第13話 エリアリスの衝撃、レナウスの悲劇

 皆で朝食を取った後、まずアナスタシアと淑女教育を行うエリアリスだが、これがかなりスパルタであった。食後の運動とばかりにウォーキングに始まりダンスレッスン。そして体が温まると、アナスタシアが一番嫌いな礼法マナーのレッスンが始まるのだ。


「そうです。肩に力を入れてはなりません、力を入れるのは肘と腰のここです」


エリアリスはアナスタシアの肘を手で支えながら、鉄定の付いたベルトの結び目をグッと押さえ上げ、ポンポンと腰を叩いた。アナスタシアは、何とか筋肉痛に耐えつつも『うっ』と声を上げ、真っ直ぐに正面を見つめた。なんとか背筋を伸ばし、痛みを堪えつつ笑顔で乗り切るアナスタシアだったが、内心では叫んでいた。


『王妃になってまうわ!このままやと一年後には私がガヴァネスやれるわ!』と。


先生スパルタが過ぎます!一応、私も初等科でマナーは学んだけれど、ここまでじゃ無いわ!はぁ、先生を当家に呼ぶ為にガヴァネスとしてお越し頂いたけれど、まさかここまで徹底的にマナーを叩き込まれるなんて。早く兄様と結ばれてくれなきゃ私の腰が!



「さ、この姿勢をキープして下さい。10歩進んで爪先を軸にゆっくりターンです。良いですか?頭の上のプレートを落としたら最初からですからね?」



このままで歩く!?冗談ですわよね?既に二の腕は痙攣してますのよ?一歩進むだけでプレートは揺れるし、首が!腰が!肩甲骨が割れますわ!



「は……い」




 たっぷり2時間、エリアリスのスパルタ指導を受けたアナスタシアは、ゼーゼーと息を切らしながらメリーの部屋へと向かうも、腰の痛みでガニ股となりながら廊下を歩く羽目となった。その姿は、さしずめ毒林檎を売り歩く老婆の様で悲惨この上ない。



「メ、メリー姉様の番ですわよ!恐ろしい程のスパルタですわ…先週までの先生は様子見だったのですわ!椅子に座るだけでも腰が!」


「流石、元皇子の婚約者ですわね」


「レナウス兄様も、先生の指導のお陰で今期のテスト、学年20位ですって……たったの二週間ですわよ?二週間!一体どんな妃教育を受けていたのかしら」


「そりゃ想像を絶する様な教育なんでしょうね……まぁ私は取り敢えず婚約者って事もあってエリアリス様もそこまで厳しい事はなさらないから良いけれど……アナスタシア、貴方はそろそろ限界なのではなくって?」


「……姉様、早く兄様とエリアリス様くっつけないと……このまま行くと私、隣国の王室でも皇族にでも嫁げそうだわ。うぅ、オータムホリデーがこのままじゃ全部なくなっちゃう!」



ベッドの上で、バタバタと手足をばたつかせながら痛みにもがくアナスタシアをクスクスと笑っていたメリーであったが、悩んでいた。



「だけど、どうやってエリアリス様に恋心を抱かせるか……押しすぎても引きすぎても駄目よね」


「うぅ痛い……でもっ、手っ取り早いのは恋愛相談ですわ!兄様にメリー姉様と上手くいかないと相談させるんです。男の弱さは女の母性をくすぐると聞きますもの!」


「そうねぇ……でも、兄様にそんなテクあると思う?シナリオを作っても、エリアリス様に尽く叩き潰されそうなのよねぇ」


「確かに。ならばまずお二人のイチャイチャを見せ、次第に喧嘩、姉様の浮気、もしくは独立心からの別れ。これを演出するしかありませんね。姉様の幸せそうな姿を見たエリアリス様はきっと、私も恋愛してみたい!ってならないかしら?」



