久米山灯のミステリアスレポート

ム月 北斗

タイムトラベラー

 スマホのアラームが鳴っている。

 穏やかな春の日差しがカーテンの隙間から差し込み、部屋中が暖かな光に包みこまれているのを感じる。朧げな意識を集中させて起床を促す。ひどく気だるいのは社会人故の定めか。

 ようやく起き上がり洗面台で顔を洗う。寝ぼけた感覚は冷たい水により引き締められ、確実な朝を迎えるのだ。

 ボク、久米山くめやまあかりは出社一時間前には起きるようにしている。一人暮らしだから朝の内に出来る限りの家事をしておかなくてはならないからな。夜に洗濯機を回したりするのは隣人に申し訳ないし。

 洗濯と言ってもそこまで洗い物は無い。服とかあまり気にしたことも無いから、匂わなければ何日かは同じ服を着たりもする。なので、洗い物はせいぜいパンツかシャツくらいだ。

 洗濯が終われば今度は朝食だ。簡単に済ませはするが朝食とは一日で最も大事なものだ、これを怠ればその日のやる気を著しく失いかねない。よって、ボクはこれを毎日こだわりを持って行う。

 今日の気分は塩コショウの利いたウィンナーと言ったところか、目玉焼きも付けよう、二つだ、それと味噌汁、インスタントで。米は洗濯の前に炊飯のスイッチを入れておいた、炊き上がりを待つばかり。ウィンナーに包丁で斜めに切り込みを入れる、焼いた時の見栄えが良い、バターで焼こうか。卵のカラザは取らない派だ。あぁ、野菜を忘れていた、いいや、野菜ジュースで代用しよう。

 楽しい朝食の調理を終えて、テーブルに出来た食事を並べる。炊き立ての白飯、つややかな焼き色のウィンナー、白いキャンパスには二つの黄色が目立つ目玉焼き、インスタントとはいえ侮れない味噌汁、コップにはオレンジ色の野菜ジュース。絶景だ、穏やかな日常の素晴らしき朝そのものだ。

 椅子に座り食事への感謝を述べて食べ始める。炊き立ての白飯は甘く、ウィンナーはいい塩梅の塩味をもたらし、香り豊かな味噌汁が優しくそれらを抱き込んで胃の奥へと連れてゆく。ひとしきりそんなループを楽しんだ後には、出番を今か今かと待ち望んでいた野菜ジュースが飛び込んでくる。完全無添加のそれは、遠慮なく野菜そのものをぶつけてくる。この食事をオーケストラに例えるならば、最後に鳴り響くシンバルのようなものだ。大合奏だ、仕事のことを忘れてしまいそうになるくらいだ。

 ……仕事、か。

 ボクはケガを理由にここ二週間ほど休みをもらっている。といっても有給申請してはいるのだが。

 二週間前、ボクはとある理由で左手のひらをカッターナイフで切っている。足元に小さな血だまりが出来るほどには出血していた。

 そう、せざるを得なかったのだ――――――


 今から七年前の二千十五年、ボクの勤め先の出版社『不知火出版』に、一人の若い男が入社した。髪色はブロンドで瞳の色は青、肌も白く鼻は高い。まるで外国人のような男だった。

「久米山ァッ!久米山ァ、ちょっと来い!」キーボードを叩く音とコーヒーとインクの香りが充満する静かな編集室に、大柄な体の男の声が怒鳴り声のように響いた。"金山かねやまふとし"ここの部長である。よく肥えた体を革張りの椅子に沈め、その日もふてぶてしく勤めていた。女性社員以外には態度が悪い、特に若い女性社員には必要以上にコミュニケーションを図っている。典型的なタイプのその性悪な性格は、全社員から疎まれていた。当然、ボクもそのうちの一人だ。中でもボクは一番嫌われている。というのも、ボクの机は編集室の『元』物置にある。別に嫌われているとかそういうことじゃなくて、なんというか……仕事柄?

