第16話 阿波踊り

 チチンチチンチチンチチン、と鉦鼓かねの音が二拍子を刻み、ひゅるーるるーるる、ひゅひゅ、ひゅひゅ、ひゅるーるるーる♪と透き通った笛の音が、『ぞめき』のメロディを街中に奏でる。

「うわぁ・・・・・・今日も凄い人だなぁ」

「大阪も東京も顔負けやねぇ、今日だけは」


 徳島の夏、それは阿波踊りに集約されるといっていい。

 人口20万人ほどの徳島市に、期間中は実に1日に100万人を超える人が殺到する年に一度のビッグイベントだ。普段はやや閑散とし、朝夕の通勤ラッシュ時にはややにぎわうこの街も、今日はまるで砂糖にたかるアリの如く人の波で埋め尽くされている。

 そんな中を、神ノ山登紀かみのやま とき天野 未来あまの みらいのカップルは、しっかりと手を繋いで人混みをかき分けつつ進んでいた。ちなみに市内ここまで送ってくれた未来の父はそのまま仕事タクシーに突入している、さすがに今日はかき入れ時で、駅やバス停からの送迎の仕事は山ほどあるだろう。


 二人が目指すのは演舞場の桟敷席だ。阿波踊りは基本二つの流れがあり、ひとつはこの舞台で踊るために一年間ひたすら練習を積んできた有名、名門の連(団体)のお疲労目だ。足運びから指先の動きまで一糸乱れぬその動きと艶やかさが観客の目を魅了して放さない。

 もうひとつの流れは、だれでも自由に踊りに参加できる『にわか連』だ。『同じ阿呆なら踊らにゃそんそん』というフレーズの通り、そこかしこのスペースでみんなが思い思いに手足をバラバラと動かし、汗を煌めかせて夏の祭典を楽しむ。演舞場の見事な統率とは対照的な『手をあげて、足を運べば、阿波踊り』を地で行く自由な楽しみ方。


 ふたりはまず入手したチケットで桟敷席から本格踊りを堪能し、それから屋台を楽しみつつにわか連にも参加しようと計画していた。早速演舞場を目指すべく、人混みをかき分けて街中を進んでいく。


「あれれー、ときちゃんに天野君じゃん、おーおーお熱いねぇ」

 新町川の橋の上でそう声をかけて来たのはクラスメイトのせっちゃんこと川奈 潺かわな せせらぎさんだ。水色のVネックシャツにベージュのホットパンツという彼女らしいアクティブな服装で登場するやいなや、さっそくからかわれる。


「へへへー、ええでしょ」

 登紀はそう言って未来の脇に腕を絡める。浴衣と彼氏とどっちがよ、と流し目で冷やかす彼女に、「もちろん両方」と満面の笑みで返す。ちなみに未来はずっと真っ赤である。

「やれやれ、ウチのクラスどもときたら・・・・・・さっきあっちでも委員長と副委員長のカップルに会ったわよ。どっち向いてもアツアツでこっちまで熱中症になりそうだわ」

「本田君と宮本さんも来てたんだ、どうせなら会えないかな?」

 未来のその提案に、せっちゃんはマジに熱で倒れそうだわと言いつつも、ラインで彼らと連絡を取って少し先の川辺で集合の約束を取り付けた。どうせこの人混みじゃ二人きりでムードを出すなんて不可能だし、だったらクラスメイトで集まって楽しむのも手ではある。


「おーおー天野、やっぱ神ノ山さんとデキとったんか」

「本田君こそ宮本さんと付き合ってんじゃん、人の事言えないよ」

 合流した本田君の冷やかしに未来が返すと、あー俺らはなぁ、と渋い顔をする。

「そういや本田君、大会は惜しかったねぇ、2回戦すっごい盛り上がったし」

「そうそう、まさかあの大峰選手を倒すなんて!」


 先日のインターハイ柔道県予選は登紀たちも会場に応援に駆け付けた。個人戦で出場していた本田は2回戦で優勝候補筆頭と言われる城之堀高校のエース、大峰と対戦した。国際強化選手の相手との実力差は歴然で、技ありひとつ、有効ふたつを取られて絶体絶命の窮地から、トドメの内股をギリギリで切り返す『内股透かし』で見事に一本を奪う逆転劇を見せたのだ。もっともその試合で力尽きて3回戦敗退ではあったが。


