第1話 大陸統一暦1000年7月もしくは996年、娼婦エルマラと約束のタルト

第1話 01

 手のひらの上に鍵があった。

 敵の本拠である王都に潜入し、解放戦に携わっていたこの二ヶ月間、これだけは決してなくすまいと丈夫な鎖に通し、肌身離さず身につけていた店の鍵が。

 俺は入口の前で立ち尽くし、鍵と扉を等分に眺めた。

 ここは俺の家。そして俺の店。それは理解している。

 帰ってきたのだ。帰ってこれたのだ、ということも、頭では。

 それなのに、一欠片の喜びも意欲も湧いてこなかった。

 鍵を鍵穴に差し入れれば、かちり、と音が鳴る。緩慢に扉を押し開けると、目に映ったのは暗がりの中に沈んだ一階ホールの有様だった。

 誰に荒らされているわけでもない。

 戦場に赴くため戸締まりしたあの日から、何も変わってなどいない。

 それなのに俺は、荒んだ、と思ってしまった。


 窓の鎧戸を閉めているだけだ。

 固く閉ざしたそれを開ければ、昼の光はいっぱいに差し込んでくるだろう。

 頭ではそう判っていた。けれども暗闇の中に歩みを進め、窓へと手を伸ばす気力が、どうしても湧かなかった。

 一歩、二歩。それで精一杯。ホールの床にへたり込んで、俺は隙間から入り込むわずかな光を見上げた。

 ああ、と小さな嘆きをあげる。

 このホールには、いつも賑やかな喧噪が満ちていた。

 幼い頃から共にあった友たちが、なけなしの金で酒肴を広げ、酒を酌み交わし、時には喧嘩をし、馬鹿話をして大きな声で笑っていた。

 けれども今、音をたてるものは一つとしてない。

 ここには俺一人だけ。


 その輪の中に、あいつらは確かにいたのだ。

 確かにここで笑い、泣き、自分の人生を生きていた。

 けれども、もうここには帰ってこない。

 誰一人、帰ってはこない


 もう、誰もいない。

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