 ボクはオカルト雑誌を担当している。月刊誌だ。といっても、雑誌に載せるオカルトストーリーを書いているだけだ。毎月、胡散臭い都市伝説やらを面白おかしく、それっぽく書き上げている。自分で言うのもなんだが、ウケはいい方だと思う。

「久米山ァッ!久ゥ~米ェ~やァ~まァ~!」

 はぁ……全く。せっかくイイ感じの話が浮かんできたのに……。ボクは重い腰を上げて、渋々金山のもとへ向かった。編集室の机と机の間を通り抜けてゆくたびに、働く社員たちがボクの方へと目をやる。憐みの目だ。

「なんスか?」金山の前に着くと浮かない気分で聞いた。

「お前どうせ暇だろ?他の優秀な社員たちはみんな忙しいからな。お前が彼の面倒を見てやれ」

 "どうせ"?おいおい、ボクだって忙しいんだぜ?そんな事を思ったところで口にはしない、波風立たせてもこちらに徳が無いからだ。

 金山がボクに命令して面倒を見せようとしたのが、前述の若い男だった。

たいらじゅんです!よろしくお願いします!」

 快活、まだ社会人なり立てのひよっこのような男だった。ハッキリ言おう、イケメンだったよ。思わず舌打ちするとこだったくらいにはね。

「あーっと……久米山です、よろしく」

 雑な挨拶と名刺交換をしてたら金山が口を挟んできた。

「平君はここに来て日が浅いらしい。周りの勝手が分からんそうだ。周囲の地理が、だ。外周って色々と見せてやれ。それが今日のお前の仕事だ。終わったら勝手に帰れ!」

「金って出ますか?」思わず言い掛けて止めた。キレられても困るし、どうせ出すわけがないからだ。どっかで飯とか食うだろうし、出して欲しいものでもあるが。

 金山のデスクの前でグダグダしててもしょうがない。ボクは平君に促して会社の外に出た。さて、どうしたものか。

「えっと、どこか見に行きたい場所とかある?お店とか?」

「久米山さんにお任せします!」

 でしょうね。だって分からないもんね。となるとどこへ連れてゆこうか……

 とりあえずボクは、仕事終わりに行っている映画館へと平君を連れていくことにした。会社からそこまで遠くはない。古ぼけたいかにもな感じのVシネマ映画館だ。ギラギラと電飾が輝きを放っている。仕事をサボって後輩と映画を見る、これこそ映画にありそうなシーンだな。そうは思うが目的は映画ではない、その隣のレストランだ。

 レストラン『ムーンシャイン』、密造酒の意味を持つ風変わりな店だ。ここはハンバーグが美味い。ブラックペッパーがキリっと利いていて、ブルーベリーを使ったソースが掛かっているのだ。これだけを聞けば理解できない味なのだが、とにかく美味いのだ。

 夜になると店はその姿をガラリと変える。とある会員カードを提示すると、カウンター横にある木製扉の先へと案内される。そこで行われているのは、ストリップショーだ。毎日、綺麗な体を艶めかしく見せてくれる。見せてくれるといっても下着姿までだ。ボク自身は如何わしい気持ちでは見に行っていない。むしろ、彼女たちの"美"に対する熱意という名のエネルギーを分けて貰いに行っている。中でもお気に入りの女の子は『セイナちゃん』だ。長い黒髪と色白な肌、出るとこの出てるボディはまさに"美"であった。

 さすがにその話を平君には出来なかった。初対面でこんな話したら引かれるだろ。

 レストランの席に座って二人で昼食を取りながら、他愛もない話をした。休日は何をしているかとか、趣味とか、どこの学校に通っていたとか。一通り聞いてみたが平君はどうやら無趣味らしい。学校も聞いたことの無い名前が出てきた。

「ところで久米山さん」唐突に平君が口を開いた。

「この店の隣、映画館があるじゃないですか」

「それがどうかしたかい?」

「気に入ってますか?」

 "気に入ってますか"、含みのある言い方だった。好きかどうかというよりも、あって欲しいかどうかのようだった。

「まぁ、気に入ってるよ」そう答えると「そうですか」となぜか俯いてしまった。

 その後も色んな所を案内した。オカルト雑誌のネタにした廃墟やいわくつきの団地、心霊現象の情報があった墓地やら何やらと。

 あちこち周っているうちに、あたりはすっかり夕暮れに染まっていた。

 会社へと戻る途中で休憩がてら、公園に立ち寄った。二人でベンチに座り、自販機で買った飲み物を飲んで一息ついた。

「久米山さん」

 飲みかけの炭酸飲料を片手に、平君が口を開く。

「突然なんですけど、ホンッと~に突然なんですけど、変なこと言うんですけど」

 勿体ぶるように話し出した。ボクはコーヒーを飲みながらそれを聞いた。

「久米山さん、"タイムトラベラー"っていると思いますか?」

 タイムトラベラー、かつて幾度となく世に現れだした存在、未来からの来訪者。目的や意図はそれぞれで違う。

「いるかどうかならば、ボクは"いる"と思っているよ。古い映画に偶然映っていた携帯電話のようなものを持つ女性や、同じように小型のカメラを持った男性、そう言えば旅客機のそういった事例もあったかな」そういった存在への認識を述べると、平君は静かに頷いた。

