四章 親友に打ち明けた前世とその最期

 しばらくして涙が落ち着いたあと、理樹は拓斗に前世の記憶があることを打ち明けた。

 だから彼女が自分を『好き』だというのは、違っているのではないかと思う……その憶測について口にした時は、何やら言いたそうな顔はしていたが、それでも拓斗は静かに黙って話しを聞き続けていた。


「そんなことも、あるんだなぁ」


 全ての話を聞き終わった拓斗が、一度頭の中で整理するような間を置いてから、ゆっくりとそう言葉を切り出した。


「お前が泣いたのもびっくりしたけど、まぁ、おかげで嘘じゃないんだなってのも分かったっていうか……――つか、鞄にハンカチが入ってることにも驚いたわ」

「必需品だろう」


 理樹はそこに関してはすかさず言い返して、彼が水で濡らしてきてくれたそれを目元から離した。腫れているような感じはないので、恐らくは大丈夫だろうと判断してテーブルに置く。


 拓斗は「ちょっと違うと思うんだけどな」と、勉強机四つ分で組み立てられているテーブルの上へ目を向けた。お前がお坊ちゃま育ちなのを、ここで実感することになろうとは……とハンカチを見つめて複雑な心境を呟く。


 とりあえず俺から言うことがあるとすれば、と拓斗は口にして無理やり話を戻した。


「そうなら、余計にこのままじゃダメだと思う」


 そう続けて、彼は理樹の横顔を覗きこんだ。


「彼女と一度、正面から向かい合えよ。前世の話を打ち明けろとまでは言わないけどさ、昔は昔だろ。今のお前がどうしたいのか考えて、彼女と会うべきなんじゃねぇの?」

「…………」

「……まぁ、そう簡単に判断出来るような問題じゃないのは分かってるけどさ」


 再び黙りこんだ理樹を見て、拓斗は視線を時計へと向けた。現在の時刻を確認して、少し思案した後に親友へと目を戻す。


「沙羅ちゃん、お前に『一目惚れした』って言ってただろ。魂がそのままおんなじって言うんならさ、前世の『サラさん』も、お前のことが心底好きだったんじゃないか?」


 解釈の違いがあるのではないのか、と拓斗が遠回しに尋ねてくる。


 理樹は、どうだっただろうか、と前世で彼女を失った頃に覚えていた喪失感で上手く動いてくれないままの頭を働かせた。


 少しの運動も出来ないから、ただの箱入り娘かと思っていた。けれど夫婦として共に暮らす中で、身体が弱い女だったと気付いた。

 ようやく子が授かったのは結婚して二年半が過ぎた頃で、一番目の子供を産む時にも大変な難産だった。それでも彼女は、我が子を抱いて「次は女の子がいいわ」と幸せそうに微笑んだ。


 子供は男の子が二人、そして最後にようやく女児を授かった。子供たちはみんな元気で健康であったものの、母であるサラの身体だけが次第に弱っていった。だから、彼がよく抱き上げて運んだのだ。


 小さくて軽いな、と常套句のように言うたび、彼女は「子供っぽいって言いたいの?」と可愛らしく頬を膨らませていた。


 残念ながら結婚した数年後には、子供みたいだと思ったことは一度だってない。彼女はすっかり大人の女性へと成長していて、いつだって彼は、彼女だけに男としての熱を煽られた。執事には「いつまで新婚気分なのですか」とよく怒られもした。


――どうして……出会って………ったんだろう。



 最期の日、ベッドから出た手を握り締めていると、こちらを見つめた彼女がどうにかといった様子でそう呟いた。その瞳から涙がこぼれ落ちて、目尻にたまった涙をキスで拭ってやると、ハラハラと泣きだしてしまったのだ。


 とても愛情深い女だった。気持ちを完全に切り替えて、一人目の婚約者を忘れるという器用なことは出来そうにもなく、それを考えたところで、ああそういうことなのかもしれない、とリチャードは思ったのだ。


