第75話 物語

「いよっしゃあぁぁぁ!」

 本田君の歓喜に皆が応えて笑顔を見せ、ガッツポーズを掲げる。失意のどん底にあえいでいた未来君が今立ち上がり、背後霊のように憑りついていた富喜来の幻影を跡形もなく吹き飛ばしたのだ。


 力強く山頂に向けて歩み始める彼に、私達も結界の外から後に続く。かつての二人の登紀の横を通り過ぎた時、彼女たちは役目は終わったとばかりにすの姿を消す。うんうん、あの船で彼を救った時よりも、あの阿波踊りを一緒に楽しんだ時よりも、私たちの距離はもうずっと近くなっとるんやから。おまはんらはもう思い出の中でおってくれたらええ。


 彼が山頂に辿り着く。私達も結界の左右からその周りに位置し、彼とおおかみさまリカオンを取り囲む。さぁ、これから未来君をどないするんや? 事と次第によってはおまはんおおかみさまをとっ捕まえて吉野川に沈めたるで!


 息のかかる距離で、未来君とおおかみさまが対峙する。と、その醜悪な犬はべろり、と舌なめずりをひとつすると、口を開いて言葉を発した。


『良き、贄であった・・・・



 え? 過去形??


「あ、あの・・・・・・もう終わった、んですか?」

 思わぬ言葉に目を丸くして聞き返す未来君。それに対しておおかみさまは下を向き、げふぅ、と派手なげっぷを一つして彼に返事をする。

『うむ、実に濃厚な、そして上等な贄であったわ。満足であったぞ』

 全員が頭にハテナマークを浮かべて立ちすくむ。おおかみさまの周囲の子供達だけが「やった!」「よかったねー」と笑顔を見せている。

 その時だった。未来君の魔法陣が消え、おおかみさまとの間にあった結界が、ぱしゅん! と掻き消えたのは。それに応えてみんなが未来君とおおかみさまを取り囲む。


『我が贄はの、お主のような人間の生き様・・・よ』

 え、生き様? とこぼす未来君。しばしの間の後、私の後ろで門田さんが、ああ! と手を打って回答を発する。

生知辺いくしるべ食いの神様だったのですか!」

『ふふ、左様よ』


 門田さんが解説を入れる。人の人生、感情、戦い、恋と愛、友情、絆、絶望、希望。そんな人々の様々な物語を糧とする神様。それを称して生知辺いくしるべ(生きる道標)食いと呼ぶそうだ。


「えーと、要するに・・・・・・小説の『読み専門』みたいな人の事?」

 宮本さんのいかにもな物言いに全員が「いやそれは」という顔をするが、おおかみさまは大口を上げてクッハッハと笑い、「そのようなものだ」と肯定する。え、マジで?

『我ら”戌”から成った神はそのような者が多い、元々が人に寄り添う生き物なればな』


 おおかみさまは語る。本来犬というのは狩り、食べ、子を成して生きるだけの野生動物。そんな存在が人に寄り添い、飼われるようになったのは自分達には無いそういった感情や生き方。砕けた言い方をするならば物語ドラマに惹かれるがゆえなんだとか。


『だが贄の相手は幼子でなくてはならぬ、感情が成熟しきった大人の心は贄にはならぬのだ』

 だからこそ、かつて生け贄に七人の幼い子供たちを受け入れた。だが彼らはまだ幼過ぎて大した人生経験も無い、日々生きるだけの少年少女の贄では、あの水害を完全に消し去るほどの物語の力は持ち得なかった。


「だから私を、私に・・・・・・時遡の呪いを」

『うむ。神ノ山登紀、人の手によって作られたお主はまさに生け贄の身代わりにうってつけであった。七十七年もの人生を経て、さらに七十年の若戻りの時を得れればさぞ良き贄になるであろうと思うてな』

 全員がなるほど、と納得する。人の二倍もの人生を生きて来た私やったら、しかも時遡の人生が始まってからは正義の大おばあちゃんとして波乱万丈の人生を過ごしてきた私やったら、さぞおおかみさまを満足させる物語になったやろう。