「では仮に。久米山さん、僕がそのタイムトラベラーです、って言ったらどうしますか?」

 ……うん?あまりにも唐突なその言葉にコーヒーを飲む手が止まった。口元でコーヒーの缶を傾けたまま、眉を細めて聞き返す。

「えっと……ナニソレ。冗談?」

「いいえ」

 即答だった。断言した。ガチってやつだ。どうやら平君はかなり変わった奴らしい。

「僕はタイムトラベラーです。そして今日、久米山さんにだけ"予言"をしに来ました」

 わ~お……思った以上にヤバいな。正直、引いている。引いてはいるが……興味は少しだけあった。

「よ、予言?まぁ、職業上、面白そうだし聞いてはやるが……」

「はい、久米山さんに聞いてもらわないと困るので」

 平君は一呼吸おいて続けた。


「久米山さん、七年後の二千二十二年、季節は春、時間は午後十二時ちょうど。編集長の金山さんが亡くなります。日頃の不摂生による癪が原因です。その後、あなたが不知火出版の新たな部長になります」


 そう、平君は"予言"した。もし、この世界がギャグ漫画の世界だったなら、ボクは間違いなくコーヒーを吹いてむせていただろう。

「え~っとぉ……どんな反応リアクションをすればいいのやら……」

 酷く困惑した。俗に言う不思議ちゃんの相手なら適当に流せばいいだけなのだが、この場合……どうすればいいのか、勝手が分からない。だって、すごく"真剣"に言うものだから。

「あ、そんなのは必要ないですよ。『へー』とか『ふーん』とか、聞き流す程度で。聞いてもらうことが大事なことだったので」

 そう言うと平君はベンチから立ち上がった。真っ直ぐ前を向いたまま、ボクの方は一切向かずに。少しだけ顔を伏せて。

「今日はありがとうございました。それでは、七年後にお会いしましょう!それまで、さようなら……

 そう言い残して彼はボクに背中を向けて、何処かへと去ってしまった。去り際の平君の横顔には、一筋の涙のようなものが見えた気がした。

 センセイ?なぜ平君がボクをそう呼んだのか。疑問を胸にボクは家路についた。


 翌日、会社に彼から『健康上の理由により休職を願います』という旨の手紙が届いたらしい。金山からは「なんかしたのか久米山ァ!!」と怒鳴られたが、むしろこっちが聞きたいくらいだ。

 最後まで快活だった不思議で変な若者は、その後、本当に会社に姿を見せることは無かった。


 そして七年後。それは、つい半年ほど前のことだった。

 いつものようにこだわりの朝食を取り、不知火出版に出社した。なんてことの無い、いつもの日常だった。

 出社してすぐだった、同じオカルト部門の鈴木という同僚に呼び止められた。

「おーい、久米山。お前に封筒届いてんぞ。原稿用紙みたいな?」

 封筒?別に何かしらの公募みたいなものはしていなかったはずだが……

「デスク、置いといたかんなー」どういうことか分からないまま、自分のデスクへと向かった。ボクのデスクの上には、確かにB4サイズほどの少し厚い封筒があった。宛て名は『不知火出版 オカルト部門 久米山灯 様』、送り主の名前はどこにも見当たらない。一体だれが……ボクは会社の出版物などを保存する資料庫へと向かった。

 過去に出したオカルト雑誌を読み漁ったが、やはりどこにも公募したという事実はない。だいたい、公募してたならボク宛てで届くだろうか?

