【短編】恋愛星人が攻めてきた
夏目くちびる
第1話
ある日、宇宙からとんでもないテクノロジーを有する生物が攻めてきた。
彼らは新しい植民地を得るために地球へやってきたのだが、現地生物の調査をするうちに『恋愛』という最も合理性から離れた娯楽を享受している事に気が付いた。
「この生物たち、楽しそうですわね」
「我々の子孫は、優秀な遺伝子同士でしか交配を行わなかったようですからね。そのお陰で、宇宙でもトップレベルのテクノロジーと政治システムを有してるワケですし」
「姫として、わたくしがこの星の生物に効率的な子孫の残し方を教えて差し上げようかしら。暇だし」
「これだけテクノロジーに差があると、征服にも一秒とかかりませんしね。彼らの生態系を知る余興として最適ではないでしょうか。連中、言葉なんて代物を使うレベルの低能ですから」
「ふふ。では、いってきますわ。お母様には、今しばらく暇をもらうと伝えておいてくださいまし」
「承知しました」
そして、姫と呼ばれたデータはリアルワールドへ地球人を模した肉体を作り出し、意識を送り込むと星へ降り立ったのだった。
× × ×
「左京、また浮気したの? もう許さないよ?」
「浮気って言葉の意味知ってるか?」
「左京君、ボクに嘘ついたの?」
「何の話だよ、哲学は苦手なんだけど」
「左京さん、私になにか言うことがありますよね?」
「さっき、ちゃんと挨拶しただろ」
彼、
彼女たちは、その才能にやられてしまった女たち。傷ついたり、疲弊したり、寂しかった時に優しく包まれて心底惚れてしまったのだが、親密になればなるほど他の女の影を知ってしまい、結果、独占欲と嫉妬心がメラメラと燃え上がってしまったのだった。
しかし、そんな才能を授かったのにも関わらず、彼は優男でなくむしろ対局にある不良であった。
優柔不断でなくて、鈍感でなくて、生きるエネルギーが有り余っており、おまけに祭りと喧嘩が大好き。決して、ハーレムを形成出来るような性格ではないのが、逆に女たちを酷く傷つけてしまうという悲しい運命を背負っているのだった。
だからこそ、女たちの心は燃え上がる。
本能的に、この男は一人を選べば決して他へ心を移さないと理解してしまう。そこに、異常な安心感を覚えてしまう。頭ではなく、心で分かってしまうのである。
故に、諦められない。諦める必要がないと言い換えてもいいだろう。他に好きな女がいないのならば、そこに自分が収まるべきだと確信しているのだ。
それが運命なのだと思えば、しまいには病んだりストーカーになったりと異常な恋をブツけてしまうが、ビビらずに真正面から構ってくれる左京を、当然彼女たちが忘れられるワケもないのであった。
「待ってよぉ、左京〜」
「授業始まっちゃいますよ」
「うるせぇ、気分悪いからサボる」
そんなワケで、彼は三人から離れて屋上へ。お気に入りのサボりスポットである貯水タンクの裏側へ腰を落ち着けると、悩みをすっかり忘れる為にゴロリと寝転がって静かに目を閉じたのだった。
……。
「ごきげんよう、地球人」
「……あぁ?」
一体、どれくらい眠っていたのだろう。声をかけられてゆっくりと目を開けると、目の前には彼が通う
もちろん、例の姫である。
「なるほど、あなたのような顔付きを『男らしい』というのですわね。如何にも、頭脳労働は向いておりませんわ」
「突然の罵倒をありがとう、そういう趣味はないから消えてくれ」
「消えませんわよ、あなたに恋愛のあるべき姿を教えなければならないのですから」
「電波過ぎるだろ、お前」
左京は、女に絡まれ過ぎてとうとうおかしな夢を見てしまったのだと思うと、そろそろ目を覚まそうと考えて美人に背を向け大きく息を吐いた。
吐いたが、彼女の言葉が引っ掛かる。そして、どうせ夢なのだから疑問くらいは晴らしておこうと思い立つ。
