仕合せに触れる

kou

仕合せに触れる

 夕暮れ時を迎えようとしているスポーツ公園。

 そこに少年達が並んでいた。

 小学生低学年からなる野球チームだ。

 皆のユニフォームは土で汚れ、顔や腕にすり傷を作っている。練習に練習を重ねてきた証だ。

 監督の男性が言う。

 彼は少し太めの体型をしていた。背が低くて丸い顔をしている。

 年齢は50代半ばくらいだろうか。白髪混じりの短髪を後ろに撫でつけており、額には汗を浮かべている。

「次の対抗試合、お前たちなら勝てる。最後まで諦めずに戦うんだ。分かったな」

 そう言って監督は、声を張り上げた。

 子供達の顔つきが変わる。

 明日の日曜日は、地区の少年野球チームとの対抗戦の日だった。勝てば、地区大会出場が決まる大事な一戦である。

 監督の声に熱が入るのも当然だろう。

 しかし、1人の少年だけは浮かない表情をしている。

 一見して寡黙な様子があった。

 感情を表に出さない彫像のような姿と顔は、どこか冷たい印象を受ける。

 どこか大人びた雰囲気を持ち合わせた少年だ。

 彼の名前は、水無月みなづき春斗はると

 小学校3年生ながら、チームのエースであり、ピッチャーを任されている。

 少年野球は関節の障害防止のため変化球が禁止されているため、ストレートを投げるしか無いのだが、球速は100km平均を出す。

 小学生ピッチャーの学年別の平均の球速では、6年生で90kmなので、それを考えると速球ぶりが分かる。

 もっとも、全国大会上位者の速球ともなれば、小学4年生で105kmを出すので、世の中には上には上が居るものだ。

 それでも彼の投げる球は、バッターを三振に仕留める威力を持っていた。

 また、コントロールも良く、監督のサイン通りに投げられる制球力もある。地域でも屈指の本格派投手として注目されていた。

「次の試合の先発投手だが、水無月」

 春斗は、自分の名前が呼ばれて驚く。どうして自分の名前が呼ばれたのか、本人も分かっていない表情だ。

 監督が言う。

「お前にやってもらおうと思うんだが、どうだい?」

 そう言われて、春斗は戸惑った。

 一般的に先発投手には、なるべく長いイニングを投球することが求められる。野球においては、先発投手が勝利投手となる権利を得るには最低5イニングを投球する必要があることから、先発投手は大量失点せずに5イニング以上投球するべきだと考えられている。

