第3話 人(あく)の人生を狂わせる呪い
1998年、平成10年。
「沼田さん、我々も無理を言う訳じゃないんですよ」
東京の古いビルの一角、”沼田探偵事務所”の看板がかかる部屋の中でソファーから身を乗り出し、向かいにいる女性にそう言ったのは、黒服に身を包んで銀縁のサングラスをかけた、いかにも極道な風貌の男だ。
「月たった2000円でいいんです。このビルの住民もみんな組合に参加してるんですよ、あなただけ参加していないとなれば他の物に示しがつきません」
大股に開いたヒザの上にヒジを乗せ、アゴの下で両手指を絡めて続ける。言葉こそ丁寧ではあるが、それはどうやっても断れない空気を纏っていた。
「組合とか言うても結局は守り代、みかじめ料の徴収やろ?あかんあかん、そんなんにお金出せんよ」
40歳の登紀、今の偽名”
27年前のあの神戸の一件以来、登紀は自分の体、時を遡って若返る呪いの使い方に思いを馳せた。自分のこの不死身の肉体は荒事にうってつけだ、何しろ殴られても蹴られても刺されても死なないのだから。
だったらあの時みたいに、理不尽な暴力にさらされている人たちを助けてあげられる存在になりたい。おばあちゃんヒーローなどなんとも不格好ではあるが、それがこの体になった自分を一番生かせる、いわば天から与えられた役割みたいに思えたのだ。
それから彼女は日本の都市部で探偵事務所を構えて来た。最初は福岡に行き、護身術を習いながら家出や浮気調査などの依頼をこなしてきた。登紀の予想通り都会にあってはその手の騒動は、大抵暴力団や愚連隊が関わっているケースが多かった。登紀も何度も殺意を向けられる事があったが、彼女の肉体にかけられた呪いの力の前に、最後は誰もが妖怪を見る目で尻尾を巻いて逃げて行った。
とはいえその若返る体ゆえに同じ所では長くはいられない、大阪、愛知、宮城と場所を変え、名前を変えてこの仕事を続けて来た。
そして今、首都東京の雑居ビルに事務所を構えたその日の内に、地元の組がさっそくコナをかけて来たという訳だ。
「2000円って言うけど、どうせ一度払ったらそれを盾にしてどんどん額を吊り上げるんやろ?それはおまはんらの常套手段やないの」
「……これはこれは、怖い人ですねぇ、全く」
言葉とは裏腹に、感心したような声のトーンで返して来るグラサンの男。やれやれと言わんばかりに息を吐き出すと、表情を凍らせて無機質に呟くように続ける。
「あんまりヤクザを舐めるもんじゃないですよ」
空気が、ぴりっ! と張り詰める。男の後ろにいる二人の付き添いの黒服(たぶん子分)が、ふっ、と体を動かし、口角を吊り上げる。明らかに彼女に手を出すと脅しをかけに来ている。
「おまはんらの悪事を暴く依頼もあるじゃろうけんなぁ、せいぜい怖がっておくのがええよ」
その言葉に場の空気が完全に固まる。単にみかじめ料を払う払わないの問題じゃなく、この女は明らかに自分たちに敵対すると言ってのけたのだ。
後ろの二人が激高するより早く、グラサンの男が勢いよく立ち上がる。男は登紀に一瞥もくれずにきびすを返して「帰るぞ!」とだけ発して部屋を出て行く。
静かになった部屋で、登紀はふぅ、と息を吐いてソファーにもたれかかる。さてあの連中、どう仕掛けてくるかねぇ。
その後の東京での仕事は順調だった。やはり多いのは家出と浮気調査だったが、どちらも意外と暴力団がらみな件は無かった。この過密の東京では意外に一般人同士のトラブルのほうが多く、人間関係の解消の方がより大きなウェイトを占めていたのだ。