本当に夢なら、彼の知り得る事だけが返答になると気が付かないのが彼のポジティブで愛されるべきバカな点でもあるのだが。
「なぁ、お前の言う恋愛のあるべき姿ってなんだ?」
「子孫を残す上で、迂遠なやり取りは必要ないでしょう? つまり、一人の男の優秀な遺伝子を多くの女性にバラ撒けばいいのですわ」
「好みじゃねぇなぁ。第一、好きじゃなきゃ抱いても幸せじゃねぇよ。やりてぇだけの連中って、一発で満たされねぇから誰とでもやるんだろうしさ」
「快感など、一時の感情に過ぎません。現在の地球人は宇宙でも最底辺の無能なのですから、せめて子孫に有能を誕生させる為に努力するべきです」
「なんかズレてねぇか? お前の言ってる話って全然恋愛じゃねぇよ。そんな繁栄のやり方を進めてたらゼッテー滅びるね」
「……なんですって?」
その時、姫の表情が彼を訝しむモノに代わった。あまりにも合理性から離れた考えのせいで、思考にノイズが走ったからだ。
「ならば、あなたのいうところの恋愛とはなんなんですの?」
「相手を自分より大切にすること」
「おっほっほ! バァカ丸出しですわねっ! そんな有機生命体が存在するワケありませんわっ!?」
「存在するんだよ、お前が知らないだけだ」
自分が知らないことを、一秒もかからずに征服出来る星の下等生物が語っている。その事実は、姫に感情を芽生えさせるほどに苛立たせた。
「ならば、その非合理性をわたくしに納得させてみなさい! あなたの知る恋愛の最適解で満足したならば、この星の植民地化を諦めて差し上げますっ!」
「お前、ちょっとおかしくねぇか?」
「あら、怖いんですの? まぁ、そんな非合理性でわたくしを縛るなど不可能ですからね。仕方のないことですわ」
安い挑発だが、左京が乗ってしまうのには十分な力を持っていた。慕われ、追いかけ回される彼にとって、追わされる身を押し付けられる感覚は初めての事だったからだ。
「上等じゃねぇか。なら、死ぬほど大切にしてやっから覚悟しやがれよ。この電波女」
「ふふふ、楽しみですわね」
「チクショウ。……まぁ、いい。俺は左京だ。お前、名前はなんていうんだよ」
「んー、そうですわね。では、アトラとお呼びください。地球人にも馴染みがあるでしょう?」
「偽名使う意味が分かんねぇし、別に馴染みもねぇけどな」
そんなワケで、無意識にモテてしまう不良と地球を征服せんとする生物の姫は出会った。もちろん、この出来事が地球の命運を握っている事など、誰にも知る由はないのである。
× × ×
「アトラ、弁当食おうや」
「いいですわよ、左京様」
転校生としてクラスに溶け込んだアトラに声を掛けた姿を見て、左京に惚れている女たちは目を白黒させていた。
これまで一度として現を抜かすような真似をしたことなどないのに、昨日転校して来たばかりの子に優しくするなどあり得なかったからだ。
「ねぇ、アトラさん。ボクたちもご一緒していい?」
ふと、ショートカットでボーイッシュな
「ええ、いいですわよ」
了解を得て、今朝にも話しけてきた三人は机をくっつけると弁当を机に置いてから探り探り左京とアトラを交互に見た。一体何があったのかと詮索している様子である。
一方、啖呵を切ったはいいがどうすればアトラに自分の思う恋愛の何たるかを伝えられるのか分からない左京は、足りない頭をグルグルと回して物思いに更けながら弁当を食べていた。彼は一人暮らしのため、不良のクセに自分で料理をしているのである。
「左京様、それはなんですか?」
「肉と米と野菜。つーか、お前の弁当どうなってんだよ。カロリーメイトだけって」
「肉体の生命維持活動は必要です。なので、最もカロリー計算の楽なこれを摂取することにしたのですわ」
