伝え返してくる。


「なるほど、それは運が良かったな」


 蒼慶が、悪意のない雰囲気で唇の端を引き上げ、桃宮の話に相槌を打った。


「そういう家は、滅多に見つからんだろう。ご婦人と共に下見に行かれたのが、幸運を引き寄せたのかもしれないな?」

「そうだと良いのですけれど。わたくしとしては、その運が続いて、蒼緋蔵家のご当主様とも夕食が出来れば、と思っていましたのよ」


 話しを振られた紗江子が、小さい微笑を浮かべて残念そうに答えた。


 少し離れた場所で花を観賞している、緋菜とアリスの可愛らしい声が聞こえてきて、亜希子がそちらを一度見て、それから視線を戻しつつ口を開く。


「そうですわよね。あの人も、早く戻ってこられればいいのですけれど……はっきりとした帰宅時間も分かりませんの。今夜には戻ってくるとおっしゃっていたのですけれど、もしかしたら、本日中に戻れないかもしれないらしくて」


 ごめんなさいね、と亜樹子が申し訳なさそうに謝った。


「あの人、急に仕事が増えたみたいで、最近はずっと忙しい時間を過ごしているんですよ。その延長で、今日も急にスケジュールが埋まってしまったみたい」

「あの方とお話をされたいと思っている方は、大勢いらっしゃいますもの、仕方ありませんわ。早朝一番に出なければいけませんので、ゆっくりお話出来るのも今夜くらいなものでしたが、またの機会を楽しみにしておりますわ」


 あまり無理をなさらなければいいのですけれど、と紗江子が同年代の当主を想いながら、蒼慶にも向けてそう言った。亜希子が年上の夫を浮かべて「同感ですわ」と、頬に手をあてて小さく吐息をこぼした。


 雪弥は、そんな紗江子ぼんやりと眺めていた。おっとりとした口調で、のんびりと話す彼女を見ていると、やはり亡くなった母の事が思い出された。身体の細さも違っているのに、仕草も話し方も、まるで母の紗奈恵にそっくりに思えてくる。


 その時、蒼慶が「母上」と亜樹子に声を掛けた。


「せっかくだ、少し馬を見せてやっては? 確か、桃宮婦人も乗馬が趣味だと伺っている」


 突然呼ばれた亜希子が、「そうだったわ」と掌に拳を落とすと、思い出したように立ち上がった。


「紗江子さん、うちにとてもいい馬がいるのだけれど、見に行かれます?」

「ふふふ、見たら乗ってしまいたくなりますわ」

「あら、それ大歓迎ですわよ」


 亜希子が、自身よりも年上の紗江子に手を差し出した。ゆったりと足を組み直した蒼慶が、チラリと目配せして、宵月がすっと動く。


「わたくしがご案内致しましょう」

「あら、いいの? じゃあ宜しくお願いするわ」


 立ち上がった紗江子の前で、亜希子が気の強そうな表情を浮かべてそう言い、続いて蒼慶の方を見やった。途端に綺麗な若作りの顔を怪訝そうに顰めると、少し顎を引き上げるようにして見下ろす。その様子は、息子である彼にそっくりである。


「蒼慶、少し宵月さんを借りるから、緋菜とアリスちゃんをよろしくね? 緋菜には言い聞かせてあるけど、あの子もちょっと、おっちょこちょいなところがあるし、アリスちゃんもまだ小さいから、二人が噴水に落ちてしまわないか、気を付けて見ておいてちょうだい」

「ああ、分かってる」


 蒼慶は答えながら、彼女から目をそらすようにして、奥の方にいる緋菜達を見やった。

 昔から妹を大事にして、面倒見がいいともろもあるからなぁ。そう思って見守っていた雪弥は、ふっと亜希子の顔がこちらへと向いて、反射的に身を強張らせてしまった。彼女が先程と打って変わった笑みを浮かべると、にっこりと笑って爽やかに声を掛けてくる。


「雪弥君も、二人を宜しくお願いね。蒼慶が暴走しそうになったら、絞め技かけるか足を踏んでも構わないから」

「……それ、今もやってるんですか? というか、僕が兄さんにそんなこと出来るわけがな――」

「いいわ、私が許可するから」


 に~っこりと、亜希子が有無を言わせない満面の笑顔を浮かべた。


 雪弥は、蒼慶からギロリと睨みつけられる視線を感じた。頼むから両側から『笑顔』と『威圧する睨み顔』で、同じ空気感の脅しをかけないで欲しいなぁと思いながら「えっと、その……分かりました」と答えて、曖昧に頷いて見せた。

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