 無論、小学生の春斗にそこまでの責を負わせるわけにはいかない。

 だが、役割は重要だ。

 確かに、春の大会では先発として投げているので、その経験は自信になっている。チャンスだった。

「はい。ぜひ、お願いします!」

 元気よく返事をした。

 すると、監督は嬉しそうに笑う。

 その日の練習を終えた春斗は、いつもより上機嫌だった。

 認めて貰える。

 人間は承認欲求を満たすことで、幸福感を感じる生き物だ。

 それは、大人も子供も同じである。

 特に、自分の才能が他人から認められることは、この上ない喜びなのだ。

 少年野球は部活ではない。

 スポーツを通じた心身の健全育成を第一目標としており、スポーツ少年団とその団員および家族などに、次のような社会活動へも積極的に参加するよう呼びかけている。

 その為、毎日のように練習がある訳ではなく、週一の土日に行われる程度だ。

 春斗が野球の興味を持ったのは、父親とのキャッチボールがきっかけだった。

 父親は仕事で忙しく、あまり遊んでもらった記憶がない。

 そんな父親が、ある日突然、グローブを買ってきたのだ。

 それは、とても小さなサイズで使い古されたものだった。おそらく、父親も昔使っていたものなのだろう。

 そのおかげで、春斗は野球が大好きになった。

 甲子園に行きたいとか、プロになりたという希望はなく、単に野球が好きだから続けていただけ。

 勉強ができてスポーツの得意な春斗だったが、チームメイトとの付き合いは深くなかった。

 しかし、監督から任せられたということは信頼されているということだ。

 春斗は期待に応えたいと思うようになっていた。


 ◆


 試合を3日前に控えた放課後の帰宅途中。

 春斗は住宅街にある、小さな商店が立ち並ぶ道を帰っていた。大きな賑わいはないが、それなりに活気のある商店街だ。

 ふと、そんな小道の端。

 机を構えて座っている女性の姿を見つけた。

 うら若い大人の女性だ。

 綺麗な顔立ちをしている女性だ。

 肩まで伸びた艶やかな黒髪に、白い肌は雪を連想させる。青い外套をまぶかく着込み、その下には黒いシャツとスカートを身につけていた。

 そして、その女性の前には、台座に固定された直径30cm程の木で作られた車輪が置かれていた。

 車輪の軸には手回しのハンドルがついている。一見すると福引の抽選器かと思ってしまいそうだが、車輪だけなので抽選球はどこにも入っていない。

 女性がその車輪を手に取ると、カランコロンと乾いた音が響く。

 女性は春斗の存在に気付いたようだ。

 その端正な顔をこちらに向けて微笑む。

 その笑顔に見惚れてしまう。

 春斗は一瞬、言葉を失った。

 まるで天使のような美しさだったからだ。

 春斗が見つめていると、彼女は首を傾げる。不思議そうな表情を浮かべながら口を開いた。

「いらっしゃい。どう、一つ回していかない?」

 彼女の口から発せられる声は、鈴の音のように澄んでいた。

「これ、何なんですか?」

 春斗が訊くと女性は答える。

 その表情は、どこか自慢げだ。

「運命の輪よ。あなたの未来を占ってくれるわ」

 そう言って、手に持った車輪を春斗に差し出す。

 料金はいくらなのか?

 そもそも本当に当たるのか?

 様々な疑問が浮かんだが、春斗は吸い寄せられるような好奇心を抑えきれず、ハンドルに手を伸ばす。

 小さい見た目にも関わらず、ずっしりと重みを感じた。

「そのまま、ゆっくりと回して。それから手を放すの」

 春斗は言われるままに、ハンドルに手をかけて回す。言われた通りに手を放す。車輪は慣性の法則で回り続ける。

 カランカランと音を立てて回転する。

 回転する車輪に目を奪われていると、徐々に回転速度が落ちていく。

 彼女は目を細める。

 突然、車輪に指を入れると強制的に動きを止めた。

 春斗は思わず息を呑んだ。

「なにを!」

 思わず言葉が出てしまったのは、その運命の輪と呼ばれる物の正体に気付いてしまったからかもしれない。

 春斗の言葉を遮るように、彼女は告げる。

 その表情は真剣だ。その瞳には、強い意志が宿っているように感じられた。

 春斗は唾を飲み込む。

 彼女が言った。

「つまらない運命ね。あなたは、このままだと一生、同じ日常を繰り返すことになるでしょう」

 その一言で、春斗は悟った。

「……これは、占いじゃないんですね」

 女性は感心する。

 それは、少し驚いたような口調だった。

「賢い子ね。だから楽しませて貰うわ。あなたの運命を」

 女性は妖しい笑みを浮かべた。

 春斗は重力を失うような感覚に陥る。カップに渦巻くミルクのように、ぐるぐると視界が歪んでいく。

 やがて意識は薄れていった。


 ◆


 春斗は、ハッと我に返った。

 いつの間にか、寝てしまっていたようだ。

 整形外科病院の待合室。

 目の前のテレビでは、ニュースが流れている。

 どうやら、ソファーで眠ってしまったらしい。

 受付の医療事務員に呼ばれて会計を済ませると、外に出る。

 春斗はギプスが取れた右手の調子を確かめる。

「クソ!」

 思わず悪態をつく。

 少年野球チームのピッチャーでエースとして活躍している彼にとって、試合前になって利き腕が使えなくなり結果としてチームは負けたことが悔しかった。

(こんなことなら、あそこで転ばなければ……)

 そんな思いが込み上げてくる。

 それはほんの些細なことだった。

 学校帰りの、あの日、すれ違った少女が春斗の背後で転ぶ音がしたのだ。

 反射的に振り向くと、そこには尻餅をついている女の子がいた。

 春斗と同年代の女の子。

 後ろ一つ結びの三つ編みにした長い黒髪。

 幼子ながら利発そうな顔立ちをした少女だ。

 そして、その足元には、家のお使いを頼まれての帰宅だったのだろう、エコバックからは食材が飛び出していた。

 そして、今まさに傾斜となった道を大根、キャベツ、玉ねぎが転がり落ちようとしている。

 春斗は咄嵯に駆け寄ると、手を伸ばして野菜を掴んだ。

 しかし、勢い余ってバランスが崩れてしまい、坂道を転がってしまう。

 幸いにも、すぐそばにあった電柱にぶつかることで止まることができたが、春斗は右腕を捻っていた。

 痛かったのは一瞬だ。

 それよりも少女の方が気になる。

「大丈夫?」

 春斗は野菜を抱えたまま声を掛ける。

 少女は呆然としていた。

 大きな黒い瞳が見開かれている。

 春斗は立ち上がり、少女の手を取る。

「ごめんなさい。ケガはないですか?」

 少女に訊かれて、春斗は手のことは言わずに首を振る。

 すると、少女は安心し笑顔を浮かべる。

「それより食材。早く届けないとお母さんが心配するよ」

 そう言うと、春斗は少女の持っていたエコバックを拾い、抱えていた野菜を入れて渡す。

 そして、春斗は坂を上り始めた。

 振り返ると、少女はペコリと頭を下げている。

 その姿に春斗も会釈を返す。

 それから夜になって、手首が腫れ上がり、熱が出た。

 それが対抗試合に出場できない理由だった。

 