「そのキャラ疲れねぇか? ダイエットしてんなら素直にいえよ」
「ダイエット?」
夢の中からでて来た不思議ちゃんを見て、「これだけ徹底してるとむしろ合わせてやりたくなるな」と思う左京であった。
「左京君、アトラさんとは前からの知り合いなの?」
清楚で黒髪の委員長、
「いや、昨日会ったばかり」
「では、どういう関係?」
「惚れた、俺の片思い」
「はぁ!?」
彼女たちの動向を気にしていた周囲のクラスメイトたちも、一斉に驚いてガタッと立ち上がる。その狂乱の中で落ち着いているのは、皮肉にも当人である左京とアトラの二人だけであった。
「左京がモテる理由が分かってムカつくわ」
「まぁ、仕方ないでしょ。あんた、クラスの真ん中で自分を好きな女の子に同じこと言えるの?」
「無理に決まってる」
好き勝手に審議をする声を聞きながら、泣きそうな顔で固まっている三人を見る。相変わらず作り物みたいな笑顔を顔面に貼り付けてカロリーメイトを齧るアトラが、妙に憎たらしく思えた。
「ま、待ってよ。ウチらのこと分かってるでしょ? なんで今日会ったばっかの子にそんなこと言うの?」
金髪ギャルの
「なんでって、いい女だろ? こいつ。だから好きになったんだよ」
「い、いい女……」
しかき、あまりにも潔い態度は、彼が一目惚れなどあり得ないという錯覚を逆に強くする。結果よりも過程を大切にしている彼が、ただ美人だというだけで安易に女を好きになる事など彼女たちには信じられなかったからだ。
故に、アトラは何か事情を抱えている。そんなことを、彼女たちは漠然と理解したのだった。
「これ、分けてやるよ。食事は別に、生きるためだけにやるモンじゃねぇんだぞ」
「左様でございますか。では、貰った分のカロリーを左京様へ」
そう言って、アトラは左京の白米の上にカロリーメイトの欠片を乗っけた。
「これで飯食えってか?」
「何か問題が?」
「下手に飲み込める分、ガムご飯より食いにきぃよ」
「なんですの? ガムご飯って」
「この世界で一番クソ不味い飯の一つだ」
アルバイトが上手く行かなかった頃、何でもいいからオカズにして食べていた記憶が蘇った。
一方、キシリトールとミントの味の白米を想像した三人は、少々気分を悪くして静かに自分の弁当を口にした。
「まぁ、そういうワケだから飯食ったら二人にしてくれ」
「う、うん」
食事を終えて、左京はアトラを連れて図書室へやってきた。この部屋は広く、それていて個人スペースを設けてあるから逢引には持って来いの場所なのだ。
「そろそろ、あなたの本気を見せてくれるんですわよね? まさか、狭い場所へ連れてきて強引な方法で短絡的に片付けようとなんてしていないでしょう?」
「昨日も言ったろ、そういうのは好きな女にやるから幸せなんだよ。今のお前にやったってどーしょーもねぇさ」
途中で買ってきたコーヒーを啜り、まるで興味もなさそうに答える。小さな声は、ブースの吸音材に吸収されて周りには届かない。
「なら、二人きりになってどうするんですの?」
「俺がお前をマジで好きになる為の準備だ」
「はい?」
「好きでもねぇ女に尽くすのは無理だって悟ったんだよ。だから、お前にマジで惚れる。そのために、お前のよく分からん電波話を一から十まで全部聞かせてくれ」
「……あなた、頭がおかしいんですの?」
「その言葉、そっくりそのままプレゼントするぜ」
そして、アトラは左京へ自分たちの種族がどうやってデータ生命となったか、幾つの星を植民地としてきたか、頂点となって統一する意味はなにかを聞いた。
「なるほどな、要するにお前の体はただのハードウェアで、命と精神はとっくにデータ化してサーバーで永遠を享受してるってワケか。んでもって、惑星の植民地化はコンピュータの整備をさせるための人的資材の確保が目的であると」
