Blue understanding

サイド

Blue understanding

 目的は二つ。

 一つ、出会うこと。

 二つ、望むこと。

 もしこの二つが叶うなら、どんなに過酷な未来が待っていたとしても、私は後悔しないだろう。








 都内某所、ケヤキ荘の205号室。

 これまた都内某所の某高校へ通う、高校一年生の私こと水都渚(すいと なぎさ)は電柱の影に身を潜め、その部屋をじっくりと観察していた。

 もうかれこれ二時間位が過ぎ、放課後の青かった空は、夕焼けの灯火をぽつりぽつりと見せ始めている。

 いや、言っておくが、これは変態行為ではない。

 いわゆる、出待ちというヤツだ。

 ほら、男子がやると犯罪だけど、私は何をやってもステータスになる女子高生。

 問題はない、多分。


「あ」


 そしてようやく動きがあった。

 その部屋から一人の女性が出てきたのだ。

 髪型はショートボブ、やや小柄だが、全身的に細身。

 幼さを残した顔も小さくて、一目見て分かるチャーミングな女性だ。

 私は彼女が205号室から階段を下りて、アパートの敷地から出ようとした時を狙い、思い切って話しかけた。


「あのっ、朱美(あけみ)先輩ですよねっ。私、水都渚って言います!」

「え? ええ、と……?」


 女性こと、朱美先輩は目をぱちくりさせて、狼狽する。

 その初々しさ、まさに可憐。


「あ、すいません私、先輩と同じ高校に通っていて、今年の春、文芸部の後輩になったんです。怪しい者ではないです」

「あ、ああ、そうだったの。言われてみれば、去年私が着ていたのと同じ制服よね」


 先輩は一瞬、なぜか難しそうな顔をした後、神妙な様子で頷く。


「でも、私は去年卒業したOBなのに、よく知ってるのね」

「はいっ! 最近、先輩の書いた卒業文集の小説を読んで、絶対にこの人に会ってみたいって思ったんですっ!」

「そ、そうなの……」


 先輩は勢いにやや気圧された様子で戸惑いがちに目を細めるが、私は一気にまくし立てた。


「正確で、精緻で、堅牢で、でも叙情的で、明るい生命力にも溢れていて……。読者を引き込んで離さない一枚の絵画の様な作風で……。ええと、何言ってるのか自分でも分からないですが、とにかく、すごかったんです!」

「あ、ありがとう」


 私は、ぐいっと身を乗り出して語る。


「あの物語を書いたのが、こんな綺麗な女性だって言うんだから、ますますファンになっちゃいました! 朱美って名前もぴったりです! イメージ通りの、いえ、それ以上の人です! やっぱり名は体を表すって言葉は本当だったんですねっ!」