 ◆


 ギプスが外れた右手を握りしめる。

 2週間のギプス生活のせいで、筋肉が衰えてしまったようだ。

 春斗は、軽くストレッチをして身体を動かす。

 肩慣らし程度に道端にあった石を拾うと、川に向かって投げてみる。

 石は飛んだ。

 だが、今まで体験したことの無い感覚に戸惑う。

 まるで、自分の手ではないみたいに感じる。春斗は、しばらく考え込む。

「リハビリが必要だな」

 そう思うと、川辺に空缶やペットボトルが落ちているのを見つけた。

 あれを標的にしよう。

 春斗は、空缶やペットボトルを拾い上げていると、感嘆の声が響くのを春斗は聞いた。

 川土手の上に一人の少年が居た。

 背筋が伸びて姿勢が良い。

 髪も短めで清潔感がある。

 小さな体ながら、どこか堂々とした雰囲気があった。

「ゴミ拾いか! 俺も手伝うぜ!」

 少年は意気揚々と宣言する。

 春斗は呆気に取られている中を、少年は空缶を拾い上げる。

「まったく誰だよな。こんな風にゴミをポイ捨てする奴」

 そう言いながらも、テキパキとした動作だ。

「なあ」

 春斗は同意を求められて、慌てて声を上げるが、心ここにあらずと言った感じだ。

 ゴミ拾いをしようと思って空缶を拾っていた訳ではなく、投球練習の的にしようとしていたのだ。

 それを正直に告げるわけにもいかない。

 春斗は、とりあえず愛想笑いを浮かべた。

 ゴミを集め始めると以外にも多くあった。二人共ゴミ袋を持ってきていなかったので、ゴミをてんこ盛りにするしかなかった。

「んー。せっかくゴミ拾いをしたのに、このままにしちゃいけないよな」

 少年は名案を思いつかずにいた。

 自宅に帰るのは遠いからだ。

「僕らがしたのは、集めただけだからね」

 春斗は、どうしてこんなことになったのかと考えていた。

 それは、少年が突然現れたせいだと思った。

(どうして僕がこんなことを……)