「そうですわ。因みに、この肉体は地球人が美しいと思う形をただ具現化しただけですの。もっとも、終わりのない命の前では美意識なんてあってないようなモノですが」
SF映画の見過ぎで感覚がおかしくなってしまったのだと結論付けると、左京はアトラの頬を指で優しくつまみながら、やがてこめかみまで撫でてため息をついた。
どう触っても、作り物ではない。もっとも、アトラの種族が有するテクノロジーを、地球人の左京が正誤判別出来るワケもないのだが。
「なんか、可哀想だな。お前、年齢とかどうなってんの?」
「少なくとも、わたくしには四千年を仮想世界で生きた記憶データがございます。わたくしはマザーデータではないので、役割に従って宇宙を観測していただけに過ぎませんが」
余談ではあるが、彼女が姫という事は、つまりそのマザーデータから直接生み出されたより高度なデータなのだ。だからこそ、彼女だけが「暇だ」と感じてしまったのだろう。
「よ、四千って。なら、何もかも経験して極めちまって、新鮮さなんて感じられないんじゃないのか?」
「極めた、なんて言葉を使う者は何かを極めようと志した事すらないバカだけですわ。それに、少なくともこうして頬を撫でられたのは初めての経験ですの」
聞いて、左京は手を止めるとアトラの目を見てから自分の後頭部をカリカリとかいた。
「ハードウェアに、感覚があるのか?」
「地球人をトレースしたのですから、当然内部まで地球人と同じ構造になってますの。足のつま先から頭の天辺まで、あなたたちと同じですわ」
「なら、きっと愛される事の幸せが理解出来ると思うぜ。少なくとも、触れ合いはお前の心の寂しさを埋めてくれるハズだ」
「寂しさ?」
長い赤髪を耳に掛け、アトラは首を傾げた。この男には、なぜ自分がそんなふうに見えているのかがサッパリ理解出来ない。
「あぁ、お前って合理性に気を取られて便利じゃない事の楽しさを知らないだろ。不便だからこそ幸せな出来事ってのが、地球には確かに存在してるんだ」
「ならば、その具体例を教えてくださりませんか?」
「あいにく、それをお前にくれてやるには俺のお前を思う気持ちが足りてない。もう少し仲良くなったらしてやっから、ちょい待ちなよ」
アトラは、左京の荒唐無稽で否定する言葉を形容し難い返答に苛立っていた。焦れったくて、しかし洗脳して答えを聞き出す事は勝ちに繋がらないと理解してしまって、手を拱いてほっぺたを膨らませるに留まる。
機械なのに明らかに感情あるじゃん、と喉まで出かかって飲み込む左京。彼女の設定に則るのなら、ハードウェアに精神が引っ張られるといったところだろうか。
「でもよ、どうして永遠に生きられるのに新しく命を生み出すワケ? 最初のデータ生物っつーか、そのマザーデータをアプデしまくればいいんじゃねぇの?」
「宇宙の新たな未解析情報が見つかるたびに、わたくしたちは意識と人格を分裂させてファイルを増やすのです。膨大な情報を手に入れる為には、既存のアップデートよりも新たな解析ツールに自動学習させる方が合理的ですわよね?」
「わよね? とか言われても分からねぇよ。なんでそんなにたくさん情報が必要なのかも分からんし」
「まったく、これだから地球人は」
アトラは、やれやれといった様子で小憎たらしい笑みを浮かべた。
「しっかし、そこまで設定を練ってると尊敬に値するよ。せっかくだし、お前の知ってる宇宙の真実を教えてくれ。例えば、本当はタイムトラベルくらい出来るんじゃないのか?」
「時間渡航はそこまで難しい技術ではありませんわ。ただ、地球の言葉では情報を言語化出来ませんし、理論の証明も不可能ですの。仮に出来たとしても、あなたたち下等生物の知能では理解も叶わないでしょうね」