「ま、だから息抜きを兼ねて来たんだよ。月子がチケット用意してくれたしな」

「阿波踊りは小説のネタになる、ましてやカップル二組とぼっち一人をじっくり観察できるとなると・・・・・・」

「ぼっち言うな!」

 ブレない宮本さんの余計な一言に、せっちゃんがチョップでツッコミを入れる。


「そういや、ななみんは?」

 こういうシチュエーションで登場するのは三木 七海ななみんの十八番だ。未来と登紀、委員長と副委員長のカップル2組がいると知ったらさぞ嬉々としてちょっかい出しに来るだろう。

「まだ見てないけど・・・・・・あの子なら絶対どっかで見てると思う」

「ですよねー」



 彼らのそんなやりとりを、橋のたもとで眺めている女性がいる。年の頃は20前後か、長い黒髪を後ろにストレートにたなびかせ、前髪を掻き上げる流れで耳に付けた特殊収音マイクを取り外す。

「ご指名か、まぁストーカーするより楽かもね」

 女性はそう言うと、ポケットからヘアゴムをふたつ出し、髪を左右にまとめて手早く三つ編みにする。それを耳の後ろで輪っかにして子供っぽい髪型に変えると。ポーチからハンカチと化粧水を出して顔のメイクを素早く落とす。スマホのカメラで自分の顔を確認するまでわずか2分の早業で、女性は三木 七海みき ななみに戻った。



 呼ばれた気がしたので来ましたー、とななみんが笑顔で合流する。どこにいたのやら、流石やねぇ、などとツッコミを入れつつ、一同はしばしの懇談を楽しみ、後でにわか連で踊る約束をして解散となった。


「ななみんも第一演舞場?」

 演舞場は第一、第二、第三の三つがある。本田君たちは第三の方で、せっちゃんは元々演舞場の踊りには興味無さそうでチケットを取っていなかった。七海だけが登紀達と同じ第一演舞場のチケットを持っていた。

「まぁねー、じっくりと見させてもらいますか・・・・・・見事な踊りに見とれるバカップルを」

 見るのはそっちかい!


「そういや郷土文化研究部で集まるのって久々じゃない?」

「あー確かに。春の資料館以来やねー」

 この3人は一応同じ部活だ。もっとも登紀も七海も帰宅部の代わりにとチョイスした部だったが、ここでこうして3人揃って、徳島の伝統文化である阿波踊りを見物するのは、久々にこの部らしい活動ともいえる。

「あの時はウブだった二人が、今やお手々繋いでお祭り・・・・・・立派なカップルになってもうて」

 さめざめと泣きマネをするななみん。いや私達キスもまだなんやけど、と心で反論する。


 演舞場は大いに沸いた。名の知れた有名連が躍り込むたびに拍手とフラッシュの嵐が巻き起こり、その一糸乱れぬ見事な動きにため息が漏れる。旗手が提灯を見事に振り回し、笠をかぶった浴衣の女性達が華やかな女踊りを見せ、手ぬぐいを頭に巻いた男たちが歌舞伎役者のような動きの男踊りを披露する。まだ10歳にも届かない子供たちが大人に負けぬ見事な動きで演舞場を盛り上げる。

「すっごいなぁ、どれだけ練習したらあそこまで・・・・・・」

 未来君が、たはーと息をつきながら眼下の演舞に言葉を吐く。確かにあそこまで見事な動きを、この本番で大勢の観客の前で踊り尽くすには一朝一夕ではとても無理だろう。

「阿波踊りが終わった次の日が練習初日、ってトコもあるしねぇ」

 ななみんの解説に「うそっ!?」と目を丸くする私と未来君。という事は一年全てを阿波踊りに費やしておると?


