猫の忍者と青い姫君

Baqu0078

第1話 猫の忍者




 皆さんは、猫が特別な生き物であることを知っているでしょうか?

 猫は人のように長生きではありませんが、九つの命を持っています。

 何度も生まれ変わり、多くの知識を蓄えているのです。

 そういう猫は人間より賢く、キツネや狼よりも狡猾です。

 猫はバステトという神の加護を受けています。

 バテストはエジプトにいる古い女神様で、猫の頭、又は雌ライオンの頭部を持っていると言われます。

 バステトは太陽神の妻にして虐殺の女神。蛇の頭を撥ねる者。

 悪人は即座に罰し、命を奪います。

 猫はその加護を受け、女神から戦う力を授かっています。

 猫たちはその知恵と加護を武器に独自のネットワークを作り、自衛を行います。

 猫たちに危害を加える相手を発見し、排除する処刑人が存在するのです。

 神の加護と九回の生まれ変わった知恵を備えた猫の処刑人は、人間にさえ発見されることなく、今も暗躍しています。

 闇に生き、悪を葬る猫がこの世にはいるのです。

 その処刑人の事を猫たちは〈猫の忍者〉と呼んでいます。

 

      〇

 

 生まれた時からとにかくでかい猫だった。

 猫種はロシアンブルー。顔は平たく、目つきは藪睨み。

 ふてぶてしく、仕草に愛想も無く、人に近づかない。かわいさからは程遠い。

 親猫からも愛されず、ペット業者も売りに出すのをあきらめた。

 殺処分からは逃れたが、猫カフェでもその猫に近づく人はいない。

 保護猫カフェで飼ってくれる相手を待つ身だが、とても引き取り手はつかないだろう。

 〈マクベス〉と名付けられたその猫は、これからの人生誰にも愛されることなく暮らすのだろう。

 猫カフェの店主は、ずんぐりとした古参の猫を見てそう考えた。

 首には店の名前が刻まれた首輪が撒かれていますが、いかにもきつそうだ。

 カフェのモニターに目をやると、シストラムという王国の王女が訪日したと言うニュースをやっている。

 青い瞳をした王女は大勢の人々に囲まれていても光るように美しく、世界から愛されているように見えた。

「人生ってのは不公平なもんだな」

 呟いて時計を見ると、閉店時刻を過ぎていた。もうカフェに残っている客もいない。

「閉めるか」

〈Close〉の札を出して、店主はレジを閉める。

 スタッフは猫を一匹ずつケージに入れて、店内を掃除した。

 消灯。

 店のシャッターが閉められる。

 

「――さて、仕事を始めるか」

 ケージの一つから声がしました。

 苦みを含んだ男性の声でした。

 40代後半の渋みを感じさせる野太い声です。

 内側からケージの鍵か開けられ、マクベスは外に這い出します。

 自由になったマクベスを他の猫は羨ましそうに見つめますが、マクベスは苦笑いを浮かべます。

「羨ましがるようなもんじゃねえよ」

 マクベスは野太い声で言います。

「人の言葉を話す猫を愛する奴なんていねえ。なぜか分かるかい? あらゆる猫は喋る猫よりも愛らしく生まれているからだ。わざわざ愛されない猫に生まれる必要なんてねえのさ」

 そう言って彼は肩をすくめた。

 それからマクベスは器用にケージの部屋を開けて、猫カフェの通気口に入り、そこから屋上に出ました。

 月の光を浴びマクベスは屋上から五階の高さを跳ねます。

 重さを感じさせない軽やかさで、彼は音もなく地面に降りました。

 軽くほこりを払うと、何事もなかったかのようにマクベスは街の暗闇に消えました。

 

 

 

「車を止めて!」

 ジェシカ王女の声に、運転手はブレーキを踏みました。

「どうした?」

 伯父に当たるマルコムは慌てて警戒します。

「今、ビルから猫が落ちました。五階ほどの高さです」

「猫が?」

 マルコムは窓の外を見つめました。

「何もないぞ」

「ええ、五階から飛び降りて平気な顔で猫は歩いて行ったのです。こんなことありえるのでしょうか?」

 ジェシカは不思議そうな顔で猫が降り立ったコンクリートの地面を見ます。

「見間違いではないのか?」

「いいえ、確かです」

 王女が譲らないので、マルコムは困った顔をした。

「信じる、信じないではないよ。五階から飛び降りて無事な猫などいない。ジェシカ、兄貴にも夢見がちなところを直せと言われただろう? 君ももう十三だ。子供じみた発言で公務に影響を与えるのはやめにしないか?」