 不思議に思いつつ編集室へ戻ると、いつものように金山が大声で誰かを怒鳴っていた。時間は午前十一時半、昼時前によくもまぁ声の出る男だ。

 編集室に響く怒鳴り声を背に、ボクの定位置である元物置へひっそりと逃げるように入った。

 デスクのパソコンでネットサーフィン、調べるのはもっぱらオカルトな情報。次号に載せる物語ホラ話を書かねばならない、締め切りはあと一週間。考えうる限りのキーワードを入力して検索する。ありきたりな都市伝説、怪談、怪異と調べた。「どれも二番煎じか……」想像を働かせてみたが、どうもうまくまとめられない。

 首が疲れた。椅子の背もたれに思いっきり寄りかかって休んだ。ふと、壁に掛かった時計が視界に入った。時刻は午前十一時五十九分、秒針は半分ほど回っていた。「時計……そういえば、何かあったような……」ぼーっと時計を見つめた。秒針は着々とその時を刻んでゆく。

 午後十二時まであと十五秒……あと十秒……

『七年後—――』脳裏にノイズのように記憶がよぎる。

 五……

『春—――』

 四……

『午後十二時—――』

 三……

『金山—――』

 二……

『部長—――』

 一……

『センセイ—――』


 カチリ—――と、時計の音が小さく鳴った。すべての針が十二の刻へと向き、重なった。その時だった。

 ガシャン、と何かが落ちる音が部屋の外、編集室側から聞こえた。ついに金山がブチ切れて物でも投げたのか。そう思って部屋の扉を開けて隙間から覗くと、金山のデスクの周りに人だかりが出来ていた。それも、なにやら騒々しい。人だかりがわずかに動いた一瞬、社員たちの体の間から床に横たわった金山が見えた。胸元を抑えて、苦悶の表情を浮かべている。つい先ほどまで怒鳴っていた男が、突然苦しみ悶えている状況に理解が追いつかないでいると、ボクのデスクの上に置いてあるスマホに着信が入った。

 画面には『非通知』の文字。出ている場合ではないだろうが、ボクはその電話に絶対出ないといけないと思った。先ほど脳裏をよぎった感覚、その答えがあると思ったからだ。スマホを持ち、通話状態にして耳に当てる。

「もしもし……」

 そして次の瞬間、疑惑は確信に変わった。ボクの耳に、覚えのある快活な声が聞こえてきた。


「お久しぶりです、センセイ!覚えてますか?」


 ハキハキとした口調、一瞬で思い出した。そう、平 順だった。

「平・・・・・・君なのかい?」

「よかったー、覚えてくれてたんですね!」

「いや……申し訳ないが君の事はすっかり忘れていたよ。それと……今、緊急事態でね。あとで掛け直してもらっても―――」

 そこまで言い掛けた時、平君が割って入ってきた。

「ダメですよ、助けちゃ」

 なに?助けるな、だと?

「もしかして……"予言"の事、忘れてしまったんですか?」

 予言……それを聞いてボクは七年前の平君との事を思い出した。最初で最後の平君と会ったあの日、夕暮れ時の公園で聞かされた、あの"予言"だ。

「センセイ、今日がその日です」

 ボクは平君の予言の事を思い出そうとした。しかし、それは七年も前の事。そうやすやすと思い出せるものではなかった。それを察したのか、平君は茶化すように言った。

「もー、その様子だと覚えてませんね?しょうがないなぁ、おさらいしましょう。いいですか?『七年後の二千二十二年、季節は春、時間は午後十二時ちょうど。編集長の金山さんが亡くなります。日頃の不摂生による癪が原因です。その後、あなたが不知火出版の新たな部長になります』ですよー。しっかりしてくださいよー」