「あ、あはは、そうなの、かしら……」


 そう答える朱美先輩は頬を桃色に染めて、後輩の私に恐縮する様に俯いた。

 まるで恥ずかしがっているかの様に。


「あの、ちなみにここの住所をどこで……?」

「あ、はい。文芸部の先輩から聞きました。面白い人だから会ってみ? みたいな感じで教えてくれましたよ?」


 私の言葉に先輩は、目線を逸らして、ぐぬぬ、と唸った。

 何か、「あいつら、面白がってるなあ……」とか呟いた様な気がしたが……。


「私の今日の目標は先輩に会いたかったのと、もう一つ」


 真正面から朱美先輩を見つめて口を開く。


「もし迷惑でなければ、これからも先輩の作品を読ませて欲しいって思って、ここへ来ました」


 そんな私の自分勝手な言葉に、朱美先輩は暖かな微笑みを見せて、頷いた。


「ええ、読者がいる限り、書き続けるわ。ありがとう。そう言ってもらえると、私も嬉しい」


 私は用意していたメモ帳をポケットから取り出す。


「あの、これ、私の携帯番号とSNSのIDです。先輩の都合のいい時に連絡下されば、いつでも読みに行きます」

「うん、了解。連絡はちゃんとするから安心してね。……そろそろ私、行ってもいいかな? 研究室で課題を済ませてしまいたいの」


 私は、顔を真っ赤にして答えた。


「す、すみませんっ。私、これと決めたら他の事が目に入らなくなるんです……」

「ふふっ、気にしない、気にしない」


 朱美先輩は優しく私を咎めた。


「でも、これだけは言わせて下さい。今日、朱美先輩と出会えて、約束が出来たことは、この先何があっても、どんなに過酷な未来があっても、私は後悔しません」


 その言葉に対し、朱美先輩は、しどろもどろして羞恥に耐えるかの様に身を縮こませるだけだった。








 それから数時間後のケヤキ荘の205号室にて。


「おっかえりー、明海(あけみ)ー。プリンぷりーず」


 だらしなく畳に転がっていた女性が、これまただらしなく笑いながら同居人に手を振った。

 女性は薄いキャミソールにハーフパンツという、ラフと言うには自由すぎる容姿だ。

 恥じらいはどこかの海に捨てて来た、そんな様子である。

 はぁ……、と溜息を吐きながら明海と呼ばれた女性、こと宮崎明海(みやざき あけみ)はビニール袋から、1個100円のプリンを取り出した。


「朱美、誰もいないからってだらしなさ過ぎよ。ああ、もう、こんな姿、さっきの後輩ちゃんが見たら何て思うか……」

「へーき、へーき。わたくしこと、相楽朱美(さがら あけみ)のマネージャー役、宮崎明海は有能だから」


 はぁ……と明海はもう一度溜息をつく。


「もうこれで何回目かしら。朱美と間違えられるの。ただ単に同じ名前で、同じ高校、同じ部活出身っていう縁があったから、ルームシェアしてるだけなのに……。一度目に後輩が来た時、流されるまま、真実を言わなかったが良くなかったのね……」


 そう、一度目が問題だったのだ。

 今日と同じように、「アケミ先輩」と声を掛けられ、「はい?」と振り返ってしまった。

 後の流れは推して知るべし。

 女子の後輩に怒涛の勢いで話され、最後には、「あ、ありがとう? 頑張る……わ?」と答えてしまった。

 そして引っ込みがつかなくなって、今に至っている。


「ファンが多いのは辛いねえ」

「貴女のことでしょ、貴女の。って言うか、今の三年生も面白がってるわよ、この状況。確信犯で新入生を送り込んでる」


 受け答えをしながら、明海は渚の言葉を朱美に伝える。


「どんなに過酷な未来があっても後悔しません、か。あははっ、勇ましいねえ。……タンカ切った相手は人違いってのに気が付いた後、本物の私と会った時、同じこと言えるかなあ?」


 明海は渚が熱く語った裏表のない言葉を想起した。


「やめて、恥ずかしくて死にたくなる」

「別に明海が恥じ入ることなんてないじゃん。大丈夫、大丈夫、多分近い内に卒業写真とか見て真実に気付くさ」


 朱美は楽しそうに笑う。


「でも嬉しいのは本心だよ。こういう青くさい勘違いがあるから……」


 そしてふと、真顔になった。

 そのまま、机の上のノートパソコンの前へ移動し、キーボードを叩き始める。

 あ、スイッチ入ったな。

 そう明海は理解する。

 もうこうなったら誰の声も届かない。

 朱美は振り返らないまま、一度だけ言った。


「世界は本当に面白い。真夜中でも輝く太陽みたいなヤツが、たった一つの思い込みを武器にして人を突き動かす」


 くすり、と明海は小さく笑って答える。


「……頑張って、朱美。後輩ちゃん達に失望されちゃダメだからね」


 心の中でバレた時、できるだけ怒られない言い訳を考えながら。








 そして翌日の早朝5時。

 SNSへ新作投稿のメッセージを受信した私は着の身着のまま家を飛び出し、ついでに心臓まで飛び出しそうな真実と出会うことになる。

 爽やかな朝空の光の中、件のアパートの前で、


「ほんと、ちゃらんぽらんでゴメンね……」


 と、事の次第を説明した明海さんは申し訳なさそうな表情を浮かべ、


「いーじゃん、いーじゃん。言ったっしょ? 青くさい勘違いこそ、世界を動かす原動力だって」


 と、本物の朱美さんは楽しそうにケラケラ笑う。

 そして私は対照的な二人を前で項垂れ、


「確かに、どんな過酷な未来があっても後悔しないって言ったけど……。言ったけど! さすがにこんなのムリだってー!」


 と、派手に頭を抱えてしまう。

 水都渚、高校一年生。

 生まれて初めての後悔を知った早朝の出来事だった――。

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