 一番目の婚約者とは、彼女は物心ついた頃から十六歳になるまでの付き合いがあった。世間を知らない令嬢が、初めて知りあえた男に憧れて、恋に落ちるというのは珍しくないことだ。

 きっと一番目の婚約者であった、あの男のことが胸に残っているのだろう。だから、それに対して罪悪感と未練を覚えているのかもしれない、と彼女の涙の理由をそう想像した。


 初恋が、俺であったなら良かったのに。そう思った。


 十歳も年下の妻の手を握り締めて、どうか彼女の最期が苦しくありませんように、と神に祈った。それくらいしか、してやれることはなかった。

 

 彼女が小さく唇を動かせていたが、もう声は出ていなかった。きっと、ごめんなさい、とでも謝られたのだろうと思った。

 最期に悲しい想いなんて噛み締めなくていいんだよ。そう思ってリチャードは、汗が滲んだ彼女の額に貼り付く前髪を後ろへと撫で梳いて「君を愛してる」と言葉をかけた。


 それが、彼女と過ごした最後の時間の全てだ。



「……多分、最後に『ごめんなさい』と謝られた。それが全てだと思う」


 そう答えると、拓斗が難しいと言わんばかりに頭をかいて「うーん、こういう真面目な雰囲気の理樹って、なんだか慣れないな」と言った。


「時々言い方が大人びて感じるなとは思ってたけど。お前ってさ、前世でいくつまで生きたんだ?」

「八十七。あの世界の当時の長寿が、九十歳前後だったから随分な長生きだ」

「マジか。おっさん通り越して爺(じじ)ぃじゃ――いてっ」


 理樹は、彼の頭を軽く叩いた。けれど拓斗は、どうしてか少しおかしそうに「こんな短気で乱暴な爺さんはいねぇか」と、叩いてくれて安心したとでも言うように笑った。

 椅子に座り直した拓斗が、吹っ切れたような顔をこちらに向けた。


「俺だったらさ、夫婦だった二人が同じ世界に、今度は同じ年齢で産まれたとかだったら運命を感じるけどなぁ。だって神様は、不幸にするために生まれ変わらせるとかは、しないと思うんだ」


 理樹の方の『解釈違い説』を推して、拓斗はそう語った。


 前世のリチャードやサラが、同じ年齢であったのなら、そして、もっと早く出会えていたらと願ったことはなかったのか。そうであれば、今の世界で五歳の頃に再会し、そして十六歳で同じ高校に通うことになっても不思議ではないのではないか。

 そこまでの説明を聞いた時、理樹は思わず口を挟んでいた。


「……拓斗、現実ってのはドロドロとしてるもんだぜ」

「……遠い目で言ってるところを見ると、説得力が半端ねぇんだけど」


 いやとりあえず聞けよ、と拓斗は言って話を再開した。


「つまりさ。転生したお前が悪役で、彼女を後悔させて不幸にする男とか、そんなゲームみたいな設定あるわけがないんだって。愛し合っていたから、こうして転生して巡り合えたと考える方が、ロマンチックで運命的で『さっすが神様!』てなると思うけどな」


 そこで拓斗は、自信たっぷりに胸を張った。日頃こちらが指摘しているように「理樹は漫画の読みすぎなんじゃね?」といっちょ前に言い返してくる。


 理樹は思わず、ふっと笑みをこぼした。その気遣いに、少しだけ救われた気がした。


「拓斗はポジティブだな」

「お前がネガティブなのがらしくないんだよ」

「そうか、確かに『俺』らしくないな。……ありがとう」

「へへっ、だって親友だもんよ」


 拓斗はそう言うなり立ち上がった。理樹が問うような眼差しを向けると、いつもの呑気な笑顔でこう告げた。


「とにかくさ、俺が場を設けてやるから、まずはお互いで話し合えよ。このままじゃ、どっちも苦しいまんまだぞ」


 じゃ、ちょっと調理部行ってくる、と返答も待たずに拓斗は部室を出た。

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