昼の月

海月

1 朝食

「前から思ってたが」

「…え? 何」

 金曜の朝。夫が食事中に喋りだした。

 珍しいことだ。いつもは無言で、さっさと食べ終えるだけなのに。


「お前。結婚して二十年、毎朝トーストでよく飽きないな」






 常は無駄口を嫌う人なので、何が言いたいのか。


 けれど夫は二枚目のトーストをたいらげるだけ。野菜サラダをかきこむだけでいる。



 私は掃出窓の空へ視線を戻した。

 今日こそ快晴になりそうで雲ひとつない。 いわゆる洗濯日和というやつ。そろそろ梅雨で今週は天候が崩れがちだったのをいいことに、ずぼらを決めこみ汚れ物を溜めてしまっている。


 すっかり家事がおざなりになった専業主婦を、夫はとうとう皮肉りたくなったのか。



 私はちぎってたトーストをゆっくりくわえた。


 溶けだしたバターで、唇ばかりか指先までぬらつく。

 ティッシュで拭きとり、今度はトーストを細かくちぎりほおばる。爪までぬらつく。

 ティッシュをつまみむ。

 しかし夫は話を続けるでもない。


 待つのも馬鹿々々しくなり、かゆ状になりだした口中を一気にミルクでみ下した。そうして、ひん曲がるほど唇をティッシュでしごいた。とたんーー思い出してしまったのだ。そ れこそ一気に。


 …この私がねだった日々もあったことを。

 ……………やわらかに唇をなぞるティッシュ役を。あのころは。この私が…私がだ……。

 しかも、いつかしらそそがれてた唾さえも……あのころは…………。

 

「私に飽きたと言ってほしいの!?」

 不意によみがえった記憶をふりはらう勢いで、私は言い返していた。


 だが夫は上目遣いに私を見ただけで、味噌汁をすすり終えると食卓の椅子から立ち上がり、ほどなく着替えたスーツで玄関に向かい、

「行ってくる」といつもどおりの一言だけで会社へ出勤して行った。



 そして駅へ着くだろう刻、ラインを送信してきたのだった。

『俺は飽きたぞ』と。

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