第一話【ライルとティナ】Ryle and Tina

傭兵剣士と炎の精霊使い Mercenary Swordsman & Elemental Master of Fire

 一人の女性が腕組みをしながら相方の準備を待っている。はあっ、と小さな溜息をつくと、彼女の両耳にある紅玉のピアスが揺れて煌めく。実用も兼ねたその装飾品は、彼女の奔放な美しい赤毛に似合って、その魅力的な肢体を際立たせていた。それぞれのピアスには、炎の精霊・火蜥蜴サラマンダー達が封じられている。



いつもより遅めだ。

どうやら今日は念入りに確認しているらしい。

一昨日、きつめに突っ込みを入れたのが功を奏したか。

まあ、それでもあいつはきっと……



彼女の予想では、相方は必ず何か忘れ物をする。



 この前は肩当てを忘れて、そこに傷を喰らっていた。その前はすね当てをつけ忘れて、どこかで泣き所を打って悶絶していた。いつの間にか、彼が姿を現した時、チェックしてやるのが彼女の役割の一つになってしまっていた。剣の腕は確かに立つ男なのだが。



「おしっ、もうバッチリだ。待たせたな、ティナ」



 ようやく相方が装備を整え終わったらしい。彼女より頭一つ高い大柄なその男は、ミスリルの肩当てに薄手のチェインメイル、鋼鉄のすね当てといった、これから始まるであろう激しい戦闘に対しては、比較的軽装で彼女の前に姿を現した。どの防具も、かなりの戦闘をくぐり抜けてきたのだろう。ミスリルの肩当てなどは、ボロボロの銅製の肩当てとしか思えないくらいだ。



そんな相方の姿を、彼女はまじまじと見詰めている。

……予想通りだった。

しかも、今度の忘れ物は、特にひどい。



「ライル。あんた、剣はどうしたの?」

「お!? そうだった、そうだった」



 慌てて男は陣幕に戻る。彼女はまた、大きな溜息をつかざるを得なかった。こんなんで、この男はよくもまあ数々の戦場を生き抜いてきたものだと、つくづく思う。しかし、戦場での彼の働きには、目を見張るものがある。炎の精霊使いであるティナの使い魔・サラマンダー達を打ち破った唯一の男が、このライルなのだ。



「おう、今度こそバッチリだ。こいつを忘れるなんて、今日はどうかしてる」



 ライルは束が黒い色をした愛用のバスタードソードを背中に引っさげて再び姿を現した。使い込まれたその長剣は幾つか刃毀れもあるものの、丁寧に手入れが施され、味のある鈍色の煌めきを保ち、彼の体中にある傷跡と不思議と良く似合う。状況に応じて、両手でも片手でも使えるこの長剣を、この男はこよなく愛している。



「よしっ。行きましょ、ライル。そろそろ点呼が始まる」

「今日もいっちょ、稼いでやるかな! 頼むぜ、相棒」

「任せといて。あんたもね」

「おうっ!」



---------------------------------------------


 隣国からの侵攻に端を発する戦乱は終結の糸口すら見えず、未だに混乱が続いている。しかし傭兵であるライルとティナにとって、働き口には困る事が無い。子供の頃から戦場で闘い、生き抜いてきた腕利きの剣士であるライル、そして炎の精霊使いであるティナが、お互いパートナーとして協力するようになってから三ヶ月程であるが、この稼業の者達の間では、既にちょっとした有名人となっている。



 彼らは今回も、ある傭兵部隊へと身を投じた。宗教がらみの対立から、旧来の家系からの伝統ある宗主と、それから分派して圧倒的な民衆の支持を得て宗主を名乗る男と、どちらを正統とするのかで戦が起きたのだ。先日、伝統ある宗主が暗殺された。これを受け、その報復として今回、再び争いが生じていた。



 二人はコインの裏表で、どちらにつくかを決めた。コインは裏。分派した新宗主側だった。


 ライルとティナにとって、どちらに真の正義があるのかはどうでも良い事である。闘って、生き抜いて、報酬を手に入れる。縛られない彼らにとっては、単純な事なのだ。



---------------------------------------------



 最前線の戦列が交戦を開始している。ライルとティナが配置された傭兵小隊も、間もなく修羅場へと突入する事になる。部隊長の号令がかかった。部隊の男達が一斉に剣を抜き構える。ライルも背中のバスタードソードを引き抜いた。ティナもサラマンダー達を両耳のピアスから解放する。



「我が僕達よ、封じの壁を今解かん……炎の契約に従いて、主たる我に仕え、その力貸せ。出でよ、フレキ、キリー!」



 ルビーの玉石から解き放たれた二体の火トカゲが紅蓮の炎をその身に纏い宙に舞い上がる。この炎の精霊サラマンダー達の姿を例えて言うなら、燃え盛るコモド・オオトカゲといったところか。大きさも丁度それくらいだが、彼女の右側に控える火蜥蜴フレキの方が、左側のキリーよりも一回り大きい。