 少年のことを恨めしく思いつつも、きれいになった河原を見て気持ちいいものを感じていた。

 二人が困っていると土手の上から女の人が声をかけてきた。

「君たち。どうしたの?」

 女性は30歳を過ぎたぐらいだろうか。

 買い物袋を手にしていることから、この近辺に住んでいる人だと分かる。

 女性の問いかけに、春斗は答える。

「ゴミを拾ったんですけど、そのままには出来ないと思って……」

 春斗の言葉を聞いて、女性の顔色が変わる。

 彼女は笑みを浮かべていた。

 そして、両手を合わせて拝むように言った。

 ありがとうと。

 春斗は思わず首を傾げる。

 女性が言うには、ここは町会が管理している場所であり、今週末の河川清掃で行うハズだったとのこと。

 今日は彼女が状況を見るために、たまたま通りかかったときにゴミを拾う少年たちの姿が見えたらしい。

 それで声を掛けたということだった。

「そうなんですか。すみませんが袋を分けてもらえませんか?」

 春斗の隣で、少年が申し出ると女性は自宅まで来て欲しいと願った。

 女性の家は、川辺を離れ山手にあった。

 女性は自宅に入ると呼びかける。

「彩。ちょっと川土手のゴミ拾いを手伝って」

 すると奥の方から女の子の声で返事が聞こえた。

「お母さん。河川の清掃って、お休みの日にするんでしょ?」

 少女は疑問を口にするが、すぐに春斗たちに気付く。

「あ!」

 という声が、3つ重なる。

 少女は春斗を見て言い。

 春斗は少女を見て言い。

 少年は少女を見て言った。

 少女は少年と同じクラスメイトであり、顔見知りであった。

 そして、少女は春斗が、先日買い物を拾ってあげた子でもあった。

 少女の名前は蔦木つたぎあやという。

 少女は、あの時の少年のことが印象に残っていたのだろう。お互いに挨拶を交わすと、春斗に娘を助けてくれたことの礼を母親である女性が口を開く。

「まあ。先日は、うちの子が買い物をひっくり返したのを助けてくれて、本当にありがとう」

 深々と頭を下げる女性に対して、春斗は謙遜し慌てて手を振る。

 その様子に、彩も母親の真似をする。

「お前、こんなお転婆娘を助けてやったのかよ」

 少年は春斗を茶化すようなことを言う。

「翔。誰がオテンバですって? 私がオテンバなら、あんたはヤンチャ。掃除中にホウキでチャンバラごっこして遊んでたのは誰だっけ?」

 彩は顔つきを悪くして、少年・戸山とやましょうを睨む。

「いや。あれは、剣道に憧れてだな……」

 少年は必死に言い訳をしているが、春斗は苦笑いするしかなかった。

「チャンバラごっこか。でも、自分から積極的に河川のゴミ拾いする奴に悪い奴は居ないよ」

 春斗は翔を弁護してやった。

「え? 翔が?」

 信じられないと言った表情を、彩はする。

 そんな3人のやりとりに、彩の母親は微笑ましく見守っている。

 それから皆で河川に集めたゴミを袋に入れると、ゴミステーションへと運ぶ。

 春斗は、図らずともゴミ拾いを手伝ったことで、翔、彩との距離を縮められた気がしていた。

 それは、ゴミ拾いを通じて同じ目的を持つ仲間として意識が芽生えたからだと思った。

「そう言えば、俺達。お前の名前知らなかったな」

 翔は、今更ながら春斗の名前も知らないことに気づく。

「え? 翔って、名前も知らない人とゴミ拾いしてたの? 変なのー!」

 彩は、大げさに驚いてみせる。

「じゃあ彩は、助けてもらったんだから知ってるんだよな」

 言われて、彩は知らないことに気付き、顔を赤くする。

 その様子を見て、春斗は思わず吹き出してしまう。

 それを見て、彩の顔はますます赤くなる。

 春斗は笑いが止まらない。彩は、自分が笑われていると思い、頬を膨らませていた。

「お互い名前も知らないのに、仲良くなるなんて、僕らは変わっているね。改めて自己紹介しようか、僕は水無月春斗」

 春斗は、自分の名前を告げた。

 続けて、翔と彩が名乗る。

 訊けば春斗とはクラスこそ違えど、同じ学校の同じ学年なのを、その時になって知った。


 ◆


 春斗は通学路を通って帰宅していた。

 その道の先に、いつか見た車輪を机の上に置いた女性の姿を見つけた。

 春斗は女性の前に立つと、女性は春斗に気づき声を掛けてきた。どうやら春斗のことを覚えていたようだ。

「いらっしゃい。私が、変えた運命はいかが?」

 女性の言葉に、春斗は素直に答えた。

「……やっぱり、僕がケガをしたのは貴方のせいだったんですね」

 女性は、春斗の問いに何も言わずに笑顔を見せるだけだった。

 春斗は、女性が何を考えているのか分からない。ただ、その女性は何かしらの方法で、自分に干渉できるのだと分かった。

 そして、この人は普通ではないことも。

「そういうこと。私は、フォルトゥナ」

 女性は名乗った。


 【フォルトゥナ】

 古代ローマ神話に伝えられる運命の女神。

 特に時に応じて変化する不安定性である、偶然の女神。

 ギリシャ神話ではテュケーに相当し、幸運の女神ともされている。

 フォルトゥナは元々豊穣を司る女神で、ローマの東にあるプラエネステという土地で信仰されていたという。

 フォルトゥナは巨大な車輪を持ち、不安定な球などに乗った姿で描かれることがあるが、中世時代になると、運命の女神は神話の枠を超えて様々な姿で表現されるようになる。

