第九話

 俺はなるべく距離をあけようと思ってはいるのだけれど、一人用の狭いベッドではそんなに離れることが出来ない。それに、距離をあけてしまうと布団に隙間が出来てしまって少し寒く感じてしまうのだ。

「ねえ、河崎さんってそんなに僕の事嫌いなんですか?」

 松本舞は少し不満そうに呟いたのだが、俺はそれに返事などせずに黙って背中を向けていた。少しでも前に寝返りを打つとそのまま下に落ちてしまいそうではあるのだが、たぶん朝まで落ちることは無いだろう。松本舞の寝相が悪くて落とされることがあるのなら話は別だが、俺はそこまで寝相も悪くないので問題は無いはずだ。

「もう寝ちゃったんですか。じゃあ、少しだけそっちに行きますね。隙間が出来ていると寒いので」

 寝る時の体勢は人それぞれだと思うのだが、俺の場合は仰向けになって天井を見上げて寝るのがいつもの事なのだ。ただ、今日に限って言えばそれをしてしまうと狭いベッドの大半を俺が占領することになってしまうのでそうすることも出来ずに横を向いているのである。

「なんだかこの体勢って落ち着かないんで、ちょっとだけくっついてもいいですよね。河崎さんは寝ちゃってるみたいだし、僕は遠慮しなくてもいいですよね」

 松本舞は少しだけ体を浮かせて俺の方へと近付いてきているのだが、なぜか俺はその様子が手に取るようにわかっていた。動きを直接見ているわけではないのだけれど、ベッドのきしむ感覚や背中に触れている松本舞の手のひらが俺の感覚をいつも以上に敏感にしているのかもしれない。

 そのまま抱き着かれてしまうのだろうなと俺はぼんやりと考えてしまっていたのだが、松本舞の様子が少しだけ変な感じになっていた。

 俺の背中に触れている手が何だか落ち着きが無くあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。俺を起こすつもりであればもう少し大きく強く動かすと思うのだが、なるべく俺を起こさないようにしているようだ。それと、なんでかわからないのだが、腰もくねくねと動かしているような感じがするのだ。もしかして、何もしないと言っていたことは自分からは何もしないけどお前は手を出せと言う意味だったのだろうか。その事を待っているというアピールのようにも思えるのだが、本当にそんな事を望んでいるのだろうかという葛藤で俺はますます寝られなくなってしまった。

「河崎さんは本当に寝ちゃったのかな。どうしよう、このままだったら僕は我慢出来ないかも。かと言って、ここでしちゃうわけにもいかないし、朝まで我慢出来るとも思えないしな」

 これは完璧に誘っているパターンだ。だが、俺は寝たふりをしてしまっている以上ここで起きるわけにはいかないだろう。ここで起きてしまったら寝たふりをしている事がバレてしまう。その事に何の問題も無いと思うのだけれど、何となく逃げているように思われそうで恥ずかしかった。

 相変わらず松本舞はもぞもぞと体を動かしているのだけれど、俺の背中に当てていた手を離して自分の方へと動かしてしまった。お酒が入っているとはいえ俺が横で寝ているのにそんな事をしてしまうのかと思うと、俺は今まで以上に全神経を背中に集中してしまっていた。松本舞がこれから何をするのか背中越しに感じようとしているのだが、俺はこういう状況が好きなのかもしれないと思うと何だか恥ずかしい思いになっていた。

 ベッドの感じや松本舞の動きから察するに、松本舞の手は俺の背中から離れて自分の方へと戻しているようなのだが、どう考えてもその手は松本舞の腰より下の位置にあるようにしか思えないのだ。小さく動いているのでわかりにくいのだが、明らかに腰と手を動かしていて息遣いも少しだけ荒くなっている。何かを我慢しているのは間違いないと思うのだが、今ここでそんな事をし始めてしまうのはどうかと思う。隣に俺がいるという事を忘れないで欲しい。

 この状況で俺が起きれば全ての問題も解決するだろう。だが、そんな事をしてしまうと俺が寝たふりをしていたという事がバレてしまう。それに、今俺が寝たふりをやめてしまうと松本舞とエッチがしたいんだと思われてしまいそうで恥ずかしかった。いや、したくないのかと言われればしたくないとは言えない。ちょっと前まで全く意識していなかった相手が、シャワーを浴びて少しだけ見えた女性的な部分を感じてしまい、異性として意識してしまっているなんて認めたくもないのだ。

 つまり、俺はこのまま寝たふりをして一晩過ごすことが正解だという結論にたどり着いた。隣で寝ても手も出さず何もしないでいることで今までの関係を壊さずに続けることが出来ると俺は思う。何もしないヘタレで臆病者だと思われても良い。今までの二人の関係が壊れてしまうよりは全然いいだろう。

 だが、俺のそんな考えを否定するかのように少しずつ松本舞の動きは大きくなっていき、息遣いもだんだんと荒くなってきていた。

 背中越しにそんなものを感じてしまうと、先程俺が決意したことも無駄になってしまうのではないかと思ったのだが、そんな事はお構いなしに松本舞は呼吸を荒げていた。それと同時の俺の背中に額を押し当てているようなのだが、直接体が触れ合う事で松本舞の体の小刻みな揺れが俺の体にも伝わってきてしまったのだ。


「ねえ川崎さん。僕やっぱりもう我慢できません。お願いだから起きてくださいよ。起きてくれないと、僕はここでしちゃうことになっちゃいますよ」

 とても消え入りそうな小さい声ではあった。この状況でも俺を起こさないように気を遣ってくれているのがわかるのだが、ここで俺が起きても良いのだろうか。そんな事をしても大丈夫なのだろうか。そんな事を考えているのだが、何も答えなんて出るはずがなかった。

 そして、とうとう松本舞は俺の体を大きく揺さぶって実力行使に出たのだった。

「本当に我慢出来ないんです。起きてください」

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