『我が主よ。貴女の命ずるままに』

男性的な意志を持つフレキの声が彼女の頭に響く。


『マスター。あなたを必ずお守りします』

女性的な意志を持つキリーの決意。



 通常の武器で攻撃する事は、炎の化身である彼らには無意味だ。傷一つつけられない。戦う相手のほとんどが鋼の武器を携えているこうした戦場では、圧倒的な戦闘力を誇る。その代わり、精霊使いは使い魔を制御する臨機応変な位置取りと精神集中が必要となる為、重装備で身を固める事ができず、扱える武器もせいぜい短剣・小剣程度で、それもいざという時の為の護身用といったところだ。彼女も動きを妨げない柔らかな皮胴衣の他は防具を身につけていない。武器は腰にある短剣一本のみだ。


力では男に敵わない。


 機動力と回避に最大限重点を置いたこのスタイルが、女性でありながら炎の精霊使いとして戦場を生き抜いてきたティナの結論だ。並の男達では武器の間合いにすら入らせてもらえず、フレキの炎で返り討ちにあう。狙いすました矢も、彼女に届く前に素早いキリーが反応して瞬く間に焼き払う。



 パワーに優れるフレキは攻撃の主力として、素早さに勝るキリーは守備の要として自在に操り戦う彼女の凛々しく美しい姿は、高名な絵画に描かれる炎の女神のようだ。




 敵兵達がティナに近づけない理由が、もう一つある。彼女の相方であるこの男の存在だ。


「こっちは任せろ! 突っ込む。頼むぜ、ティナ」

「了解! フレキ、ライルの左側へ」



 危険な炎の精霊使いをなんとか倒そうと、敵兵達が頭数を揃え陣形を整えて多角的な攻撃に転ずる前に、一早くその意図を察知し、逆にこちらから素早い攻撃を仕掛けて崩しにかかる黒髪の大柄な男。ライルだ。


 普段は大雑把で陽気でどこか抜けているような男だが、子供の頃から戦場を渡り歩き今日まで生き抜いてきた男だ。修羅場でのこうした危険予測の嗅覚は、野生の獣並みに鋭い。長剣を時には両手で、時には片手で、また左右持ち替えつつ自在に操り的確に敵兵達を薙ぎ払っていくその戦い振りもまた、野性の本能が命ずるままに、状況に応じて瞬時に千変万化する。



 その剣技の大半は、型や流派など無く、数々の実戦の中で生き残る為に彼が独自に練りだした、彼自身の体と愛用のバスタードソードに最も馴染む我流の剣だ。獣のようなその俊敏な動きを妨げぬ程度の防具のみを装着している。軽さと防御効果の効率に優れたミスリル製の肩当て、薄手の鎖かたびら、鋼鉄製のすね当て。これが、様々な武器や防具を色々試してみては、痛い目を見て、時には大怪我もし、試行錯誤の末に辿り着いた彼なりの結論だ。



 この手練れの剣士が常に立ちはだかる為、炎の精霊達の隙を突いて精霊使いの女に刃を届かせる事ができないのだ。そんな隙はたちまちライルに潰されるか、炎の精霊がティナに命じられ意図的に見せた隙に誘われては、逆にライルに手痛い大技を喰らい、数人が一気に吹っ飛ばされる。




 少し敵兵が離れた際、ふーっと大きく息を整えるライル。呼吸は大事だ。戦いのリズムが整う。気合が充実していく。ティナのおかげで、今回もいい感じだ。このままいけるだろう。まあ、ヤバくなったらすぐ戦い方を切り替えて、生き残りに専念するさ。逃げる事は恥ではない。そんな余計なものを抱えて死ぬよりは、無様に逃げても生きた奴の勝ちだ。ライルはそう思っている。


 頼りになる相棒の女性も、炎の精霊達を身近に呼び戻し、乱れた髪をかき上げている。自分と同じタイミングで一息整えている様子の彼女に、男は声をかける。



「ありがとよ、ティナ。ホントに女にしとくにゃもったいねえなあ」


心からそう告げる相方に、彼女の眉が吊り上がる。


「それって、誉め言葉になってないんだけど、ライル」

「そうか?」

「当たり前でしょうが! こんなに綺麗で可愛い女のどこ見て言うか!」


感情の起伏が激しい、気の強い女性ではある。


「こんな修羅場で、背中預けられる女なんて、お前しかいねえよ」

「それはまあ、お互い様って事で。こっちだって頼りにしてんだかんね」


 彼女も胸の内で認める、この手練れの剣士の、ぶっきらぼうなこの男にとっての、この戦場での最高の誉め言葉に近い。その言葉を聞いたティナは吊り上がった眉がたちまち緩み、少し素直に照れ隠ししている様子だ。感情の起伏が激しい、気の強い女性ではある(しつこい)。


「だな。違いねえ。……また来るぞ!」

「了解!」



 ライルとティナの息の合った戦い振りは、味方を鼓舞し、敵兵を戦意喪失させ、戦況を有利に導き始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る