最終話

 勉強をやる予定ではあったのだけれど、今日はお互いに集中出来ずにいた。今まで全く隣の部屋の様子を意識してきた事なんて無かったのだけれど、平野さんの言葉を聞いて俺は二人の事を意識してしまっていた。

 平野さんもいつもとは違ってソワソワと落ち着きのない様子ではあるのだ。何度も紅茶を淹れているので自然とトイレに行く回数も増えているのだが、そうなると俺は平野さんの部屋に一人でいる時間が長くなってしまっているという事にもなるのだ。

 一人で黙って座っている時間が長くなればなるほど静寂が気になるのだけれど、いつもとは違って隣の部屋から聞こえてくる音楽があるのは少しだけ助かっていた。なんでいつもは聞こえない音楽が聞こえているのだろうという疑問はあったのだけれど、あまり深くは考えないようにしよう。

「ごめんね。今日はちょっとトイレが近いのかもしれない。吉野君は大丈夫?」

「俺は大丈夫ですよ」

「そうだ、クッキーのお代わりも持ってきたから食べていいからね。これは手作りのじゃなくて市販のやつだから味は大丈夫だよ」

「そうなんですか。さっきまで食べてたのも美味しかったから気付きませんでした。お菓子作りって大変そうですよね」

「慣れないうちは大変かもしれないけど、慣れてしまったらそうでもないかな。分量と時間を間違えなければそんなに失敗することも無いしね。興味があるんだったら今度教えてあげようか?」

「興味はありますけど、俺ってそんなに器用じゃないから失敗するかもしれないですよ」

「そんな事ないと思うよ。バイト先でも結構器用なところ見てるしな。もしかしたら、吉野君みたいなタイプの子の方が上手だったりするかもね」

 今日は今まで意識していなかったことが気になりだす日なのだろうか。全く意識していなかったのにバイト先でも平野さんに見られていた。バイト先で大きな失敗はしたことが無いので変なところは見られていないと思うのだけれど、そんなに器用な事をした覚えもないんだよな。いったいどの辺が器用だと思うのだろうか。それを聞いてみたい気持ちはあるのだけれど、何となく俺の事を言われるという事が気恥ずかしくもあったのだ。

「吉野君ってあんまり他の高校生の子と仲良くしてるとこ見た事ないんだけど、他の高校だとそう言うもんだったりするの?」

「そういうのは無いんですけど、あんまり話したりもしないんですよ。でも、平野さんも他の学生とかと話したりしてないですよね」

「そうなんだよね。私は吉野君くらいしか話してないかも。店長にも言われてるんだけど、吉野君以外とも仲良くした方が良いよってね。それが出来ればとっくにしてると思うんだけどさ、あの子たちって私とタイプ違うんだよね。見てて疲れちゃうくらい元気だし、あんなに楽しそうに過ごすのも無理かなって思うんだ。あ、吉野君が暗いって言ってるわけじゃないからね」

「いや、わかりますよ。俺も店長から高校生同士だしもっと仲良くした方が良いんじゃないかって言われますもん。俺もそれが出来ればしてると思うんですけど、みんな年下だから俺が入るといつもと違って大人しくなっちゃうんですよね。今はそれがわかってるからあまり一緒にいないようにしてるんですけど、店長も最初と言ってることが違って仲良くしろって言ったくせにシフトは別にしてるんですよ。俺の希望と向こうの希望でそうなってるのかもしれないですけど」

「でも、合わない人と無理に合わせる必要なんてないもんね。私は吉野君とは仲良く出来て良かったよ。私の周りには吉野君みたいな人いなかったしね。私に言い寄ってくるような人って大抵は静香ちゃんが目当てか下心丸出しの人ばっかりだったからな。そういう点では吉野君って珍しいかも」

 俺は静香さんの事を知ったのは吉野さんに勉強を教えてもらったことがきっかけであるので静香さん目的で吉野さんに近付いたのではない。ただ、下心が完全にないかと言われるとそういう事でもないのだ。俺だって健全な男子高校生であるわけで、そう言ったことも多少は考えているのだが、実際にそういう事を行動に移すまでには至らないというだけなのだ。こうして平野さんの部屋に来ているのだからそういう事をする雰囲気を作るべきなのかもとは思うのだが、隣の部屋に姉ちゃんと静香さんもいるのだからそういう感じには出来ないだろう。

 いや、隣にいるのにそういう事をする人だっているのではないだろうか。例えば、隣にバレないように少しだけ大きめに音楽をかけてみるとかするかもしれない。俺の考えすぎかもしれないけれど、今までは聞こえてこなかった音楽が聞こえてくるのもそういう事なのかもしれない。いや、さすがにコレは俺の考え過ぎだろう。さすがにそんな事はしてないはずだ。

「吉野君ってさ、綾斗君って名前だよね?」

「はい、そうですけど」

「今からさ、二人でいる時は名前で呼んでもいいかな?」

「別にいいですけど、急にどうしたんですか?」

「どうしてだろうね。綾斗君もさ、私の事は平野さんじゃなくて未来って呼んで欲しいんだけど、どうかな?」

「どうかなって。名前で呼んで欲しいていうんだったら呼びますけど。さすがに呼び捨てはダメだと思うんですけど」

「呼び捨てじゃなくても良いよ。綾斗君の呼びやすい感じで良いからね」

「じゃあ、未来さんで」

「ありがとう。ところで、綾斗君って年上の女性とキスしたことってあるのかな?」

 僕たちのお勉強はまだまだ続くのであった。

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