魔法少女返納列車

区院

1話 魔法少女は爆発する


 うららかな春の日、魔法少女は爆発した。



 周囲に己の攻撃魔法や敵である「怪物」の攻撃が及ばないよう、魔法少女が作った結界の中。誰の目にも届かない真夜中の河川敷で、魔法少女は爆発した。


 結界の力は強固で、外からはいつも通りの、田舎の河川敷の光景しかない。同じ魔法少女もしくは魔力を持つ者でなければ、結界の中の本当の景色は見ることができない。


 結界の中の本当の景色は、黒い煙で満たされ、川辺に咲いた白い花がちりちりと燃えていた。やがて、空に近いところから、結界が溶けるように消えていく。それは、魔法少女の生命の力が弱まっていることと同義であった。


 ひゅー、ひゅー、と息をする音が力なく響く。風の音で搔き消されるほどの、潰れた喉で息をする音だ。


 ____ごめんなさい。怪物を仕留めきれなくてごめんなさい。


 赤いロングヘアーを携え、白いバレエの衣装のようなドレスを着た少女が、地に横たわっている。傍らにはショッキングピンクのリボンが巻き付いた脇差が転がっていた。レースのついた美しい装束は心臓の辺りを中心に、血で赤く染まっている。


 魔法少女が怪我をした場合、変身する度自動補給される、腰につけたポーションを飲むことで傷を癒せる。が、それもとうに尽きていた。血の流れはとどまることを知らず、彼女はもうなすすべもなく、だんだんと死へと向かっている。


 魔法少女の名は赤須くれな。高校2年生。魔法少女チーム「スカーレット・スワン」の一員だった。


 くれなから2メートルほど離れたところで、人の頭の大きさくらいの、どろどろと濃い紫色の泥を纏った、3つ目の怪物が夜の川辺を下っていく。魔法少女をはじめとした、魔力を持つ者にしか見えない怪物だ。残念ながら、警察や消防を呼んでも倒せない。魔力が無いものが触ると、意味も無く衝動的になるなど、気をおかしくしてしまう。だから秘密裏に、誰の目も届かない結界の中で魔法少女たちが討伐しているのだ。


 今は小さいその怪物は、元は2階建てビルくらいの大きさだった。自爆に近い爆発攻撃でくれなを巻き込み、彼女を瀕死の状態に追い込んだ。本体の心臓部分であり急所である「核」を残し、人間でいう足のような器官を駆使して歩き、今この場を後にしようとしている。核を壊せば塵になって跡形もなく消えるのだが、もうくれなにその力は残っていない。


 くれなは助けや応援を呼ぼうとは思わなかった。呼べなかった、と言った方が正しかった。喉が潰れて声が出せないことだけが理由ではない。


『赤須さんさぁ、このチームに居ていいと思ってる? 役に立たないなら死ぬかなんかしたら?』


 どうしてこんな死の間際まで、こんな言葉を思い出さねばならないのだろう。そんなことを思っても、脳に浮かぶのは自分を傷つける言葉ばかりだった。


 赤須くれなは魔法少女チームの中で浮いていた。


 スカーレット・スワンは、牢獄だった。リーダーの桃頭ももがしらアカネ、チームメンバーの篠原喜美しのはらよしみ近藤愛花こんどうあいかは、ある日を境に、突然くれなを避け、罵るようになった。


 そんなことをされる覚えは全くなかった。でもチームメイトたちは「物を盗まれた」「怪物退治のときにひとりだけ手を抜いている」「悪口を言いふらしている」などと言っていた。それが事実でなくとも、彼女たちがくれなの心を抉る理由としては十分だった。


 生きていたってもうどこにもいけないのなら、ここで尽きるのも悪くない。もう痛みすら感じなくなるにつれ、そんなことを考える。


 魔法少女チームは1つの都道府県に1チーム。行政機関のように、47都道府県ごとに存在している。管理しているのは、魔法界と呼ばれる異世界。魔法少女の変身装置を提供する魔法の世界が、チームを管理し、敵の出現情報などを連絡したりしている。もちろん公にはされていない。日本政府も知らない、魔力を持つものしか知らない世界の常識だ。