付け加えるなら7年前に施行された暴力団対策法により、ちょっとした関与でも組の存亡に関わる捜査が入る可能性がある為、不特定多数の一般人を食い物にするのが困難になってきているというのもあるだろう。自分の所に来たあの男も、表向き「組合」という名目を使っているあたり台所事情の苦しさが伺えた。
3か月が過ぎたある日、彼女は別の探偵事務所から依頼を受ける。警察の麻薬捜査官の情報屋をやってもらえないかと言う依頼だった。地道な集金が出来なくなったヤクザが一獲千金を求めて麻薬に手を出すのはありうる流れであり、それを押さえたいという警察が捜査の手を広げるべく町の情報屋を利用したいと言うのだ。
「沼田さん、お互い商売敵ではありますがこのさい連携しませんか、ヤクザがいなくなれば自分たちも安全に仕事が出来ますし」
「勿論です瀬川さん、ぜひ協力いたしましょう」
笑顔で承諾して彼が帰った後、登紀はさっそく裏取りにかかる。こういう仕事をしている以上、依頼人の言葉を十全に信用するのは愚行であるし、100年以上の人生を生きて来た彼女にとって胡散臭い者を見分けるなどお手の物だ。
案の定、あの男と警視庁の麻薬捜査との繋がりは無かった。逆に暴力団の組員、あの事務所初日に来た組の男とひそかに繋がっている事実が浮かび上がって来た……やれやれ、言うに事欠いて何がヤクザがいなくなれば、や。
数日後の夜。埋立地の近くの倉庫の中で、登紀は数人の黒服に囲まれていた。彼らの後ろにはアタッシュケースをふたつ下げたあのグラサンの男が立ち、隣りには探偵を自称していた瀬川という男がへこへこしてモミ手をしている、なんとも分かり易い構図だ。
アタッシュケースのひとつを開け、中にぎっしり詰まった札束から万札を数枚抜き取って瀬川に渡すと、もう一つのケースを下げたまま男がカツカツと足音を立ててこちらに近づいてきた。
「沼田さん、何か誤解していませんか?」
穏やかな、だが邪悪さを加味した声で口角を吊り上げてそう言うヤクザ。
「我々は貴方とも、いい関係を築きたいと思っているんですよ、そこの瀬川みたいにねぇ」
そこまで言って、黒服におい! とアゴで指示する。それを受けて3人ほどがグラサン男の側に、他の面々が四方から私の体を押さえつけにかかる。
「コイツをキめれば、サツより俺達にシッポ振るようになるさ」
渡された小さなケースから注射器を取り出し、試験管の水と混ぜて吸い上げる男。
「振るのはシッポじゃなくて腰だよ兄貴!」
そう言ってパンツごとズボンを下ろしたのは、後ろに控えていた2mほどの大男だった。体格に見合った一物がボロン! と顔を出す、その胴には真珠の膨らみがイボイボに浮き上がっていた。
私はされるがままに腕をまくられ、注射針を刺されて薬を押し込まれる。消毒も無しに乱暴な処置ねぇ、と心で呆れる。まぁこのあと何をしようとしているかは明白なので、そんな連中に紳士的態度を期待する方が間違っているのだが。
「どうやオバハン、気持ちよくなって来ただろ。ワシがもっといい気分にさせてやるからなぁ」
大男が私の前まで来て、そのゴリラのような顔をにやりと歪める。これから始めるショーに心躍らせているのがビンビン伝わって来る。周囲の男たちが離れ、大男が私のブラウスを鷲掴みにして、一気に下に引き破る!