『ところが、だ。そこにお主の存在よ、天野未来。素晴らしき生け贄の男子おのこ

 え、僕? と自分を指差して驚く彼。

『そうだ。まるで幼子のような心の未熟さ、純粋さを兼ね備えたお主は実に食しやすい贄であった。神ノ山登紀の方は逆に幼子になっても人格は成熟したままで、なかなか喉の通りが悪そうであったからな』

「それって・・・・・・褒められてるんですか、けなされてるんですか?」

 微妙な評価に未来君がジト目で返す。まぁ確かに真面目であるがゆえに少々子供っぽい所や、癇癪を起しやすい彼はそう思われても仕方がないかも。


 でも、おおかみさまはそんな私たちの考えを一蹴する。

『最大限の称賛を送っておるのだよ。お主が神ノ山登紀といかに関わり、その縁を繋ぎ、恋慕の情を寄せ、別れてなおその縁を手繰り寄せた。これだけでもどれほどの良き贄であるか!』

 そうだ。彼のその性格が紡いできたドラマチックなストーリー。そういったものがおおかみさまの大好物だとしたら、まさにこれ以上のものは無いだろう。

『しかもだ! 今ここにいる人物はすべてお主と縁あって集まった者。そなたらもまた様々な生き様を背負った優秀な贄たちだ、それを男子みらいを通じて味あわせて貰った、これを極上の贄と言わずして何と言おうか!』


 ああ、そうか。あの”時遡プロジェクト”の結成の為に、未来君は自分を検体として世界中に協力者を呼び掛けた。それに応えて集まった人たちの矜持や人生もまた、おおかみさまの良すぎる”贄”になったんだ。


 そんな一同の方に目をむけ、それぞれの生き方、その物語を味わうように語っていくおおかみさま。


『神ノ山登紀が紡いだ若返る人生で育った縁、悪人たちを成敗するその中で出会った者達、よくぞここに集ってくれた』

 時を遡る私の人生の中で知り合った会長、社長、専務。私に力を貸してくれた鐘巻さん、あの船で未来君と共に救ったヤボ君らの若者達。


『まさか薬師ごときが、余の呪いに打ち勝つなどとは想像もしておらなんだ、見事であったぞ』

 未来君の呼びかけに答えてくれた、世界的医学の権威Dr.リヒター。かつて私を見放した祖父の屈辱を晴らすべくプロジェクトに加わり、呪いに対して会心の一撃『橘ワクチン』を生み出した橘医師。


『よくぞここまで余の呪いを看破したものよ! 老練なる人間の功はつくづく侮れぬ』

 星呪術の観点から呪いの正体に迫ったマルガリータさん。同じ『時間の呪い』にかかり、長き時を経てなお飄々と生きる天仙院白雲てんぜんいんはくうんさん。そして東北で様々な伝承を語り、私や未来君に多くの事を教えてくれた門田 一花かどた いちかさん。


男子おのこの友として彼と通じ、なお己の道を歩む者達。家族として支える両の親、出会った人生の先達や恩師、そのそれぞれの関りもまた、我の良き贄なるぞ』

 本田君、渡辺君、三木七海ななみん宮本月子ツキちゃんお父さん、芹香お母さん、地元の資料館の先輩である水原さんに大荻さん。そして、この場には居ないけど世話を焼いてくれた岩城先生・・・・・・そして、川名潺せっちゃん



『それらの者達が一堂に集い、そして今日この場でさらなる贄を、素晴らしき物語を見せて貰った、この姿リカオンで現れたのは僥倖であった』

 あっ!と全員が反応する。日本の八百万やおよろずの神様なのにアフリカの動物の姿を取っていたのは、未来君の過去のトラウマをあえて呼び覚ます為だったんだ。そして・・・・・・


『絶望に沈み、想い人も失意する中、かつての伴侶によってその意を汲み、その活によって雄々しく立ち直り過去の因果を吹き飛ばす。これほどの物語ニエを間近で堪能できるとは、まさに重畳なり!』



「面白いな、おおかみさまとやらよ!」

 私の横から割って入ったのは鐘巻さんだった。相手を睨め上げると、真っ直ぐにその腕の先をおおかみさまに向ける。その手にあったのは、拳銃! どこに持っとったんそんなもん!