ウィリアム兄様とイチャイチャ……私から言い出した策とはいえ、いざ実行するとなると中々に気持ちの悪い物ですわね。ですが、これも兄様の恋の成就と私の趣味であるイチャラブ観覧の為ですもの。腹を括るしか無いですわね。



「さて、私もエリアリス様のレッスンに行くとするわ」


「姉様も頑張ってね!」


「貴方も、午後のレッスンに備えて身体を休めないと辛いわよ」


「うぐっ‼」




 2人の淑女見習いがレッスンを終え、中庭で3人仲良くお茶をしていたおやつ時。レナウスが息を切らせて帰宅したのだが、余りに興奮していたので3人はどうしたのかと顔を見合わせた。



「レナウス、貴方どうしたの?そんなに顔を赤くして。さ、お茶でも飲んで一息お入れなさいな」



メリーに差し出されたお茶をガブガブと飲み干したレナウスは、空いていた席に腰を掛けると制服の内ポケットから何やら薄紫色の封筒を取り出しテーブルに置いた。

それを見たエリアリスは目を輝かせた。その封筒にとても奇麗な銀糸の天使の刺繍がされていたからだった。


「あら?お手紙でございますか?レナウス様宛にしては何やら可愛らしい封筒でございますね。封筒に刺繍だなんて!とても素敵ですわ」


「先生……これ、貰ったんです」



エリアリスは、その意味が分からず首を傾げていたが、メリーとアナスタシアはそれがラブレターなのだと直ぐに理解した。そして、口元に手を当てながらきゃーきゃーとけたたましく騒ぎ出したのである。



「レナウス!貴方!隅に置ませんわね!どなたから頂いたの?」


「兄様!同級生?それとも下級生!?」



彼女達の興奮した問い掛けに反し、レナウスの顔は晴れなかった。どんよりとして、俯いたまま胸元のネクタイをいじいじとこねくり回し、今にも泣き出しそうである。



「レナウス様?」


「……ハリオル家の」


「「ハリオル!?」」



アナスタシアとメリーは顔を見合わせた。彼女達は知っていた。

ハリオル家は歴代宰相を務める程の名門であり、皆優秀な子弟を有していた。だが、彼女達が驚いたのはそこでは無かった。そう、



「ハリオル家に……子女は、おりませんよね?」



流石のエリアリスも、話の流れでそれがラブレターだと言う事に気が付いた。そして、ハリオル家の子供は皆、男だと言う事にも。



「エヴァン・ハリオルに貰った……」


「まぁ!エヴァン様にですか?確かお兄様のルイゼンス様は近衛隊長をなさっておりましたよね?私、何度かお会いした事がありますが……とても厳しいお方です」


「エヴァンは成績優秀だけど、いつも僕を女の様だと馬鹿にするんだ」



そう。僕は彼が苦手なんだよね。この天パだって、好きで天パな訳じゃ無いのに良くわしゃわしゃ触られて『天使ちゃん』なんて馬鹿にした様に僕を呼ぶんだ。やめてほしいって何度も言ったけど彼は僕の言葉なんて全く聞きやしない。挙句にこんな嫌がらせにも程があるラブレターだよ!何を考えてるんだろう?



「兄様、なんて書いてあったの?」


「……もう、僕2度もこれを読む勇気無い」


「私、読んでも宜しくて?」



こくんと頷いたレナウスを見たメリーはその手紙を手に取ると読み出した。



「親愛なるレナウスへ。この手紙は私の心の全てだ……君が愛しくて仕方が無い。そのふわふわの金髪に、空を切り取った様に澄み渡る青い瞳がいつも私の心を捉えて離さない。君は私がいつも馬鹿にしていると言うけれど、ただ君が好きなんだ。私を君の恋人にして欲しい……」



それから、長ったらしく愛を乞い願う文面を読み切ったメリーは、ふぅっと息を吐くと、手紙を折り畳み封筒に戻した。



「レナウス……お付き合いなさい」


「はっ!?な、何言ってるのメリー‼嘘でしょ?」


「姉様!流石にそれは」


「僕、男なんだけど!」


「今、世の中ではボーイズラブが蔓延しておりますわ。皇族とて同じ様に殿方同士の愛を認めているのです。貴方も流行りに乗ってごらんなさいな」



まさか!私とウィリアム兄様の擬似イチャラブを見せつける前に、良いモデルがここに現れましたわ!そうよ!男も女も関係ないわ!男同士でも恋愛は恋愛ですもの!


