2.操れない男
母親である彼女から『子供を連れて出ていけ』と言われたと話し出した岳人パパ。そこまでに至った経緯を詳しく話し出す。
「六月の自衛隊記念日の時に、妻からの復縁要請をきっぱり拒絶されたでしょう。あれから荒れ狂って、『自衛隊楽しかった』と嬉しそうにしている拓人に八つ当たりをするようになったんですよ。舅は娘もかわいい、孫もかわいい。だが娘の荒れように手がつけられないし、このままでは孫にはよくない状態になる。そこで舅から俺に預けてくれ、ひとまず別居という形を取っています」
記念公開日に拓人と別れてその後、鳴沢家で起きたことを知り、寿々花は唖然とする。将馬に限ってはまた目つきが鋭くなってきている。
聞いているとまるで、彼女のほうが手が付けられない子供のように聞こえてくるではないか。
しかも、岳人パパから聞かされる話は、父の旅団長室で聞かされた鳴沢氏が説明した夫妻現状とは異なる内容だ。
「私が鳴沢の両親と六月に会った時には、岳人さんは家を出て帰ってこないと聞いていましたが」
「俺、webデザイナーをしているんですけれど。広告会社勤めから、思い切ってフリーランスに切り替えたんですよ。それと同時に在宅ワークにも切り替えたんですが、それがどうにも、鳴沢の家では『ニートだ』と思われ理解がされなくて」
昨今、在宅ワークは働き方のひとつのスタイルとして認められつつある。だが一方では、男は外で働くもの、家にいるなどニートと思われる、家に居るだけで稼げるわけがない――と、まだ古いスタイルの価値観で認めない人々が残っているとも聞く。
鳴沢家はまさに後者で、家にいるとは何事だという価値観だったらしい。しかも収入が激減したので余計に『家にいないで、外で働け』と、彼女も鳴沢の父も口うるさいとか。
「もう、うるさくてうるさくて。外に集中できる仕事用の部屋を自分で借りたんです。そこで仕事をしていたら『帰ってこない』ということになっていて。いつのまにか俺に内緒で、館野さんに会いにいっていたんです。しかも、いままで一度も会わすまいと固持していた拓人との対面も『こちらから申し出た、もう会わせた』と事後報告でひっくりかえりそうになりましたよ」
「そうでしたか。いきなり娘に会ってくれと言われた時、夫の岳人さんはこのことを知っているのかどうなのかと思っていましたが……。やはり事後報告でしたか……」
「その仕事部屋に、いま拓人を避難させています。在宅ワークで良かったです。子供の世話をする時間もありますし、むしろ、いままでも俺のほうが拓人に手間をかけていましたから。妻はいつまでもお嬢様なんですよ、お嬢様でいたい女なんですよね。子供も俺と祖母である姑がめんどうをみられたので、彼女は表面上だけ素敵な妻、素敵な母、素敵な女性であれば良かったので。それもあって、彼女が面倒をみないなら、在宅ワークで時間を作って拓人の世話をしようと考えたのも、フリーランスに切り替えたきっかけでもありましたね」
ここ五年、岳人パパも婿養子として一生懸命にやってきたが、かなりの苦労をしてきたことが窺えた。
そこで、婚約者だった将馬が不思議そうに尋ねた。
「彼女、なにもしないんですか……?」
岳人パパは致し方ない笑みを浮かべため息を吐く。
「家の中に子供がふたりいるようなかんじですよ。大きな娘と幼い男の子がいるってかんじです」
「あの、自分も見抜けなかったところですが……。それは結婚されてからわかったということですか」
「そうですね。結婚するまでは、男が結婚したい女を一生懸命に頑張ったのでしょう。所謂、釣った魚に餌はやらないの女性版にひっかかった気分でしたね。『釣った魚は、こき使え』だったかもしれません。ほんとうにつくづく……俺も思っています『彼女には自衛官の妻は無理』だって。自衛官の幹部である男性は好きなように操れないと婚約中にわかったんでしょうね。そりゃ逃げ出したくなっただろうと思いました」
将馬が呆然と、脱力したようにして椅子の背もたれにもたれかかった。
「ああ、なるほど。いまになって、どうして逃げられたのか腑に落ちました。ああ、そうだったのか」
「いや、俺もころっとほだされてしまいましたし。いつのまにか外堀を埋められて、一緒に責任を取るような形になっていましたね。いえ、知らなかったとはいえ、館野さんには憎まれて当然の立場であったのは間違いはないのです。その時の申し訳なさもあって、子供はちゃんと俺が父親として育てようと決意できました。それは嘘ではないです」
今回、互いに連絡を取り合って初めて対面することになるまでの『いきさつ』を聞き、寿々花の内側からまた熱い怒りが込み上げてくる。
あの駐屯地記念日の父子初対面後、鳴沢家は一気に崩壊へと加速していったようだった。
しかも母親の彼女が、拓人をそんな理不尽に扱っていたなんて――。
寿々花が怒りを持ったのだから、父親である将馬はなおさら、既に、あの恐ろしい男の形相に変わっていた。
ヨキと無邪気に走り回っている男の子。あの子はいま宙ぶらりんの存在にされかけているのだ。生みの母に捨てられ、血の繋がりのない父親と一緒にいる状態ということに。