 昨年度、まだくれなが高校1年生だった頃、スカーレット・スワンは怪物の討伐数が県の中で一番多かったことで、県の魔法界支部から表彰されたことがある。しかし、実際のところはほとんどが、くれな一人で倒したものだった。他のメンバーと討伐することもあったが、常にくれなは前線に立たされていた。


 優秀な魔法少女は、魔法界にスカウトされ、あちら側の界で暮らすことができる者もいるという。


『魔法界の役員さんに、優秀なチームですねって言われちゃった。スカウト早く来ないかなぁ』


 表彰式の帰り道、くれなを除くチームのメンバーと共に、桃頭アカネはそんな言葉とともに笑っていた。愉悦と希望に満ち満ちた声だった。


 真っ赤な夕焼けの中、己以外のチームメイトの3人が並んで歩くその背を追いながらも、くれなは平然としていた。怒りも悔しさもなかった。むしろ、微かな希望を抱いた。


 ___もっと頑張って、アカネちゃんがスカウトされれば、また3人と仲良くできるかもしれない。


 くれなにとっては一筋の蜘蛛の糸だった。その糸に縋りながら生きてきた。どんなに馬鹿にされようと、傷つく言葉を浴びても、無視されても。いつか来るかもしれない未来を期待して、ひたすら敵を倒しつづけた。応援を呼ばず一人きりでも、自分の時間や睡眠時間を犠牲にしても、深夜の怪物退治の疲れで学校を休みがちになっても、深夜に家を抜け出しているのが母にバレて怒鳴られながら殴られたことも、全部がどうでもよかった。


 その果てにあるものが、こんなにもあっけない死だとしても。くれなの心臓を埋め尽くすのは謝罪と後悔の言葉ばかりだった。


 倒しきれなかった、ごめんなさい、またみんなに迷惑かけちゃった、どうしよう、ますます嫌われちゃう、また悪口言われちゃう、どうしよう、どうしよう_____


 結界はとうに溶けきっていた。車通りも人通りもない、無音の夜の世界だけが広がっている。


 血はもう流しきった。春の夜風がくれなの赤い前髪をさらさらと揺らして通り抜け、闇に溶けて消えていく。こんな日でも星は綺麗に見えるんだなと、「どうしよう」の言葉の海の中で思った。


 皮肉なほど澄み渡る夜空の中、一筋の光が流れていく。流れ星。くれなは生まれて初めて見た。遠のいていく意識の中で、しゃらん、と微かだが、綺麗な音が耳を掠めた。


 しゃらん、しゃらん。


 なんだろう、この音。くれなの脳内に疑問符が浮かぶ。


 音が増えていく。近づいてくる。


 新しい敵だろうか、なら、立ち上がらなければ。結界を張って、武器を拾って、戦わなければ。


 でももう身体が動かない。指先の感覚がない。誰か迎えに来てくれないだろうか、ここではないどこかへ連れて行ってはくれないだろうか。


 ___これからやってくる死神でも誰でもいい。私を助けて、それかこのまま力尽きさせて。


 そんなことを、考えていたはずなのに。


『もっときびきび動けよ! カス!』


 血を流す心臓が、どくん、と一際大きく脈打つ。ボロボロの身体を動かすのは皮肉にも、桃頭アカネの鋭い棘のような言葉だった。そんな自分がくれなは嫌だった。けれど、苦い記憶の言葉に逆らえない。


 霞んだ目を見開き、胸を押さえながら立ち上がる。愛用の脇差をどうにか拾い、顔を上げた。


 しゃらん、しゃらん、しゃらん。


 息を吞んだ。一際大きくなる音に鼓膜が震え、視界に広がる光景に心が震える。


 汽車が飛んでいる。眼前いっぱいに広がる、一面薄黄緑色の、光り輝く汽車。汽車

が星屑のようなきらきらとした光の塊を降らせながら、こちらへ降りてくる。


「カワタレー! あの子じゃない!?」


 男性のはつらつとした声が聞こえた。声の出所を瞳で探る。どうやら、汽車の先頭車両の、ひとつだけ開いた窓からのようだ。額から流れる血を拭い、目を凝らす。そこには人間の男性の姿はなかった。代わりに、鳥類の生物が骨になったような、学校の授業で見たプテラノドンの化石のような頭部の、背の高い人がこちらを見下ろしている。派手な赤色のスーツを着ているからか、頭部が骨であるはずなのに、ホストのような華々しい雰囲気を感じる。


