群衆とネズミ
百門一新
第1話
三日間の明けない夜が始まった。
それが本当に三日間続いて、そうして三日後には再び昼間が訪れるのかは分からない。けれどテレビでは、この日が訪れるまで長いことそのニュースで持ちきりだった。
何事もなく世紀末が過ぎて、新世紀がやってきた。どこかの国々では争いや緊迫したままの睨み合いが続いた。国によっては、とくに変わることもなく過ぎていったところもある。
そんな中、ようやく数十年が回って、とうとう新たな暦が始まるのだと世界が沸いたのが「三日間の明けない夜」という、歴史上はじめての現象だった。
以前あった世紀末に世界は滅びなかった。我々の世代で、ようやく新しい時代に突入するのだ――各国のお偉い人たちはそう熱く語った。
だが、新しいとは一体なんだ?
半分、もしくはそれ以下の人間はそう思っていると思う。ぼくも、その内の一人だ。
数十年前、僕ら人類は無事に新世紀を迎え、技術は発展し、人々の暮らしは良くなったとテレビ画面の向こうでは言うけれど、僕らの暮らしはそんな理想とはまるで違っていた。
僕らの町は、十三区もの広さを持った旧都心だ。置き捨てられた廃屋のようなビルや家が立ち並び、古いアスファルトは建てつけの悪い戸のように車をがたがたと鳴らした。
何もかも整えられた美しい町から吐き出される熱気が流れ込み、夏場は全身を蒸し風呂に焼かれるように辛かった。建物の片隅に残された木は花を付けるわけでもなく、誰かがぶつぶつ文句を言いながらいたるところからまばらにはえてくる雑草を千切り取る。そうしなければ、すぐにでも虫の巣や発生源になってしまうからだ。
――皆様、※※※※年※月※日、この世界に「三日間の夜」が訪れます。
年が明けて間もない頃、一斉に知らされたその情報は、多くの人の混乱を呼び、同時に強い好奇心を集めた。そんな映画や漫画や幻想小説のようなことが起こるのかと、誰もが関心を寄せた。
まず政府から正式な発表があり、そうして次々に特別番組が組まれていった。あらゆる専門家が、あらゆる立場の有名人が、その情報を自分が大発見したような熱意で伝えていった。賛否両論、様々な方向から色々な意見が上がり、世界が終わってしまうのではないかと騒ぐ人達、どっちでもいいよと面白がる無関心な者達もいた。
そうやっている間にも、どんどん月日は流れていき、そうしてとうとう「三日間の夜」の始まりの日を迎えた。
西日に傾いた太陽を、ゆっくりと覆い隠していった巨大なシルエットは、やがて闇に溶けてすっかり分からなくなった。ただ太陽がなくなって、いつもの夜があるばかりのようにも思えたが、夜明けの時間になっても空は明るくならなかった。
いつも通りの、朝の時刻を刻んでいる時計。そちらの方が壊れてしまっているのではないかと疑いたくなるほど、世界を自然な夜がすっぽりと覆っていた。
けれど朝の光りが来なくとも、僕は普段通りに起床していた。
その日、いつもと変わらない時間の使い方でもって、淡々と動いて身支度を済ませた。仕事の作業着に着替え、昨日や一昨日と同じように擦り切れたスニーカーを履いた。最近は滅多に雨が降らないので、窓枠から芽を出した雑草に水をやることも忘れなかった。
そろそろ出掛ける時間だというのに、その窓の向こうは真っ暗だった。本来はもうとっくに青空が見えているはずの時刻なのだが、星一つない闇ばかりが空に広がっている光景が、いつも見慣れている「夜」との違いを僕に知らしめるかのようだった。
その窓の遠く向こうで、不意に、朝の見回りにやってくる巡回車の悲鳴が鈍く鳴り響いた。それは死んだような旧市街地に、無機質でありきたりな警報音を気だるく発する。
だがその音は、じょじょに狂い始め、しまいに鈍い呻りを残して沈んでいった。まるで古いラジオが壊れてゆくような最後だった。僕らを縛り続けていた見えない何かが、プツリと沈んでしまった象徴や合図にも聞こえた。
「さぁ、出掛けよう」
午前七時十五分、僕はいつも通りの動きでもって夜のままの町を歩き出した。
そうして、いつもと同じく午前七時三十分には出社した。普段と同じく、一番に鍵を開けている上司が自分のデスクに腰かけていた。深夜出勤になったみたいじゃないか、と耳障りな音声テープのような声が聞こえてくる。ま、これを言い訳に休みを与えるなんてバカなことはしないがね……。
そんな上司の声が、そこでブツリと途切れた。一瞬で社内は静まり返る。
こちこち、と壊れかけた時計の秒針がリズムを打っている。冷房の稼働音が、ぶーんと低く呻っていた。
僕は、いつも通りの動きに従って社内を進んだ。デスクの向こうにあるブラインドを開けてみると、やはり外は夜に包まれたままだった。テレビやラジオで騒がれていたような、宇宙からの侵略だとかいう空を飛行する戦艦らしいものなんて、どこにも見えはしない。
ただ、現実が一時壊れてしまったのだ。
僕は、呼吸音が一つに戻った社内で、朝一番、出社した際にもらっているコーヒーポッドのところへ移動し、ワンボタンで紙コップに注がれる液体を眺めながらそう思った。
◆◆◆
僕の仕事は、旧市街地中央の区にあるアパートD棟の清掃だった。表の駐車場と階段を箒で掃き、ゴミを集め、毎日一階の一号室から三階の六号室までを、順に訪問して室内まで掃除してゆくのだ。
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