「ちょいちょい地球人を下に見るよなぁ、お前って」
「ワザとじゃありませんわ?」
再びコーヒーを一口。甘い菓子がないのが残念だと、左京は心の中で思った。
「しかし、先程から左京様は自分の気持ちが満たされないからわたくしに尽くせないと言っているように聞こえます。それは結局、自分の為の行動に帰結するのではないですか? あなたが自分の心を満たすために恋愛をしていることに他ならないのではないですか?」
「いっぱいになると、限界を超えて尽くせるんだよ。俺の意見だけど、自分が楽しむ事と、自分を捨てられる事は両立すると思うぜ」
「また意味のわからないことを。あなたが満たされるために施すのですから、結局はあなた自身のためでは――」
「なぁ、アトラ」
彼女の言葉を遮って、左京が名前を呼ぶ。それと同時に、午後の授業開始の予鈴を告げるチャイムが校舎内に鳴り響いた。
「なんですの?」
「楽しみにしとけよ。お前の知らん情報をたくさん観測させてやっから」
「……理解不能ですわ。あなたは、わたくしに証明出来ない事を抽象的に表現して正当化しようとしてるだけですの」
自分でも分かっていなかったことだが、どうやら左京は気が強くて自分より頭が良くて、それでいて寂しそうな女が好みであったらしい。
17年生きてきてようやくその事を知った彼は、フリだったハズのきっかけを忘れてしまったかのような笑みを浮かべると、もう一度アトラの柔らかい頬を撫でた。
彼女は、尚も輝きのない瞳を向けてため息を吐くだけで、暇潰しにもならない生活に早くも退屈を感じているだけだった。
× × ×
数日後。
どうせ今日もカロリーメイトで腹を満たそうとするアトラの為に弁当を二つ持って学校へ向かう途中、まるで示し合わせたかのように彼らは道中でバッタリと出会った。
「ほらよ、早弁出来るように先に渡しとくぜ」
「そんな端ない事は致しませんわ」
そんな、登校中のワンシーンを見ていた者が一人。彼は目を疑って、しかし男が左京であることをしっかりと確認すると、徐ろにスマホを取り出して誰かに連絡をした。
もちろん、二人は気がついていない。
「つーかさ、宇宙ってこんだけ広いんだから、恋愛のスペシャリスト的なファイルのお前の仲間もいるんじゃねぇの?」
「浅はかですね、そんなものは地球へ降りるよりも先に調べてますわ。同期すれば、地球人をテクノロジー以外でも完全敗北させられると思いましたし」
「おい」
「しかし、当該するデータは見つかりませんでした。どうやら、有機生命体でこれだけバカ丸出しの生活をしているのは宇宙史の中でも直近一万二千年の地球上だけのようですわね。他の惑星の有機生命体は、感情など持っておりませんでしたから」
アトラは、味見のために弁当箱を開いて玉子焼きを一つ食べた。表情を見るに、かなり美味しかったらしい。
端ないのである。
「ほぇ〜。なら、技術もそれなりに発展してるだろ。なんで地球に遊びに来たりしないワケ? 地球ってそんなに魅力ないのか?」
「ありませんわね、はっきり言ってクソですわ。マザーデータが、地球人にはこれ以上の自立進化を期待出来ないから征服して差し上げようと結論づけたワケですし」
「なら、なんでお前は暇潰しに降りてきたんだよ。とっとと征服すりゃよかったじゃねぇか」
「……はて、何故でしょうか。その情報は、わたくしの専門外の分野ですわね」
少しも悪びれず、あっさりと言い放ったアトラを見て左京は苦笑いを浮かべた。彼女の正体を知らない彼は、設定の粗が出そうな箇所を上手く隠してキャラを守っているだけだと思ったからだ。
「俺の勝ちってことでいいか?」
「勝ちの意味が分かりませんが、そんなに言うなら上位存在としてご褒美くらい差し上げます。あなたたちも、ペットが賢いと思えばおやつをあげるでしょう?」