「子供ですって⁉ 私は――」

「話は後だ。こんな場所に長居するなど、テロリストの的になるようなものだ。出せ」

 マルコムが言うと、車は発進した。

「猫を気にかけてはいけないのですか?」

 ジェシカは俯いた。

「気にかけるべきではない。飼い猫が死んだくらいで王室の者が騒げば、民が動揺する」

「愛したものが死んでも、悲しんではいけないのですか?」

 ジェシカは伯父を睨んだ。先月飼い猫を失った彼女に対してあまりに配慮が無いと思った。

「それが猫ならばね」

 マルコムはつまらなそうに外を見つめた。葉巻を取り出して火を着ける。

 運転手は黙って排煙装置を動かした。

 

 


 そのビルには悪臭が溢れていた。

 会社登録の名目はペットの処理業者。

 売れなかったペットを安楽死させて処理する。

 犬、猫、ハムスター、イグアナ、亀、蛇、虫、何でも処理する。

 値段は格安で、全国のペット業者と提携している会社だ。

 バカン。

 通気口の格子が蹴られて壊される。

 そこからマクベスが降り立った。

 部屋の闇を見回す。

 暗闇を見通せる猫の瞳には、おぞましい物が映っていた。

 おびただしい数のペットたちの死体。

「……ゲスが」

 そこには処理施設などなく、業者はペットをただ放置して餓死させていた。

 ビルの一階から四階まで、生き物のケージで一杯になっている。

 中は病原菌の宝庫。

 餓死よりも早く、病気にかかって死ぬものも多い。

 マクベスは毛皮の間からスマートフォンを取り出すと、中の様子を写真に撮ってネットに流した。

「……これでつぶれてくれるといいんだがな」

 マクベスは呟く。

 スマートフォンを仕舞うとエンジン音が聞こえた。

 ちょうどビルの前にトラックが止まったところだ。

「もう少し潰しておくか」

 マクベスは一階に向かった。

 生きているペットを放り込み、死んでいる死体を山に行って捨てて来る。

 その繰り返しをこの業者はずっと続けてきていた。

 作業服を着た男たちは事務的にケージをビルの放り込み、死体をビニール袋に詰めて行く。

 もう慣れてしまったのか、作業をする男たちの顔には何の感情も浮かんでいない。

「もうないか?」

 トラック一杯に死骸を積み込んだ男たちは、作業を確認する。

「まだだよ。小僧ども」

 ビルの奥から聞こえた声に、男たちは緊張した。

「誰だ!」

「誰でもいい。お前ら、生き物としての尊厳ってものがねえのか? けだもの以下の事をする輩を人間は〈畜生〉って言うんだろう?」

 後ろ暗いことをやっている自覚はあるのだろう。男たちは車から鉄パイプや角材を出して身構える。

「反省も出来ねえのか、じゃあ、こっちからケジメを付けさてやろうじゃねえか」

 闇の奥から静かな怒りが感じられた。

 声の主が闇から姿を現す。

「……猫?」

 作業服の男たちはぽかんと口を開けた。

 片手にクナイを掲げた二本足で立つ猫だった。

 何かの冗談かと男たちは顔を見合わせる。

「目え覚ましてやるよ」

 マクベスは素早く動いて、先頭の男に迫った。

 クナイを裏返し、取っ手の金具で膝を打つ。男は膝を割られて悲鳴を上げる。

 慌てて男たちは武器を振り上げる。叩きつけられた鉄パイプをやすやすと避けて、次々に男たちの脛や膝を打ってころばしてばしてゆく。

 骨を折られた男たちは悲鳴を上げて地面を転がった。

 最後に残された年長の男は、マクベスを見てわなわなと震えた。

「ふ、ふざけるな。こんなことをしてただで済むはずがない!」

 男は怒鳴って、無茶苦茶に角材を振るう。

 マクベスは振るわれた角材を避けると男の軸足亜を払い、倒れて来た男の顎をクナイで殴り飛ばした。

 顎の骨が割れる音がして男は昏倒した。

「警察に言うか? 保健所に電話するか? せいぜい言ってみるといい。〈猫の忍者に襲われた〉ってな」

 マクベスはビルに戻ると、さっき運び込まれたケージを全て開け放った。

「外の世界は最悪だ。保健所は追いかけて来るし、餌をくれる人間も居ねえ。それでも生きたけりゃ外に出な」

 それだけ言うと、マクベスは振り返らずに立ち去った。

 ケージの中のペットたちは怯えたように縮こまるだけで、外に出てくる者は居なかった。



                   つづく

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