旅立ちの朝

寒川吉慶

旅立ちの朝

扉を叩く音。

少し古いベッドに座っていた若い男はその音ではっと我に返り、「はいはい」と答えながら扉を開けた。

扉の向こうの人物を確認した途端、彼の顔が少しほころぶ。


「おう、これは王様じゃねえか」


そこに立っていた60歳程の背の低い男性こそこの国の王、アランデル王である。


「どうしたんだ。王様ともあろう人が護衛もつけずにやってきてくれるなんて」


「勇者様、討伐には今日出発されるのでしょう。私から改めてお礼をと思いまして」


その言葉に男は笑って言った。


「ほんと丁寧だねえ。お礼なら昨日の晩飯で凄い豪勢なのを頂いたのに」


「いえいえ。勇者様にはいくらお礼を申し上げても足りません」


「そうかい、照れるね。じゃあ、是非入ってくれ。と言ってもあんたの城だけどな」


男の言葉にアランデル王は「失礼します」と言って部屋の中に入り、男に勧められるまま椅子に腰掛けた。


「すまねえな。まだ支度が終わってなくて。ちょっと準備しながらでもいいか」


「ええ。もちろん構いません」


男が剣の手入れをし始めると、アランデル王は姿勢を正し、頭を下げた。


「旅の勇者様。この度は本当にありがとうございます。周りの国の強者たちが法外な討伐料を求める中、無償であの魔獣を討伐してくださるなんて」


男は剣から目線を外さずに答えた。


「いいんだよ。俺だって故郷を守りたいだけだしさ」


アランデル王はその言葉に驚いたように尋ねた。


「ここの生まれなのですか?」


「あれ、言ってなかったっけ?そうなんだよ。つっても守りたいのは土地ってよりかは人だな。世話になった人が危険に晒されるのはやっぱり嫌じゃん」


男の口調は軽かったが、声のトーンからは真剣さが垣間見れた。


「ですが……」


とアランデル王は言い淀む。


「昔と比べて国は廃れてしまいました。国民の数も年々少なくなっていますし、勇者様のお知り合いも今この国にいるかは……」


「それは大丈夫。そんな簡単に逃げられる人じゃ無いんだよ」


「左様ですか……」


アランデル王の言葉に「でも」と男がつけ足す。


「その人が相当ピンチなのは間違いないと思うぜ。結構、この国も荒れてるんだろ?」


「お恥ずかしながら。町には悪党も増え、商業も盛んとは言えません。加えて、跡継ぎの問題も……」


「そう、それ。昨日使用人さんからも聞いたよ。昔、王子に逃げられちまったとか」


アランデル王は少し動揺した後、落ち着いて話し始めた。


「その通りです。あいつは、自由が好きなやつでしたから。城に縛り付けられるのが嫌だったのでしょう」


「そうかぁ。やっぱり、大変なんだろうな。王族は」


「そうですね。国民を統べるというのはやはり責任が大きいですから」


男は少し黙り、言いにくそうに言った。


「逃げちまった王子に帰ってきて欲しいとは思わないのか?」


その質問はアランデル王には衝撃だったようだ。

男と同じように少し黙ったあとにぽつりぽつりと話し始めた。


「五分五分と言ったところでしょうか。

もしも帰ってきてくれて、共に政治をしてくれたら……私としてはとても嬉しいのですが、あの子には王族の生き方は合っていないと思う自分もいるのです。

あの子が遠く離れた場所でも元気でいてくれることが私の幸せでもあるような気がします」


その言葉に「そうか」と返した男の声はとても温かかった。


「よし、支度は出来た。そろそろ行くとするか」


男はそう言うと剣を鞘に入れ、荷物を持って歩き出した。

アランデル王は椅子から立ち上がると改めて深々と礼をした。


「勇者様。本当にありがとうございます。ご武運をお祈りしております」


「はいよ。わざわざお礼に来てくれてありがとな。あと、飯美味かったよ」


扉に差し掛かったとき、男は足を止めて言った。


「あ、それともう一つ」


「どうされましたか」


「散々良くしてもらってこんなこと言うの悪いんだけどよ、あんた相当薄情だぜ」


アランデル王はその言葉に何も返さなかった。


「魔獣倒したら、俺そのまま旅に戻るから。この国には寄らない。悪いな」


「お礼を言わせてもくれないのですか」


「礼ならたくさん聞かせてもらったよ。じゃあな、行ってくる」


振り返らずに扉を跨いだ男の背中にアランデル王は小さく呟いた。


「いってらっしゃい」

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