「それが……今日?」

「そう言ってるじゃないですかー」そう言って平君は笑った。そしてすぐに続けた。

「あの時聞きましたよね?タイムトラベラーは存在するか否かって」

 あぁ、確かにそう聞かれた。

「答え合わせをしましょう。封筒、届いてますよね?」

 封筒……あれの差出人は平君だったのか。

「中を見てください。あぁ、誰にも見せないように。見ていいのはセンセイだけです」

 言われるがままに封筒を開けて中の原稿用紙の一枚目を見る。真っ白な紙の中央らへんには、タイトルと思わしき言葉が印字されていた。


『タイムトラベラー』と。


 そして……作者名の所には、英語でこう書かれていた。


『John Ticor』


 そのスペルから、安易に一人の人物が想定できた。それは、過去に現れた有名な人物。

「君……これはもしかして、『ジョン・タイター』のことか?」

 すると、彼は嬉しそうに答えた。

「さっすがセンセイ!その通り!」

「だが、ちょっと待て!これでは名前のスペルが違うじゃないか!『Ticor』じゃあない!『Titor』だ!真ん中は『t』だろう?」

「えぇ、そうです。でも、これには事情があるんです。今からその説明をしましょう!」そう言って彼は続けた。

「まず本来、僕はこの世界には存在できません。容量オーバーなんです」

「容量オーバー?」

「はい、僕のいた世界『12.32世界』での研究によりますと、世界にはそれぞれ"最大保存域"というのが設定されていることが判明しました。宇宙全体、もしくは地球が"記憶"しておける量ってやつです。ギガバイトって言った方がわかりやすいですかね?なので、僕がこの世界に居続けるためには、。なので、僕は置き換えることにしました。でも、置き換える存在の"証明"もしないといけません。置き換える前、保留状態です」

 つまり……『t』が『c』なのは、犠牲になる存在のため?それと……上書き?置き換える?なにより気になるのは……

「なぁ、『12.32世界』ってなんだい?」

 謎の言葉。気になって仕方なかった。

「あぁ、それはですね。かつてジョン・タイターが予言してしまったせいで世界が一気に分割されてしまったから生まれた世界の可能性、パラレルワールドってやつです」

「パラレルワールド?」

「はい。それも、無限の存在数を誇ります。僕はそのうちの一つからやってきました」

「つまり……君は、『12.32世界のジョン・タイター』ってことか?」

 すると、彼は笑って答えた。

「ははは!いや、それはなんですよねー。このあとのセンセイ次第なんですよー」

「ボク……次第?」

 そして、彼は驚愕の言葉を告げた。


「センセイ。このまま、?」


「な・・・・・・なに?」

 こいつは何を言ってるんだ?人が死にそうなんだぞ?どんなに嫌いなやつでも助けるだろ、普通は!

「そうすれば予言通り、センセイが次の部長です。出世ですよ、幸せでしょ?」

「ふ、ふざけるな!」思わず声が大きくなった。

「なら助けてもいいですよ?その代わり、助けた人は同僚の皆様に嫌われてしまって会社に居づらくなってしまい、辞めてしまいます。センセイも同様です」

 その言い方は、確固たる自信があったものだった。

「それも、君の世界では……?」

「はい、そう」彼はさらに続ける。

「この場合、次の部長さんに"復帰"の旨を伝えて会社に戻り、僕の知っている『未来』を雑誌に載せます。当然、すべて予言通り」

「君の目的は……なんだ?」恐る恐る問い質した。すかさず、迷いのない返答が返ってきた。


「僕が『ジョン・タイター』になることです」


 心臓が大きく脈打った。額には嫌な汗をかいている。

「ジョン・タイターに、なる?」

「えぇ、実は過去に現れたであろうジョン・タイターなのですが、予言をした後に過去に帰ったみたいに言われてますが違います。世界から"消滅"したんです」

「消滅した?」

「さっき世界の最大保存域を教えましたよね?彼はそれを越える過ちを二つ、犯してしまったんです。一つ目は存在の置き換え。彼はこの世界に存在してしまったんです。二つ目は予言。これにより世界の記憶しておける最大保存域を超えてしまいました。当然、毎日何かしらのデータが追加されます。生命の誕生、文明の発展……保存するためには、必要のないデータを削除しなくてはなりません」

 まさか……

「その結果……世界にとって関係のない『要らないデータジョン・タイター』が削除されました」

 愕然とした。いや、しかし……ならば何故、ジョン・タイターの記憶は残っているんだ?今でもネットなんかには残っているぞ?

