第17話 人類最前線の仮面

 それからっ、したっ、舌──がっ、ぬるりと侵入してきた。


 生温く甘いそれが俺から生気と正気を吸い上げていく──!


「ぷはぁっ、はは、すごい顔」


 上気した頬で蕩けた目でじゅるりと唇を舌でなぞり、ククルはトン──と俺の額を人差し指で小突いた。


「キミが初めて、だよ」


 脳がグラグラと揺れる……。


 理解が追いつかない。

 感情が制御できない。


 そんな中で彼女は俺とミーシャの手を引いた。


「行こっか」


 太陽のような髪が瞬いた。



♧♧♧♧♧♧



 ラドールの大広場。


 いつも多くの人の憩いの場となっているけど、今日はそんなレベルじゃない。

 隣の人の肩と触れ合うくらいの密集具合だ。


 誰も彼もが探窟家シーカー──というわけじゃない。

 俺たちが立っている広場の中心側は探窟家しかいないけど、少し遠くに目をやれば明らかに装いの違う一般人がおり、さらに端へ焦点を合わせると貴族服で身を包む者たちや騎士といった身分の高い人らが居る。


「そろそろ時間だぞ?」「まだ慌てる時間じゃない。グランツ様にも準備があるのだ」「最高の探窟家、早くこの目で見たい!」


 目当ては皆もちろん、例のグランツとそのパーティーだ。


 誰もが仰ぎ見る頂点。

 夢と希望を背負った人類の最前線。


 その姿が今──演説台の上に降り立つ。


「おおっ、見ろよエル──! あれがグランツだ!!」


 真っ先に興奮の声を上げたのは探窟家オタクのミーシャだ。


 豪華な赤いマントと白銀の鎧。

 黄金の槍を背負う金髪のキザ男。

 あいつぅ……?


「……あいつ。この前見たぜ?」

「グランツをか??」

「いや……多分、気のせい」


 ──ククルくん。もうすこし待っててね。


 ウロボロス第一層に向かう直前にすれ違った男だ。会ったことがあるせいだろうけど、グランツよりもまずソイツに目が行ってしまう。

 ソイツがグランツと思われる男に甲斐甲斐しくも聖火のような松明を渡している。


 受け取ったグランツは、真っ黒な仮面から飛び出たオールバックの黒髪を撫で上げて、聖火を天に掲げてみせた。

 

 黒のパワードスーツといい、邪悪としか思えない外見だ。


『ごきげんよう諸君──私がグランツ・オール・ディ・ビルゲードだ。急造な演目にお集まりいただいたことに、まずは感謝する』


 心の臓に重くのし掛かるような声が拡声魔法によって広場全体に心地よく反響すると、割れんばかりの大歓声が上がる。


『おっと、これはこれは……知らぬ間に名声が高まっているようだね。面食らってしまうよ』


 肩を竦め人間味を醸し出すのはいいけどよ、グランツ。

 喰らってる面を見せてくれよ。


 なぁミーシャ……って、だめだこりゃ。

 メモ帳なんか出しちゃって、多分信者だこいつ。


『──さて、我々『ガーディアンズ』は世界最高最後の神秘『ウロボロス』の第三層を踏破したわけだが……おっと、ここで歓声はやめてくれ、話が続けられないではないか』


 それにしてもグランツの野郎……確かちょい役として存在していたはずなんだけど、あんな風貌していたか?


 もっとこう、細身の男だった気がする。


 くそ、なんなんだこのボタンを掛け違えたような違和感は……。


 