 あとでにわか連の踊りの参考にするつもりだったが、あそこまで見事だと何の参考にもならなかったなぁ、と苦笑いする3人。何のかんの言ってななみんも結構真剣に阿波踊りに見入っていたようで、本当に久々に全員で部活動をやっている気分になった。


 この時間の演舞が終わり、私たちは演舞場から屋台が連なる場所へと移動し腹ごしらえに突入する。私のチョイスは焼きそばとリンゴ飴。未来君はお好み焼きとポップコーンだ。もちろんお互いが分け合って食べられるようなものを自然とチョイスしていた、以心伝心でなんか嬉しいわ。

 ななみんはというと、焼きトウモロコシとイカ焼きの二本立てだ。左右の手に獲物を持って美味しそうに交互にかぶりついている。

「太るわよー」

「屋台の焼き物って、古くなってるものが多いって聞くけど、大丈夫?」

 別ベクトルの心配をする私たちに、ななみんはけろりとした笑顔で大丈夫大丈夫と返す。思えばいつもは自分たちをからかうだけで、あまり自分を見せない彼女の、彼女らしい一面を見た気がして、思わず未来君と顔を見合わせて笑い合う。


 その後はせっちゃん、本田君、宮本さんと合流して、にわか連が陣取っている演舞場に踊り込んだ。


 先頭を踊るせっちゃんが一番サマになっていた。その見事な踊りに周囲の人たちから思わず拍手が舞ったほどだ。本田君はどうも柔道+阿波踊りみたいな動きになっていて見ていて笑いを誘うものになっとるし、隣りで踊る宮本さんは最初は良かったけど、すぐに体力切れでひぃひぃ言いながら踊っている。

 で、愛しの未来君はと言うと、ここでも真面目君を披露して真剣な顔でさっき見た男踊りを再現しようとしている。が、難易度の高いその踊りをいきなり再現できるはずもなく、何度もよろけながら立て直し、最後は足運びに拘るあまり手が完全にロボットの動きになってしまっている、ああもうほんまに可愛いわ彼氏。


「トキちゃん、うまいわねー」

 ななみんが私の横で適当な踊りを披露しながらこちらを見てそう褒めてくる。まぁ確かに初めてじゃないし、都会に住んで探偵やってた時はディスコなんかにもよく潜り込んでいたから、踊りには少し心得があったりするのだ。ただ浴衣を着ているせいで、あまり派手な動きは出来なかったんやけど。


 私たちは汗だくになって徳島の夏を堪能した。周囲の人たちもみんな、本当に楽しそうにこの祭りを楽しんどった。こんなにも大勢の人たちと一体となって楽しめるイベントを経験できただけでも、今日の日には本当に価値があった。


 ありがとう未来君、ありがとうみんな。今日と言う日はきっと、私の心に深く刻まれる日になるよ。 



 解散になった後、お父さんに迎えをお願いして、待ち合わせの藍場浜公園に向かう。と、途中の道路脇にあるバス亭の上から、ぞめきのリズムを奏でる仕掛け時計が動き出した。

「もう9時かー、すっかり楽しんでしもたねぇ」

 夜の風にほてりを覚ましながら、笑顔でそう未来君に話しかける。繋いだままの手が、名残りのように温もりを保ちつづけていた。


「・・・・・どしたん?」

 その時の彼は、私が今まで見た事のない顔をしていた。その呆然とした表情は、どこまでも私を不安にさせてしまう、そんな色褪せた顔だった。

「あ・・・・・・あ、ごめん! ちょっと僕、トイレ。待ってて」

 そう言って側のコンビニに駆けこむ彼。ああ、屋台の物なんか食べたんで当たったかな? とほっとする。まぁ彼女とデートのシメにそれじゃしまらないけど、それもまた等身大の付き合いなんやろな。



「ゼェッ、ゼェッ、ゼェッ!」

 トイレで大息を突く天野未来。つい先程の自分に寒気が、怖気が全身を駆け巡る。なんで、一体どうして・・・・・・

(神ノ山さん! 神ノ山登紀さん! そう、登紀さんだ。この春に出会って、同じ部活に入って、交換日記で告白した、僕の大事な人じゃないか・・・・・・ッ!)

 ゴンゴンと自分を殴る。さっきはもう少しで口に出してしまう所だった、何をやっているんだ僕は、そんな失礼な事が許されるとでも思っているのか! なんて事を考えるんだ、なんて酷い事を、僕は・・・・・・


(君、誰だっけ)


 ぼくはあの一瞬、神ノ山登紀という人の事を、完全に忘れ去ってしまっていた・・・・・・・・・・・・・・――


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