 ぐっと脇差を握る力を強くする。人型で、しかも人の言語を喋る怪物と戦うのは初めてだった。そういえば昔、魔法界主催の魔法少女向け講習会で「人型の怪物は一番強く恐ろしい存在です」なんてことを聞いたことがあった。そんなことを今更、ぶつ切りの思考回路の中で思い出した。


 汽車がもう少しで地に到着するときだった。汽車の先頭車両の扉が開く。そこから化石頭の背の高い人と、もうひとり、黄緑色の鮮やかな短髪の、綺麗な顔立ちの人が飛び降りてくる。中性的な顔立ちで、この人も化石頭の人と同じくらい背が高い。風に揺れる黄緑色の髪を携えた人は、真っ白なパンツスーツに長い深緑色のマントを片方の肩に掛けている。王子様みたいな人だと、敵かもしれないのに思ってしまった。


 ふわりと柔い着地ののち、ふたりはこちらに向かってスタスタと歩き出した。足取りは早く、どこか堂々としている。敵、本当に敵なのだろうか。くれなの中に迷いが生まれる。でも、人型の怪物を連れている時点で敵である可能性は高い。でももし違ったら、でも、他の県から別の魔法少女が来るなんてこと今まで全くなかった。


『反応遅いんだよ、愚図。どこ攻撃するかとか迷ってる暇あったら、さっさと動けば?』


 脳内の言葉がまた背を蹴る。ふらり、ふらりと足を一歩ずつ踏み出す。駆けだして今すぐ急所を狙わなきゃいけないのに、意識が遠のきそうだ。でも。


 身体が思い通りに動かない歯がゆさを力に変えて、思いきり地を蹴った。最期の力、なんて言葉が一瞬脳裏に浮かぶ。


 だが、意志の強さで身体がどうにかなるのなら、世の人すべてが苦労などしていなかった。ごふ、と低い音の息とともに口から血が出る。口元を片手で押さえながら膝をついた。


 これはもう、死ぬ。肌で察した。歩いてくる人型の怪物たちに殺されなくとも、自分はこのまま勝手に死ぬだろう。寒い、痛い。あれだけもう力尽きてもいいやと思っていたのに、どうして今更、指先が震えるのだろう。震えが指先から全身に巡る。


 その刹那だった。


 誰かが、くれなの口元を押さえていた血まみれの手を取った。顔をぎこちなく上げる。鮮やかなライトグリーンの髪。透き通る陶器のような肌に、髪と同じ色をした長い睫毛。眩しいくらいの華やかな人が、こちらを真剣な顔で見つめている。


「美しいだな、近くで見ると、ずっと」


 男性か女性か迷う、中性的な滑らかな声。


 後ろから化石頭の人が走ってくる。


「うーわっ! 久々にこの量の血見た! 早く列車に乗せないと! カワタレ、手伝って!」

「言われなくとも手伝うっての! このカワタレ様に命令するな!」

「俺、残党狩りしてくる! その子のことよろしく!」

「秒で倒さないと置いていくからな」


 化石頭の人が今度は魔法で浮遊して、走るよりも速く空へと遠ざかっていく。


 二人の会話についていけず呆気に取られていると、目の前の綺麗な人が「ちょっと失礼」と小さく呟き、くれなの身体を抱えた。お姫様抱っこ、と俗に呼ばれる抱え方だ。


 ふらつく視界の中で目が合う。その人は美しく、どこか堂々と笑っていた。


「大丈夫、君を助けに来た。こんなに血みどろになるまで、よく頑張ったな」


 くれなは目をゆっくりと大きく見開いた。久しぶりに向けられた、嘲笑いじゃない笑み。褒められることなどいつ以来だろう。もう手が届かないほど遠くの記憶の中にしかなかった言葉に、指先の震えが止む。誰かは分からないけど、かっこいい。誰かに対してそんな感情を抱くことも、いつ以来だろうか。


 本当に助けに来てくれたというのだろうか。死にかけで、死にたがりの自分を。そんな奇跡のようなこと、信じていいのだろうか。


 敵だったらどうしよう、とくれなの心の隅で自分の声がする。でも今は、どうか今だけは。


 この笑顔を信じてみたいと、薄れゆく思考の海の中で思った。


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