「過去の災害を今に持ち込んで、他人に呪いを振りまいて、挙句に罪のない子供ボーイの心をかき乱す。そんなお前さんにそんだけ上から目線で語れる資格があると思うか?」

 ガチリ、と撃鉄を起こして銃口を心臓に向ける。狩人の家の出の彼にとってこれだけ巨体の獣の急所を撃ち抜くのは難しい事ではない。お前何様のつもりだと言わんばかりにおおかみさまを睨み据える。


『天野未来の過去、それこそが”さいごのひみつ”であったからな。ふっふ、もう贄は充分だよ。これからは余の仕事の番だ』

「仕事、だと?」

『左様。お主の言う通り余は過去の水害をこの時代に持ってきた。ならばその尻拭いをせねばなるまい、これだけ極上の贄を食したならば・・・・・・』

「出来る、のか?」

 鐘巻さんが銃を下ろしてそうこぼす。今この場こそおおかみさまの力で晴れてはいるが、周囲は台風の暴風圏に入ったばかり。また吉野川の水はすでに溢れんばかりに流れ、各所の土手を乗り越えんとしている。いかに神とはいえこの大水害をどうにかするというシーンは想像しづらかった。だが・・・・・・


『容易い事だ』

 おおかみさまは、そうあっさりと言い放った。


『天野未来よ、その首に下げている埴輪、我に譲らぬか』

 生け贄の身代わりにと首に下げていた七人の子供のフィギュアを示され、応じて未来君はそれを外しておおかみさまの首にかける。

『では、行こうか!』

 そう言ったおおかみさまに応えて、七人の子供たちがうん、と頷くと、自らの体を光り輝かせて霊魂か人魂のような姿となって、その首飾りの人形にヒュン、と吸い込まれていく。


 ドン!!


 大砲やロケットの発射すら超えるような衝撃と共に、おおかみさまはその場から大ジャンプして、南の方に飛んで行った。

 そして次の瞬間、私たちの周囲の景色がまるで万華鏡のように亀裂を走らせ、違う場所に作り替えられていく。

「な、なんだぁ、こりゃ!?」

「これって、あの恐山の時の・・・・・・夢の時と同じ!」

「場面転換、ってワケね」


 世界の亀裂が全て収まった時、私たちは見知った川の縁に居た。あの土嚢を積んだ吉野川、鴨烏地区の土手の際。今にも溢れそうなその川にかかる橋の上、そこにおおかみさまは佇んで、川の上流を睨んでいた。


 ぞくり! と全員に悪寒が走った。


 どどどどどどどどぉおんっ!

 荒れ狂う川の流れが一本の濁流になり、そこからまるで蛇のように一本の巨大な鞭となって、天に向かってとぐろを巻き始めたのだ。全長1キロはあるであろうその巨大な水の鞭の先端がこちらを向け、そこから次第にある生物の形をとっていく。

「ド、ドラゴン・・・・・・?」

「出たな、リュウジンサマとやら!」

 驚く王さんに続いて鐘巻さんがそう吐き捨てる。かつてあの恐山で見た川の神様が、あの時よりはるかに巨大になって、こちらに鎌首を向けている。


 そしてその頭の付け根、両方の角の間に、ひとりの人間が上半身だけを覗かせていた。

「せっちゃん!」

「川奈さんっ!」

 私と未来君が同時に叫ぶ。見知った女性がまるで竜の頭から生えているかのようにそこにいた。目を閉じ、両手を胸の前で噛み合わせて、まるで像のように動かない。

「川奈ーっ! しっかりしろーっ!」

「せっちゃーん、無事なのーっ、返事してーっ!!」


 だが、返事をしたのはせっちゃんではなく、その巨大な龍だった。

『おおかみよ、生け贄は堪能したか?』

『うむ、龍神よ、極上の贄であったわ』

 人ならざる者同士の会話が響く。怪獣同士の戦いに迷い込んだ人間のようなプレッシャーが私たちの心を底冷えさせる。


『では、見せてみよ、その力を!』

『とくと見るがよい!』


 空気を切り裂く威圧感を受けて誰も言葉を発せない中、白雲さんだけが脂汗を大量に流しつつも、錫杖を前にかざして辛うじて言葉を発する。かつて見た山湯の白やまゆのしろ疾風の吾郎はやてのごろとの戦い以上の激戦を予感して、この場にいる事の光栄と恐怖をないまぜにして。


「始まるぞ・・・・・・八百万の神同士の、戦いがっ!」


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