ビリィッ! と言う音と共にブラウスは布切れと化して下着があらわになる。間髪入れずに太い指をブラのヒモに引っ掛けて引きむしり、私の上半身を剥き出しにする。
「こんなおばさん相手にすいぶんガツガツしとるねぇ、もっと気の利いた誘い方せなあかんよ」
「はん、ヤる事は一緒だろ」
上半身裸の私と、下半身丸出しの2mの大男が至近距離でお互いを見る。これから始まるショーに組員の多くが、へへ、とニヤケ顔を見せる。だが、主格のグラサンの男と、注射器を刺した優男だけが不思議そうな顔をして首を傾げる。
(あの女・・・・・・ヤクが全く効いてない?アレをあの濃度で打ったら足腰砕けるほどにトリップするはずだが)
(注射針の先が、無い? 体の中で折れたのか、いやそんな感触は無かったが)
大男が女の乳房を鷲掴みにする。と同時に登紀は男のぶら下がった玉をお返しとばかりに握りつける。
「おいオバハン、それどうするつもりじゃ!」
「そのセリフ、そのまま返しちゃるわ」
あぁー!?と言って右手を振り上げる大男。そのまま登紀の横っ面を殴り飛ばす。同時にみちっ!という嫌な音が、小さくも確かに倉庫内にこだまする。
「ひっ!」
「うげぇ」
「やりゃあがった・・・・・・」
黒服たちが小さく声を上げる。よりによってマサカリ兄ィの金玉を握りつぶすなんて・・・・・・生きては帰れんな、あの女。
倒れた登紀が身を起こす。マサカリと呼ばれた男が潰された玉を押さえながら、苦痛と残虐にまみれた笑顔を見せる。
「いいぞいいぞ、気の強い女は大好物じゃあ!」
言うや否やマサカリは女に覆い被さり、そのまま顔面を何度も殴る。左手で髪の毛を押さえつけ、右手で岩のような拳骨を作ってゴッ、ガツン、めきっ、と女の顔を殴り続ける。
周囲の組員は皆、あーあ死んじまったなという顔をする。マサカリ兄ぃは女をいたぶりながら犯すのが大好きで、どうやら今回は完全にツボにハマったようだ。なまじ抵抗したがゆえにもう許しては貰えないだろうと。
「カシラ・・・・・・どうかしたんですかい?」
組員の1人がグラサンの男に声をかける。カシラと呼ばれた男は呆然と立ち、冷や汗を流してその光景を凝視している。何かがおかしい、何が、なんだ・・・・・・あの女!?
殴り続けていたマサカリが突然、ばっ!と飛び退く。目を丸くし、赤く熱を帯びた自分の右拳を見て「何だ?」という顔で口を開け、閉じられないでいた。
登紀がゆっくりと身を起こす。その体にはアザのひとつも無く、麻薬に酔っている様子すら微塵もなしに、マサカリを真っすぐに睨みすえる。
コツ、コツ、と足音を響かせて、私はマサカリと呼ばれた大男に近づいた。目の前で歩みを止め、笑顔で皮肉を言ってやる。
「だから言うたやろ、気の利いた誘い方せなあかん、って。」
マサカリの背筋に冷たい物が走り抜ける。さっきからこの女は殴るたびにその顔を窪ませ、次の瞬間には元通りに戻っていた。同じ所を何度殴っても、違う角度から拳を叩きつけても、次の瞬間には元のキレイな顔に戻ってしまう……傷付くのは殴っている自分の拳ばかりだ!
「ひ、ひぃっ!このバケモノめ!!」
大男のヤクザが怯え切った表情で、私を組み伏せてその拳を私の顔面に叩き付ける。何度も、何度も-
「ひぃぃ、死ね、死ね、死ね、死にやがれえぇぇぇぇぇ!!」
懇願のような声を上げ、拳を撃ち続けるマサカリ。拳の皮がこすれ、血と肉が宙を舞い、ついには骨まで見えるほどに殴り続けて、やがて彼の拳は止まる。
その下にあったのは、元々と何ら変わらぬ綺麗な顔と、男の拳から飛んだ血の跡でしかなかった。
ぺたん、と尻もちをついてマサカリが後ずさる。登紀は体を起こすと、カシラと呼ばれたグラサン男に向き直る。既に拳銃を構えた彼の周囲では部下たちが、ようやく私が無傷な事に気付いて目を丸くする。
「麻薬とそれを大金で取引する現場。物的証拠、そして暴力に銃刀法違反、もうどない足掻いても言い逃れは聞かんよ」
コツコツとハイヒールの音を響かせてカシラに歩み寄る登紀。
深夜の倉庫に、パン、パンと銃声が響き渡る。ほどなくカシラの悲鳴が響き、男どもが雄叫びを上げて刃物を抜いて殺到し、ドズッ、ズン! と刃が肉体に刺さる嫌な音がこだまする。
倉庫でへたり込んで震えていた探偵、瀬川がそのあと耳にしたのは、屈強な男たちの悲鳴と、遠くから聞こえるパトカーのサイレン――
自分の人生の、破滅の音。
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