第六話

 移転などせず以前のままの店舗なので当然の事なのだが、楊々舎の外観は全くどこも変わってはいなかった。店内は以前よりも明るく開放的になっているように感じるのだが、それは日中にカーテンを開けて光を取り入れているからなのかもしれない。

「あ、齋藤さんじゃないですか。明松さんから聞いてますよ。奥の個室にどうぞ」

 俺は案内された個室のドアをノックしてからドアを開けて中を見てみると、部屋の中には明松さんがソファに座って雑誌を読んでいた。一瞬だけ雑誌から目をはなして俺の事を確認するように見ていたのだが、俺と目が合うよりも先に視線を雑誌に戻してしまっていた。

「本当に斎藤さんだったんですね。市川さんの会社の名前と斎藤さんから聞いていた会社の名前が一緒だったからもしかしてって思ってたんですけど、本当に斎藤さん本人だったんですね」

「どういう風に聞いているか知らないけどさ、俺は吉川さんにここで市川さんに麻雀の特訓を一緒にして欲しいって頼まれたから来たんだよ」

「吉川さんって、確かここのオーナーの親戚の人ですよね。オーナーの親戚でもなければこんなところに若い女の子が来るはずも無いって思いますけど、斎藤さんだったらもっと他に良い雀荘知ってたんじゃないですか?」

「どうだろうね。俺は最近外で麻雀を打ってないから雀荘にも行ってないしな。そう言えば、明松プロは今年だけでも三回決勝まで勝ち上がってるんだったよね。随分強くなったんだな」

「あの時は運も良かったですからね。他の人の運が悪かっただけなのかもしれないですけど。でも、明松プロって呼び方はやめてくださいよ。前みたいに名前で呼んでくれてもいいですから」

「さすがにそう言うわけにもいかないと思うけどな。これから吉川さんと市川さんも来るって言うのにさ、麻雀プロの明松さんの事を名前で呼ぶなんておかしいでしょ」

「別におかしいことなんてないと思いますけどね。齋藤さんは私の先輩であることには変わりないんだし、名前で呼ぶのだって普通だと思いますよ。って言うか、いつまでそこに立ってるんですか。さっさと中に入ってくださいよ。それに、立たれてる時になるんで座ったらどうなんですか?」

「ああ、そうだね。じゃあ、失礼します」

 俺は促されるままに個室内へと入り、そのまま麻雀卓に向かおうとしたのだが明松さんに止められてしまった。

「なんでそっちに座ろうとしてるんですか。まだみんな揃ってないし席も決めてないでしょ。ほら、ソファが空いてるからこっちに座ってください」

「ソファが空いてるって、二人掛けのソファの真ん中に明松プロが座ってる人の言うセリフじゃないよね?」

「何ですか、その言い方って私が太ってるって言いたいと受け取っていいんですか。何年振りかにあったのに失礼だと思うんですけど」

「いや、そういう意味じゃなくてさ、もう少し端に寄ってくれたら二人で楽に座れるんじゃないかなって思って」

「それってやっぱり私の事を太ってるって言ってるようなモノじゃないですか。昔から私の事をバカにしてますよね」

「そう言うわけじゃないんだけど。でも、明松プロが動いてくれなきゃ子供でも狭いと思うんだけど」

「もう、明松プロじゃなくて名前で呼んでくださいって言ってるじゃないですか。わかりましたよ、少しズレればいいんでしょ。全く、斎藤さんは前と変わらずワガママなんだから」

 一体どっちがワガママなんだろうって思いながらも少しだけ広くなったスペースに腰を下ろして二人の到着を待つことにした。

 明松さんは俺が座った時には触れ合いそうな距離にいたのだけれど、雑誌を見ながらも横目で俺の事をチラチラと見てきていて、たまたま目が合ったタイミングで少しだけ距離をあけてくれたのだった。

「それで、今日はどうしてここに来たんですか?」

「どうしてって、市川さんの麻雀の特訓に付き合ってくれって吉川さんから頼まれたから来たんだけど」

「頼まれたら何でもするような関係なんですか?」

「そう言うわけでもないけど」

「で、斎藤さんはどっちの人と付き合ってるんですか?」

「え、どういう意味?」

「そのまんまの意味で聞いてるんですけど。吉川さんと市川さんのどっちと齋藤さんが付き合ってるのかって聞いてるんですよ。もしかして、二股ですか?」

「いやいや、そんなわけないでしょ。そもそもどっちとも付き合ってないし。ただの会社の後輩だよ」

「本当ですかね。何か怪しいんだよな。齋藤さんが麻雀を教えるなんて珍しいですからね」

「別に珍しいことでもないと思うんだけどな。それにしても、二人とも遅いね。もう約束の時間は過ぎてるっていうのにさ」

 時計を見ると既に約束の時間から十分ほど経過していた。どんな時でも市川さんは時間よりも早くにやってくるはずなので遅れてくるところは見たことが無かったのだ。連絡も無しに遅れてくるなんて無いと思うのだが、もしかして事件や事故に巻き込まれてしまったのではないだろうか。そんな事を思ってやや焦ってきた俺に対して明松さんは思いもよらないことを口にしたのだ。

「二人は遅れてなんて無いですよ。約束の時間までまだ一時間半くらいありますし」

「どういう事?」

「吉川さんに頼んで齋藤さんが二人よりも早い時間に来るように早い時間を教えるように言ってあるんですよ。今頃二人は何か美味しいものでも食べてるんじゃないですかね」

「何のためにそんな事を?」

「何のためにって、これくらいしなくちゃ齋藤さんは私と二人の時間を作ってくれないじゃないですか。齋藤さんが私に会いに来てくれるかもしれないって思いながらずっとここに常勤してるんですよ。何で会いに来てくれなかったのか説明してもらいますからね」

「説明するも何も、雀荘に行く機会が無かっただけなんだけど」

「そんなのは理由になりませんって、じゃあ麻雀をやりながら問い詰めちゃいますね」

「それって、問い詰めると麻雀の対子トイツをかけてるって事かな?」

 明松さんは俺の顔をまじまじと見ながら深くため息をついていた。この姿は以前も何度か見た覚えがある。

「相変わらず面白くないですよ。都合が悪くなるとそうやってつまんないダジャレで誤魔化そうとする癖変わってないですよね。まあ、いいですけど」

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