 老若男女、貧富、身分も見境なく、全人類の運命を操る運命の女神。

 そもそも運命とは何か。

 運命は、

『人間の意志をこえて、幸福や不幸を与える力のこと。または天によって定められた、人の身の上に起きる幸せと禍い』

 と考えられている。

 現代の私達だと、運命は「運命の糸」という肯定的なイメージが先に来るような気がして、「運命に操られている」という感覚を持つ人は比較的少ないだろう。

 しかし、過去の時代の人々は運命をもっと凄まじいもの。神より巨大で抗う事のできない存在として考え、恐ろしい運命を本気で信じていた。

 北欧神話において、主神オーディンはあらかじめ巫女から「神々の死」を予言される。

 その「運命」をオーディンはあらゆる手段で変えようとしたが、ラグナロクの勃発によってほとんどの神々は死に絶え、結局その運命通りとなりました。

 古代北欧だと、運命は神々よりも強力であると考えられていた。


 フォルトゥナは、運命の女神だと名乗った。

 しかし、春斗は、彼女の言っていることがよく分からなかった。

 春斗は、どうして自分なのかと問うた。

「それは私の運命でもあり、あなたの運命でもあったから」

 フォルトゥナは車輪を回す。

 車輪が音を立てて、回り続ける。

「そんなあなたの運命に、私はケガという運命を入れた。先発投手をしたくないという望みを叶えるために」

 それは必然的な結果であり、本来起こるべきことだったと。

 春斗は納得できなかった。

「僕は、そんなことを望んだ覚えはない」

 そんな春斗に、フォルトゥナは言った。

「――貴方は、本当はこうなることを望んでいたはずよ」

 春斗は、彼女に反論する。

「違う! 僕はこんな運命を望んでいない!!」

 春斗は必死に訴えたが、その言葉は空しく宙に消えていく。

「――本当に? 貴方は自分の気持ちに気づいてないだけじゃない? 運命を変えることで、貴方は大切なモノを手に入れた。それは、貴方にとってかけがえのない絆となった。

 貴方はそれを手放したいと思う? 失いたいと思う?」

 訊かれて春斗は、考えたくもなかった。

 もし仮に、運命を変える前の世界に戻れたとしても、今の自分のように 翔と彩と一緒にゴミ拾いをしたかった。

 彩が困っていたら助けてあげたいし、翔が助けを求めたらすぐに駆けつけられる距離にいたい。

 春斗はそう思っていた。

 運命を変えなければ、きっと今のようにはならなかっただろう。

 でも、春斗は後悔していなかった。

 翔と彩に出会えたのは奇跡だと思うし、二人が友達になってくれたことは、とても嬉しかった。

 他人に操作されたことが怖かったが、春斗は答えた。

「運命を変えたことで手に入れたものを、手放したくない」

 と。

 それを聞いたフォルトゥナは満足そうな笑みを浮かべると、春斗に語りかける。

 その表情には慈愛が満ち溢れていた。

 春斗の目の前にいる彼女は、まるで母のような眼差しをしていた。

 フォルトゥナの声色は優しげだった。

 そして、春斗に訊いた。

「春斗。あなたにとって運命とは一体何なの」

 春斗は答える。

「自分の人生は、自分で切り開くものだと思っている。運命なんてものは、ただの結果にすぎない。

 僕は、自分が望んだ未来と結果のために運命を切り開いて努力してきたつもりだ。それが例え、他人から見て滑稽な道だったとしても、僕はそれでいいと思ってる」

 すると、フォルトゥナは、その答えに微笑む。

「ふーん。運命を否定するのね。まあ確かに、私達の存在自体が、運命のようなものだけど……。

 それでも、私は貴方の考えは間違っているとは思えないわ。運命は変えられるもの。運命は変えることができるもの。

 だから、私が変えた運命も、これからもずっと続いていくでしょう」

 そして、フォルトゥナの身体は徐々に透けていき、ついには完全に見えなくなってしまった。

 机も、そこのあった車輪も無い。

 気が付くと、そこはいつもの通学路だった。

 周りを見渡すと、そこには翔と彩がいた。

 二人共、不思議そうにこちらを見て首を傾げている。

 そして、二人は春斗に声をかける。

 どうしたのかと。

 春斗は、それに何でもないと返した。

 その後、三人で一緒に歩き出す。

「僕は、仕合せだな」

 春斗は口にする。


 【仕合わせ】

 心が満ちたときに人は幸せ・幸福を感じる。

 例として、お腹一杯に食べたときに、幸せを感じる。

けれども、このお腹一杯で幸せな私の幸せは、私一人の力で成されたのではない。食材があって、それを運ぶ人がいて、調理をする人がいて、提供する場があって。他にも様々なことが重なり合って、幸せを感じられているのだ。

 この幸せは、一人では決して成しえないということ。

 「しあわせ」のもう一つの意味は、めぐりあわせ・運命。

 元々「しあわせ」という言葉は、幸福感を表すのではなく、その成り立ちを表している言葉だった。

 「仕 + 合わせる」様々なことが重なり合って、物事は成り立っているということ。良いことも、悪いことも、全て含めて「しあわせ」でした。


 その時、春斗は確かに感じ取った。

 自分の運命は、決して一人だけのものではないということを。春斗は、この日常を大切にしていこうと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る