「データは消えて一件落着、とはならなかった。予言のせいで、世界に可能性パラレルワールドが出来てしまったんです」

「そのせいでジョン・タイターという情報は残った、と?」

「えぇ。今、僕とセンセイがこうして会話をしているように。ジョン・タイターとなり得る存在がいる限り、彼の情報は消えません」

 一気に流れ込んできた情報の波を頭の中で整理する。が、とても処理できるものではない。混乱しているところに彼は言ってきた。

「だからセンセイ……金山、殺しちゃいましょうよ」

 ハッと、息をのんだ。

「センセイが部長になったらセンセイは幸せ、職場の皆さんも嫌いなやつが死んで幸せ、それと……僕の原稿をセンセイが採用してくれたら、みーんな幸せ!だってそれは"ジョン・タイターの予言書"だから!」

 ボクは手に持った原稿に目をやった。これが……予言書?いや、それよりも彼は何と言った?『幸せ』?他人を死なせて?ボクは、自分の中でなにかが沸々と湧きあがるのを感じて声が震えた。

「ふざ……けるな……」

「はい?」

「ふざけるな、と言ったんだ!」

 ガラにも無く声を荒げて、ボクはデスクの引き出しからカッターナイフを取り出し、刃を数センチほど出して左手に当てた。


「ボクは他人を犠牲にしてまで幸せになりたいだなんて思わない!そんな幸せを否定する!」


 そして、そのまま刃を勢いよく引いて左手のひらを切り裂いた。傷口から黒い血が球状にプクリと湧くと、直後に真っ赤な血となって滴り落ちた。激痛の走る左手を抑えるためにカッターナイフを投げ捨てる。編集室側に。

 突然足元に転がってきたカッターナイフを拾い上げたのは鈴木だった。こちらを見て、すぐに異変に気付いた。

「久米山ァ!?ど、どうした、お前、その血はァ⁉」

 ボクの足元には血だまりが出来ていた。鈴木は自分のスマホを取り出して、すかさず救急車を呼んだ。

「センセイ?なにを……したんですか?」今までだんまりだった彼が口を開いた。

「君は言ったね、助けるな、と。でもそれは、ボクを対象にした話だ。つまり、"ボク以外が助ければいい"」

「でも、そんなことをしたら助けた人が……」

「ならないよ。なぜなら、救急隊が駆けつけた時、真っ先に目に入るならそれは、床に転がった金山だろうからね」

 そうだ、助ける人物なんだ。この不知火出版の社員でなければよいのだ。救急隊が自分たちの判断で助ける順番を決める、そうなればそれは、金山が先だろう。

「な・・・・・・なんで……」電話の向こうで彼は声を震わせていた。

「平君。君はジョン・タイターになると言ったね」

「え、えぇ、そうです!僕が本当の『タイムトラベラージョン・タイター』に—――」

 祈るような声で言う彼に、ボクは告げた。


「ボク達の世界に、君の予言は必要ない」


 そう告げた瞬間、ブツリと通話が途切れた。


 程なくして救急隊がやってきた。案の定、まずは金山を優先した。担架に乗せられ運ばれる金山と共に救急車に乗り病院へ。

 金山は一命をとりとめた。しかし、今後の職場復帰は危ういと判断され、彼は退職となった。ボクは手の傷が癒えるまでの間、有休の消化に充てた。

 次に部長になったのは救急車を呼んだ鈴木だった。ヒラからの突然の昇格、仕事が爆発的に増えてしまい、毎日てんやわんやだ。申し訳ないことをしたかもしれない。


 そんなことを休んでいる間考えていた。あの日から今日まで。

 身支度を済ませてボクは会社に向かった。久しぶりの出社だ。

 編集室では鈴木が今にも泣きそうな顔をして書類やら何やらに目を通している。

 ボクはこそこそと、鈴木から隠れるようにいつもの場所物置へ。


「あ。おーい、久米山~!」


 呼んだのは鈴木だ。こちらに手を振っている。ボクは渋々振り返り、鈴木のデスクに向かった。

「今日からさ、長いこと病気で休んでた人が入るから。色々教えてあげてよ」

 休んでたやつ?そんなやついたっけ?思い返そうとしてるとその人物と思わしき女性が編集室に入ってきた。若い女の子だった。

 そして、ボクに向かって礼をして自己紹介をした。


「初めまして!私、『三重みえ陽子ようこ』って言います!よろしくお願いします!三重県の三重に、太陽の陽、子供の子、です!」


 三重陽子……化学っぽい名前だな……


 そんなことを思いながら自分のデスクへ向かった。

 デスクの上、あの封筒が残っていた。

 予言書と呼ばれたもの。

 ボクはそれをシュレッダーにかけた。

 願わくば二度と、タイムトラベラーなど現れないでほしいものだ……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

久米山灯のミステリアスレポート ム月 北斗 @mutsuki_hokuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