Eternal Half ~ユフの方舟

Tempp @ぷかぷか

第1話 前夜

「明日は結婚式ね」

「そうだね。楽しみで、すごく妙な気分だ」

「ひょっとして、後悔してる?」

 こちらを気遣うような声。

「それは絶対ない。けれどもなんだか、この心の中のドキドキって、ものすごく複合的だよ。心臓が潰れそうだ。あぁでもそろそろ寝る時間。おやすみニコル、僕のユフ」

「おやすみセルジュ、私のユフ」

 そう挨拶して、VR仮想空間は終了した。

 急にストンと、僕は世界と切り離された。窓のない10畳ほどのコンパートメントは僕一人で住むには十分な、僕の好きなものだけが詰まった部屋だ。

 十分だけど、一人ぼっちの部屋。


 VRでは先程まで、ニコルの柔らかそうな明るい色の髪が揺れていた。明日はきっと、あの髪に本当に触れることができる。

 ふわふわと誰もいないベッドに横たわる。

 僕は明日、ニコルと結婚する。結婚して、ニコルに会って、きっと抱きしめて、それから。

 けれどもそんな想像は、突然打ち切られた。

ーセルジュ。夢をかけますか。

 AIが僕に尋ねる。AIは僕らの生活の全てを補助し、最適化させる。

 夢の中でもニコルに会いたい。ニコルを夢で見る。けれどもそのニコルはAIがニコルの記録から作り出して僕の脳に投影するものだ。だから本物のニコルじゃない。

 軽く頭を振って、そんな考えを追い出す。

 偽物はもうたくさんだ。

 なにより明日には本当のニコルに会える。会いたい。だから今日は我慢しておこう。そのほうがきっと、多分、特別に嬉しいに違いないから。

 その代わり、壁にニコルの映像を投影する。本当のニコルを。分厚い防護服を来て一緒に外を歩いたニコル。あれは丁度1年前。一緒に外に出た時だ。

 僕はどうしてもニコルと一緒にいたかった。離れるのは苦痛だった。片時も。でも外に出るための許可を取るのは大変で、外出後も随分長い間隔離される。

 それは、100年前に世界にユフという名の隕石が落ちて、毒が満ちてしまったから。


 西暦2182年。

 ユフと名付けられた隕石は、突然現れ地球に落下し、その強固な毒で世界を汚染した。その毒は致死毒。触れるだけで汚染され、体内に吸い込めばたちまち生物は死んでしまう恐ろしい毒だ。

 僕らの国は毒が入ってこないよう、限られた時間であらゆる対策を検討した。けれども無毒化しようとしても不可能で、その粒子は微細すぎて精緻なフィルターをもくぐり抜け、分離除去は不可能だった。

 このままでは毒は全てに浸透し、全てが死に絶える。

 幸いにも不幸いにも、この国は生物・医療技術が発達していた。そしてこの国の研究機関ははユフの微粒子を解析し、かろうじて奇跡的なめぐり合わせで弱毒化したユフを培養し、それを国民に投与することにした。つまり、ワクチンだ。

 そのため、この国の人間の寿命は50年となった。


 今はユフが落下してから既に100年が経過した世界。

 僕はニコルに出会って、ニコルが大好きになった。ニコルと直接触れ合いたい。諦めたくはない。だって僕はユフじゃなくて人間だ。


 ニコルと初めて会った時を思い出す。

 僕は暇つぶしに話し相手を探していた。AIに頼めば、気が合いそうな人間を適当にマッチングしてもらえる。それでVR空間で会う。お茶したりご飯食べたり出かけたり。それぞれのVRの世界の中で、それぞれの最も好きな風景の中で。

 僕が用意するスキンはいつも、中世のトレドの町並みだった。東西の文化が混じり合った、迷宮のような城壁街。

 けれどもニコルの用意するVRを見て、困惑した。

 地平線だけの妙に簡素なものだったからだ。

「こんにちは。僕はセルジュ。23歳です。絵を描いています」

「あら、あなた腕があるんだ。こんにちは。私はニコル。私も23歳。うーん普段は歌を歌っているかな」

 ニコルは太陽のように微笑んだ。

「僕は絵が書きたかったから腕がある。ニコルは?」

「ちゃんとした足があるよ。散歩がしたいから」

「散歩? 散歩ってどこに行くの?」

「もちろん外に決まってるじゃん」

 ニコルはそう言って、朗らかに微笑んだ。

 足がなくても、このVRでどこにでもいける。

 けれども散歩? 外の世界を? 外というのは、僕らにとって特別な意味を持つ。


 その時、その頓狂な応答に僕は混乱した。

 外の世界が存在することは知っている。けれども外はユフが満ちあふれる死の世界だ。外には生きるものは何もないと聞いている。昔の映像で見る緑の山なんかももう存在しない、はず。

 だから僕は生まれてこの方、このコンパートメントを出たことはない。

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