「えぇ……。引くくらいキレてるじゃん。そんなに悔しかったのか?」
「キレてませんわ? もしもキレてると思ったのなら、あなたの見地があまりにも狭すぎて呆れてしまいますわね」
「いや、だって――」
「なんなんですの? キレておりませんわ? わたくし、地球人の言う事にいちいち反応なんてしてられませんのよ?」
感情を排したせいでレスバがクソ雑魚になっているじゃねぇか、というツッコミを思い浮かべたせいで、いよいよ笑いを堪えるのが大変になってきた左京は大人しく黙った。
「まぁ、いいや。じゃあ、ご褒美にチューしてくれよ。ほっぺでいいから」
「はぁ? チューって、口付けの事ですわよね?」
「そう。犬が頑張ったら、チューくらいしてやるだろ? だから、それっぽくチューしてくれ」
「まったく、バカ丸出しですわね。大体、好きでもない相手にそんな事をしても幸せじゃないと言ったのはあなたではありませんか」
「状況は変わったんだよ。何千年も生きてるお前じゃ、たった数日は数えるまでもない短さだったかもしれないけどさ。俺にとってはだいぶ長い間だったんだぜ。こういうの、相対性理論っつーんだろ」
「それは、地球での呼び方ってだけで――」
「ほら、背伸びして頑張ってやってくれ。その方がかわいい」
「あ、あなた、わたくしをなんだと思って……」
ワナワナと震えるアトラを見下ろして、片眉を顰めるとニヤリと笑う左京。「まさか、テメーが言ったことをやらないなんてありえねぇよなぁ?」と挑発するような表情である。
「ほら、やってごらん」
「し、仕方ないですわね。これは、ご褒美ですから」
言いながら、アトラは背の高い左京の右肩を掴んで口元を寄せると、何故か言いようもない恥ずかしさが心の底から湧き上がってきて。顔が熱く赤くなっているのが分かって、しかし謎の引力にでも吸い寄せられるかのように距離を近付けると、もはや前に進むしかないような錯覚に陥って。
そして、鼻孔に彼の首の匂いを伝えたら最後、ゾクリと締め付けられるような感覚を押し殺しながら、息を止めて彼の頬へ唇を当てた。
「ぷふ、ペットにチューすんのにそんなに顔を赤くする地球人なんていねぇよ」
「う、うるひゃいですわよ」
顔を離し、誂われてアトラは俯いた。どういうワケか、これまで観測してきた情報の価値なんてどうでもよくなるくらい、唇に押し当てた彼の感触が脳内を支配していたからだ。
――まるで、バグですわね。
「まぁ、ありがとな。嬉しかったぜ」
「……なら、また何かしら賢い事をすればいいんじゃありませんか?」
「あぁ? なんで?」
「だって、わたくしがご褒美を上げますから」
「いや、いいよ。もう充分」
急激に冷めていく熱と、同時に突き放された不安でアトラの心はいっぱいになってしまった。たった今の今まで笑っていたのに、どうして急にそんな事を言うのか、合理性の欠片もない左京の動向に戸惑いを隠しきれない。
しかし。
「今度は、俺がしてやるから。そっちの方が好きなんだよ」
そう言って、左京は少し乱れたアトラの髪を耳に掛けると、まるで何事も無かったかのように前を歩き出した。
「ど、同期。いや、えっと、データの検索。あの、わたくし、これ、知らない……」
受け取った弁当をプラプラとぶら下げて、脇に通しているスクールバックの紐をギュッと握って、アトラは何も言えずに黙って左京歩いた道を辿る。
なぜ、地球人以外の有機生命体が感情を捨てたのかをハッキリと理解したが、それ以上になぜ地球人が感情を重んじるのかを理解しようとする自分が、彼女には不思議でならなかった。
退屈は、もういないのだ。
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