たんぽぽ珈琲
桃本もも
第1話
うちの高校には、自動販売機が3台ある。
そのうちの2台は、赤い自動販売機。
スポーツドリンク、サイダー、ゼリー飲料からおしるこまで、あらゆるジャンルを取り揃えた、街中でもおなじみのもの。
暑い日にはコーンポタージュを除いて売り切れてしまうほどの需要を誇っている。
そして残る1台は、コーヒーを豆から挽いて淹れてくれる自動販売機。
カプチーノやキャラメルマキアートにまで対応していながら、値段は紙コップ1杯100円。
某カフェチェーン店よりかなり良心的だが、生徒にはあまり人気がない。
お昼どき、赤い自動販売機には行列ができても、コーヒー専門自販機の前は閑散としている。
紙コップだと休み時間の間に飲みきれなかった場合に困るからだろうか。いや、それなら缶だって同じだ。
多分、だれも選ばないものを買うのが恥ずかしいのだろう。みんなと同じが安心な年頃なのだ。
ではなぜ、コーヒー専門自販機は赤い自販機に場所を明け渡すことなく、現存しているのか。
多分、教師たちからの需要が高いためだろう。
昼休み、生徒の行列よりは遥かに短いものの、数人の教師たちがコーヒー専門自販機に並んでいる光景はしばしば見られる。なくなったら困るという先生もいるだろう。
わたしもコーヒー自販機がなくなったら困る。
たぶん、そう思う生徒はわたしだけだろう。
帰宅部のわたしは、別に早く帰りたいわけでも個人的にやりたいことがあるわけでもなく、放課後はだらだらと学校に残ることが多い。
その日その日で居心地がよく感じる場所は変わるけど、変わらないことがひとつだけあった。
それが、100円コーヒーを買うことだ。
豆から挽いているとはいえ、しょせん自販機。コーヒーは焦げたような香りで、コクというものは微塵も感じられない。
ひと口飲んだら、口に残った苦味だけで牛乳を1杯飲めそうなほどの、悪い意味の濃さがある。
それを分かっていながら買ってしまうのは、コーヒーが好きだからというよりは、すでにカフェイン中毒になりかけているからなのかもしれない。
今日もいつものように、カーディガンのポケットに100円玉をひとつ財布から移動させて、自販機コーナーへと向かう。
まだ衣替えまで1週間あるというのに、ワイシャツ1枚では肌寒い。
先週までは暑くて溶けそうだったベランダも、そろそろ日向ぼっこに最適の場所になるかもしれない。
読みさしの本もあるし、ロッカーにはアウトドア用の小さい折り畳み椅子も隠し持っている。
よし、日が沈みはじめて文字が見えなくなるまではベランダでひとりブックカフェを楽しもう。
購買部は閑散としていた。
帰宅部員には肌寒くとも、運動をするにはまだ暑いのだろうか。赤い自販機のほとんどのボタンに「売切」のランプがついている。
その自販機の陰に隠れるように、コーヒーの自販機はひっそり佇んでいる。
コーヒー、カプチーノ、カフェモカ、キャラメルマキアート。もはやコーヒーを使っていない、ホットミルクまである。
今日はカプチーノにしよう。このくらいの気温になると、ふわふわとあたたかいものが飲みたくなる。
100円玉を入れ、カプチーノのボタンを押す。
格安なワンコインながらサービス精神満載で、コーヒーの濃さ、ミルクの量、甘さを自分好みに調整することができる。
コーヒーは4番目の濃さ、ミルクは多め、甘さはひとメモリ。ボタンをぽちぽちと押して、長い期間をかけて見つけ出した、わたしの黄金比にする。
この比率にすれば、焦げ臭と強烈な苦味がミルクとシュガーで和らげられる。
カフェイン摂取はしたくとも、まずいコーヒーを我慢して飲むほどの中毒者ではない。この自販機でブラックコーヒーを買いはじめたらいよいよだと思っている。
そして、購入ボタンを押そうとした、その時。
「あたしはもっと甘ぁいのがいいなぁ」
両肩にずしっと、やわらかくあたたかい重さがのしかかってくる。耳もとを猫っ毛と吐息にくすぐられる。
背後から伸びてきた腕がぽちぽちぽちとボタンを押し、甘さを最大限にした。
「おい、甘さMAXは自分のだけにしろ」
ため息をつきつつ、甘さを調整し直す。甘党の親分みたいな彼女は、わたしの肩にあごを乗せたまま、ええー、と不満の声を上げる。
抗議の声を無視して購入ボタンを押すと、がりがりと豆が挽かれはじめる。
彼女は三保ほのか。わたしと同じクラスの帰宅部仲間だ。
彼女もまた、授業が終わってすぐに帰路に就くようなまじめな帰宅部員ではなく、最終チャイムが鳴るまで校内をうろついて暇を持て余しているタイプだ。
気が合うわけでもなく、ただタイミングが合っていた、と言えばいいだろうか。
1年のころから同じクラスだったよしみもあって、いつの間にかいっしょに過ごすことが多くなっていた。
内巻きのセミロング。本人は似合わないと言っているが、右目の泣きぼくろが可愛らしい。
夏のあいだは我慢していたらしいが、カーディガンで隠せるようになったからと、またひそかにネイルをしはじめたのだと、昨日の放課後わたしだけに教えてくれた。
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