高位貴族であるはずのメリーの欲の前に常識も、節操も無かった。可哀想であるが、レナウスはメリーの餌食となるしか無かったのである。



「先生!先生も何とか言ってください!僕は男性とお付き合いなんてしたくありません!」


「え?えぇ?あの……これはやはりそう言う事ですの?エヴァン様はレナウス様とその……結婚したいという事なのでしょうか?」


「先生‼男同士で結婚も何もありませんよ!僕は断固として受け入れられません!」



レナウスの涙の叫びに、メリーは眉間に皴を寄せ怒りを顕わにするとテーブルをドンと叩いてまるで悪戯をした子供を𠮟る様にレナウスを窘め始めたのである。



「何故?男だと何故駄目なのです?結婚は出来ないけれど、恋愛は別ではなくって?レナウス、貴方この方をちゃんと知りもせずにお断りするなんて人としてどうなの?お断りの理由が男だから……なんて、お相手も納得出来ませんわよね?」


「なっ!充分な理由でしょ?僕は女の子が好きなんだよ?」



レナウスの言い分は至極真っ当で、何処にも非は無い。しかし、メリーとアナスタシアの好奇心と似非博愛主義による言葉に論破され掛かっていた。



「お相手が女の子でも、好きな理由、嫌いな理由がきちんと無くては失礼ですわ!貴族間の婚姻だって、それぞれに理由は必ずありますわ。それに納得するから縁談が纏まるのです。貴方のそれはただの食わず嫌いだわ!エヴァン様は真心を込めて貴方に想いを打ち明けたのよ?それがどれ程の勇気が必要なのか……貴方には分からないの?」


「そうよ兄様!お付き合いはしなくても、きちんとお友達から始めて判断すべきだわ!」


「顔が笑ってるんだよ2人共!楽しんでるだけでしょ?もー!ただでさえ外堀埋められてクラスに居場所が無いのに!助けてよ‼」



グイグイと責め立てる2人の獣に、レナウスは目に涙を溜めて嫌だ嫌だと頭を振り続け、レナウス付きの従者であるマットの顔を見た。しかし、マットは目を逸らすと身体を花壇に向けた。



「そんなっ……先生、先生助けて!」


「あ……え、と。私……混乱しております」


「僕が一番混乱してますよ!」


「あ、あの。でしたらレナウス様……お茶会を開きませんか?」


「「お茶会!?」」


お父様、お母様。私、早速難題にぶつかっております。

レナウス様の苦しみを取り除いて差し上げたいのは山々なのでございますが、私にはどうにも理解出来ない事ばかりなのです。男性同士の恋愛でございますか?恋愛がそもそも分からない私に何が出来るのか分かりません。ですが、性別を除けば人同士のつながり、向き合いと変わらないではありませんか!

そうです。何事もぶつかって乗り越えなくては理解も解決も出来ませんわよね?

お茶会を開き、お互いの想いを伝え合えばきっと円満解決出来る筈です!



「お嫌いかどうかはさておき、まずはお互いの気持ちを分かり合ってそれでも……お友達になれそうに無ければお断りすれば良いのではありませんか?」


「友達にだってなりたくない‼」



こうして、女性陣の興奮に押し切られ、今週末に公爵家主催の男同士、膝を突き合わせたお茶会という名の一騎打ちが催される事となったのである。


 ウィリアムとエリアリスとの物語が始まる前に、レナウスとエヴァンの物語が始まってしまった。しかし、この流れから逸れて始まった物語がエリアリスの扉を開く事となる事を本人もまだ知らない。

















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