感情を表現しないと許されない町

ちびまるフォイ

求められる正しい感情表現

「こら授業中だぞ。静かにしろーー」


注意しても教室の生徒たちには聞こえない。


最初はイライラすることもあったが、今ではそれも疲れてしまった。

感情にまかせて怒鳴れば今度は保護者が出てくる。


そうして、学年主任からは「なぜ保護者が出てきたんだ」と詰められる。

ひいては自分の評価を下げられて減給ーー。


今日をなんとか乗り切って家に帰る。帰り道も憂鬱だ。


「あなた、おかえりなさい。今日は誕生日でしょう。

 ほらたくさんごちそうを用意したわ」


「ああ……そう。今日、誕生日だったんだ」


「あなた……ちょっと大丈夫? 顔に表情がないわよ」


「この顔でいいんだよ。怒ったり悲しんだりすれば

 また保護者に問題されるからね。無の感情が一番」


「自分の誕生日をうれしく思えなくなるほど、

 自分を削って今の場所を守る必要なんてあるの?」


妻とは相談して引っ越しをすることになった。

住む場所が変われば、きっと良くなると思えるから。


引越し先は感情番地3丁目の郊外だった。


引っ越してくるなりフレンドリーな隣人が挨拶にやってきた。


「やあ、こんにちは!! 引っ越してきたんですね!

 ここはいい街ですよ! 最高! これからよろしく!!」


「あ、ああはい……どうも」


「元気がないですね! こういう挨拶が苦手ですか?

 嫌なら嫌という感情をちゃんと表現しないと逮捕されますよ!」


「は? たっ……逮捕……!?」


「ここは感情特区ですからね!

 自分の感情を抑えて本音を言わないことはダメなんです!」


「え、ええ……?」


「大丈夫! じき慣れますよ!」


隣人の言葉は冗談ではなく、本当のことだった。


街のあちこちでは些細なことでも大声で怒鳴っている。

映画を見れば声を抑えることなく号泣や嗚咽が聞こえる。

ファミレスでは大きな声で笑い声が絶えない。


「本当にみんな感情を抑えてないんだ……。やっぱりも一度引っ越そうか」


「なんで? あなたの治療にもちょうどいいじゃない。

 いままであなたは自分を抑えすぎているのよ。少しは羽目はずさないと」


「そうかなぁ……」


「ここで感情抑えたら逮捕されるのよ?

 嫌なら嫌。良いなら喜ぶ。どっちつかずの反応はやめて」


「わ、わかったよ! う……うれしいなぁ!」


感情を人前に出すことなんてあまりないのでぎこちなくなった。


けれど妻の見立ては正しかったようで、

感情特区に暮らし始めてから自分の感情は少しずつ豊かになっていった。


「ありあとやしたーー。お釣り300円になります」


店員から渡されたお釣りは200円。100円足りない。

以前の自分ならなにも言わずに「100円くらい……」と引き下がっただろう。


しかし、今はちがった。


「ちょっと君ぃ! 100円足りないよ!!」


ややオーバー気味にリアクションする。

薄すぎる感情表現は、感情表現をしているとカウントしてもらえない。


「ええ? まじっすか」


「その接客もおかしいぞ!」


「はあ……すみません」


「その感じ、謝る気ないだろ!」


「そうっすね。うっせぇジジイが絡んできたなと思ってます。

 とりあえず謝って早くことを収めたいっす」


「素直で嘘をつかないところだけは評価してやる!!」


自分もこの町になじんできた気がする。


以前はモンスターペアレントと対応してて、

理解できない生物だなと一線引いていたが今では気持ちがわかる。


感情を素直に表現するのは一種の快楽だ。


相手が引き下がってくれれば、自分の素直でどストレートな感情が受け止められたと思えるので嬉しい。


今まで対応していた保護者たちは、

子供をダシにし、感情をまっすぐぶつける先を探していたのかもしれない。


そのことに気づいたので今日は気分がよかった。

いつもより少し早めに家に帰った。


「ただいまーー! ……ん」


玄関に知らない男物の靴が置いてあった。

今に入ると、隣人と妻がキスしている真っ最中だった。


「あ……」


妻の後頭部ごしに隣人と目が合った。


「あ、あなた! ちがうの! これはっ……!」


たまらずその場にいられなくなって家を出た。

どうするべきかもわからない。


ただ近くのカフェに入って、引っ越してからできた友達へ連絡を送った。

事情を話すと、自分よりも友達たちがぶちキレていた。


「はぁ? それじゃ浮気してたってことか!?」

「うっわぁ信じられねぇ!!」

「離婚だよ! 必死に働いた金で浮気してたってことだろ!」


「いやそんな大事には……」


「そこまでされて、なにも思わないのかよ!!」

「普通の人間なら、ぶっ殺してやりたいと思うはずだ!」

「感情ある人ならそう思うに決まってる!」


「そ、そうかな……」


「そうだよ! 普通の人ならそう思う!」

「なにも報復しないなんて、ありえない!」

「あれだけされたなら、怒って当たり前だ!」


「そうだよな……! 報復するのが普通だよな!!」


俺は浮気されたことを許せなくなったということで、

浮気相手と妻に対して報復することになった。


きっとまだ家にいるはずだ。


俺はもう感情を抑えなくていい。

素直な感情をぶつけてやる。


近くのホームセンターで大きめの包丁を買ってから家に戻った。


浮気相手はもういなかったが、妻はまだ家にいた。


「あ、あなた……ひっ!」


手元の包丁を見て血の気が引いていた。


「ゆるして! 私が悪かったわ!

 全部私が悪かったの! 謝るわ! ごめんなさい!」


妻をじりじりと部屋の隅へと追い詰める。


「怒ってるのよね!? そうよね!? ごめんなさい!

 許されると思ってないわ! でも、もうしないわ! 誓うからーー!!」


妻はブルブル震えていた。

包丁を持った手を振りかざす。




そして、手に持った包丁を振り下ろすことはできなかった。



「いや……もういいよ」



「……え?」


自分の反応に妻は目をまるくした。


「本当は別にどうでもいいんだ。

 周りに言われて怒っている風にしてたけど

 本当のところはどうでもよかったんだ……」


「怒って……ないの?」


「感情を誇張して表現していたんだ。

 それが当たり前になっていて……。

 俺はただ……君がおびえてる顔をこれ以上見たくないから」


「あなた……!」


妻の目に一筋の涙が流れた。

俺は妻の肩にそっと手を当てて抱き寄せる。



そのとき、お腹に刃物が突き刺さった感触を感じた。


「浮気されて怒らないなんて、どういうこと!?

 普通の人間なら、大事な妻を奪われたら怒るべきでしょ!!

 

 あなたにとって私はその程度の存在なの!? 許せない!」


床に倒れて最後に見たのは、怒りMAXの妻の顔だった。

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