 まあいい。

 しっかり話を聞こうじゃないか。


『──さて、親愛なる同胞達よ。諸君らに私は伝えねばならぬ事がある。しかと聞いてくれ』


 仮面の男は少し声のトーンを落とし、聖火を──消す。


 次の言葉は、


『我々は探窟家を引退する』


 地平線まで即座に浸透する。

 数秒の時を経て、大地を震撼させた。


 ミーシャも驚きの余りメモ帳を取り落としてしまった。

 ククルに驚きは──ない。


『夢と絶望が入り混じる大迷宮に終わりは見えぬ。最強たる、この私が宣言しよう。この先何千年の未来にも攻略者は現れないと』


 かつん、かつんと踵を鳴らし、反響させながらグランツは前に出て右腕を広げる。


『右腕には武力の全てを』


 左腕を。


『左腕には野望と智謀の全てを』


 指揮者のように大仰に広げてみせる。


。その全てを持つ、この私でさえも……おそらくは大迷宮の麓に立っただけに過ぎぬ。いったいどれほど進めば終わりが見えるのか分からぬということが三層の最後にて判明したのだ』


 ……あまりグランツの言葉に悲壮感はない。でも言っていることは理解できる。


 地図か何かを発見したか。

 数多の廃プレーヤーが膝を折る大迷宮の、大きすぎる輪郭を見てしまったのだろう。


 そして悟ったんだ。


 命が幾つあっても足りないと。

 およそ人知が及ぶ場所ではないと。


 人類最前線に立ち、不可能を可能にしてきた男が一番最初に悟るってのは……皮肉なことだな。


『……失望したかね。絶望したかね。何と感じようとも構わぬ、少なくとも前に進み続ける諸君らを否定する気はないとも』


 バッシングでもされると読んでいたのかもしれないけど、皆その気はないみたいだ。


 貴族達はともかく、この街にいる探窟家は『ウロボロス』の巨大さを身をもって体感しているからな。

 先を進む彼らに対しリスペクトこそあれ、糾弾する気は起きないのだろう。


「……」


 つか、こうなるとククルが心配だな。

 彼女はずっと『ウロボロス』に挑み続けてきたはず。

 偉大な大先輩が先に折れちまったら、不安になってもおかしくない。


「どうしたの?」

「いや……」

「まだ話は終わってないみたいだし……ちゃんと聞こ」


 まったく、ククルには頭が下がるぜ。


『──さて、ここからは明るい話。未来の話をしよう。少なからず『ウロボロス』より恩寵を受けた私達が成し遂げる、偉大なる未来の話だ』


 ここにきてグランツの声が明るくなる。

 広げていた腕を戻し、わざわざ再び聖火を灯した。

 

 固唾を飲んで皆が見守る中、彼は夢物語を語り出す。


『私が、ダンジョンを創造する──! 構想は────』


 ……


 眠くなってきたな。



♧♧♧♧♧♧



「いっててて……あいつ話長過ぎだろ」


 帰路について伸びをする。

 すると肩を落とし意気消沈しているミーシャが目に入ったので、ぽんぽんと肩を叩いてやる。


「まぁなんだ、あまり気にすんなよ」

「……分かってるよぅ」


 白紙のメモ帳がミーシャの落胆を物語っている。

 何か気の利いた言葉でもかけてやりたいけど、俺にはこれが限界だ。

 もしも枕を涙で濡らすような事があれば、その時はせめて捌け口にでもなってやろう。

 

 ……あとは、ククルだ。


 珍しく俺たちと並んで歩かずに、なぜか少し前を歩いてる。


「おい……っ、ククル。飯でも食いに──」


 その理由回答はやってきた。


 黒仮面の男──グランツが、ククルの数歩先に立っていたのだ。


「っ、転移魔法か」


 油断していた。

 先回りされたな。


 何の用か……なんて、聞くまでもないな。

 

「ククル嬢。お迎えに上がりました」


 そう、聞くまでもない。


 ゲームでのグランツというNPC最強のキャラクターはいつもククルにちょっかいを掛けてくる男だ。

 そして、毎回フラれる。


 シチュエーションや風貌はイマイチ覚えていないけど、確かそんな感じだったはず。

 つまり俺と同じ脇役、単なる賑やかしだ。

 いくら高尚な演説をしようとも、それ以上でも以下でもない。


 ククルというヒロインはちゃんと覚えていたのに、グランツ関連の記憶が曖昧なのは、単純に印象が薄いからだと思う。


 ほら、今だってククルが、


「うん、待ってた。遅かったね」


 痛快に断ってくれ──────あれ?

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