「弁護士から急に『鳴沢家から子供を引き取って欲しいとの申し出があり、さらに岳人さんとの離婚を望み、親権でも揉めている』と伺ったので、一度、父親同士で話し合えないかと弁護士から連絡をとるようお願いしました」
「助かります。離婚については俺側も弁護士を入れる予定です。それで親権については、あちらが手放すのなら、今後どうするかと思っています。実父である館野さんのお気持ちを聞きたいです」
寿々花は、将馬の気持ちをもう聞いていたから、黙って控えている。
制服姿の彼の表情も決意でかたまっている。
「引き取りたいと思っています」
「ですよね……。ですけれど、俺もいまは手放す気はないんです」
血縁はないのに。母親が放り出しても、育ての親である彼も、いまは拓人といたいという。
それでも、将馬はほっとした表情に崩れた。彼がどうしてその顔をしたのか、寿々花は知っている。
「よかったです。岳人さんがそのように拓人を大事に思ってくれる方で……」
「これでも、本当の息子と思って、責任持って育てるという決意はしていましたから。ですが。鳴沢の家とは縁を切りたいと思っています。これ以上は、付き合いきれません。妻はもう拓人を要らないといっているので、心変わりしないうちに、こちらで手はずを整えたほうがよろしいかと思います」
岳人パパは鳴沢氏と養子縁組をしたが、それも離婚にともない解消する手続きを申請するとのことだった。
あちらの義父も娘と娘婿が決裂したのなら、娘ひとりに財産を残したいがために相続の権利を婿から剥奪したいはず。だから素直に解消してくれるはずだと、岳人パパは予測しているらしい。
「鳴沢のお父さんは、孫の拓人のことは、どうするつもりなのでしょうか」
「ああ……。娘をとるか、孫をとるかになっていて右往左往していますが。娘を取りますでしょうね。拓人はまだ放り出しても、俺と館野さんが育てられる、金銭的にも大丈夫と思うでしょうし。でも娘は我が儘を言うだけでなにもできないのだから、可愛がってきた父親としては、無力な娘を無一文で放り出せないのでしょう。一人で生きていけない女ですよ」
そこでやっとマスターがコーヒーをみっつ持ってきてくれる。
なので男ふたりが一度黙り込んだ。マスターは離れた席に居る寿々花のテーブルにも置いてくれる。
「パフェ、どうしますか」
男親の大事な話し合いとわかってか、マスターが外で楽しそうに遊んでいる拓人の姿を窓越しに見た。
彼らも、ヨキとたわむれている息子を見て、やっと微笑ましいと見つめる顔を揃えている。
「あと十分、お願いします。そのあと彼女が呼びに行きますので」
「わかりました。それぐらいに仕上げます。ごゆっくり」
制服姿の将馬にそう告げると、マスターは静かにカウンターへと去って行く。
二人が揃って姿勢を正した。残り十分であらかたの話をまとめようと、男二人が身を乗り出す。
「親権は実父である私が譲りうけるつもりでいますが、だからとてすぐに『お父さんだよ』という強引なやり方は避けたいと思っています」
「俺もそう思っています。血が繋がっていないからバイバイ。今日から自衛隊さんがお父さんだよは、母親と祖父母に捨てられた五歳児には負担が大きすぎます。もちろん、いまならわけがわからないうちに受け入れられるという人もいるでしょうけれど。俺には無理です」
寿々花はひとり、ほっと胸をなで下ろしている。
良かった。育てのパパが誠実な人で良かったと。
将馬から婚約者を奪った男という過去はまだ飲み込めないが、将馬が考えていることと隔たりはないようで、そこは安心できそうだった。
「では。岳人さんと私の考えが一致していると思ってもよろしいですか」
「はい。俺は当分、結婚なんてごめんなので。拓人を少しずつ、あなたにお返しするために力になりたい。婚約者を奪った男として、また父親という権利を奪った男として、せめて償いさせてください」
「覚悟を決められたということで、よろしいですか」
「はい。館野さんに協力いたします」
血の繋がりがある父と育ての父がタッグを組んだ瞬間だった。
「親権は私が持ちます。当分の間の監護権を岳人さんにお任せしたいと思っています。それを勝ち取る手続きを弁護士を通して行います。あちらが放棄しているなら大丈夫かと考えていますが慎重に。養育費は今後は弁護士を通して岳人さんに支払います」
「わかりました。俺のこと、パパと信じているうちはいまのままにしておきたいです。ですが、成長をするにつれて、館野さんが本当の父で育てるために力になってくれていたことを伝えられる準備をしていきます」
まだ五歳の男の子なのに。子供にとって最大の味方であろう母親から離れて大丈夫なのかと寿々花は案じていたのだが。
将馬からは『自分の思い通りにならないことは、冷酷に排除できる女だとわかったから遠慮はしない。もう拓人にも興味がなくなったのだろう』と聞かされたので、気にしないようにしている。
彼女のことを配慮しない状態で、父親同士で話が進んでいく。
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