向背的レイクサイド7
……
「それにしても、何にしても、ここの給料は良いっすよ」
「求人募集を見て、すぐさま応募したっす」
この従業員、およそ、僕が思っている以上に守銭奴であると思われる。その守銭奴が良いと言うほどの給料は一体おいくら程なのだろうか。
「別に基本給が、何万も相場より貰えちゃうってレベルじゃないですよ。休みは1日たりとも無いですけれど、住み込みで日給1万っす」
休みが1日もないと言うのが、どれほど過酷かは知っているつもりだが。笑っているその顔を見る限り、苦悶するほどではないなら言うことは無い。
それにしても、日給1万、月30万、少なくは無いが、だからといって特別感は感じないが。
「もちろん、それだけじゃ無いっすよ。おまけがあるんす」窓のヘリに腰掛けながら、指をフリフリ滔々と話し続ける。
「おまけっていうと、何だ。チップとか、そういった別料金があるとか?」
「別料金というのは間違っては無いっすけど、正確とは言えないっす」
「別料金で、チップでも無いなら、報酬金の追加ということか」
「そうっす。基本給に加えて、出来高制で、追加報酬が有るっす」
「働けば、働くだけ、もらえるお金が増える、はっきり言って最高っす」
働けば、働くだけ、給料が増えるというのは確かに、働き手にすれば、これ以上ないモチベーションに繋がるだろうが。普通はそうそう、叶わない。
人の得には、もちろん、誰かの損害がある。
「君の雇い主、かの女将さんだろうけれど、彼女はそれほどの雇用を生み出せる程の資産家なのか、代々の素封家とか?」
「そこが違うんすよ。雇い主は確かに、女将さんが直属ですけれどね。金銭面にパトロンがいるんすよ」
「実質の権利、雇用の大元を辿れば、雇っているのはそのパトロンってことになるっす」
つまり、パトロン、後援者という立場の人間がいて、この旅館の経営の根幹、金銭部分を賄っているわけか。それは乗っ取り、では無いのかと聞けば違うという。
「聞こえが悪いっすね。これは、彼らの関係、旅館側、女将側とパトロン側、それぞれは相互扶助、互恵の、共生状態にあるんす」
「どちらが不利とか、どちらが有利とかは特に無いっす、相互出すものが揺らがないっすから」
パトロン、彼は、彼女は分からないが、その方は、何を得ているんだ?金を与えるに値するものとは?
「生活の全てっす。生きている今から、死ぬまでの全ての生活を補助することが条件っす」
「と言うと、重々しく、聞こえるかも知れないすけど、そんなことは無いっす。ただ客として、1人の客として、生活するだけっすから」
客。ただの客といえど、パトロン。重要な客である。なるほど、ここで合点のいくことがある。
旅館の中央。池に面した、七つある部屋のうちの一つ、それがパトロンのものだと言うことだ。
「パトロン、有名な人っす。有名で、巨大で、強い人っす」
頬を緩ませながら、楽しむように、話す話す。有名な人物と言われれば、非常に多い、さらにその後につけられた形容もそれを的中させるには至らない情報量だ。
悩んでる顔をだけ、作る。見かねたのか、知らないっすか?分からないっすか?とだけ聞くと、早々と
「作家、
作家、鉄黒錠鉄鍵。歴史小説を中心とした、大物作家。あるテレビ番組による特集、身長192cm、強面の巨人、『黒鬼の鉄鍵』なんて異名も持つ、見た目、言われともに鬼の如き強烈を纏う人物であると僕は記憶する。
成り立ちも、猛々しく群鶏一鶴の成り上がり、まさに一角を自力で打ち立てた剛力の人である。
数年前から、表舞台からその姿を消し、衆目からも完全に隠し、執筆活動も完全に消息を断つ。俗世から消えた、霞を喰らったなどと、噂は数知れずだったが。こんな山奥の旅館経営を後援していたとは知らなかった。さらにそこに隠居していたとは。
「鉄黒錠鉄鍵、あぁ、知ってる」驚きは大きかったが、それを周囲に悟られない程度には小さく表にし出した。
「正確にしたところの、正鵠の、雇い主のあの人ですが、わたしが言うのもアレっすけど変わりもんですよね」
変わり者などと言う表現が正しいのか、無知な僕には見当のつかないところだけれど、かつての印象では変わり者というよりは、変える者といった者だけれど。
「というのもですね、こんな所に、俗世から離れて、生活を始めて、何を求めているかって話になったら、人と話したいと言うそうなんす」
「じゃあ、都会にいればいいものをって思ったすよ。いくら都会でも、あの人ほどの財力があれば、泥棒の1人も侵入できない建物だって作れるでしょう。なら、自分が話したい人を選定して、話す環境も整えられるとそう思うんす」
確かにそれはそうだ。それほどの人で、それほどの財があるはずである。パトロンとして使う費用をそのために使うことは造作のないことだったはずだ。
「しかし、あれだ。半分は成功してるんじゃ無いのか?話したい人の選定は」
選定方法、それに心当たりがあった。例の自称殺し屋の少女が受け取ったと言われる招待状である。あれを送った人物が、鉄黒錠先生だとすれば、話は合致する。
送られ方がかの殺し屋、
まぁ、僕も来てしまいはしたわけだが、おまけにもならないだろうと思わなくも無いが。
「招待状っすか、わたしは知らないっすけど。知るわけないっすよ」
「従業員なのにか?」
「だって招待状って送り手と、受け取り手の2人に理解が共有されることにこそ意味があるっすよ。隠し立てることは大事っす。内緒っす」
シーっと、人差し指をまた口元に立てる。全く、子供っぽいやつである。僕はもう指切りに参戦してるぜ。約束への度胸が違うよ。針千本だって飲まないといけないんだぜ。
「おーい、聞いてるっすか?」
「あー、聞いてる。それで、鉄黒錠先生の話したい人選定の話だったな」
「そうっす、それで何すけど、どうっすか?」
どうっすか?と言われても、状況が把握しきれていないのだが、何がどうするのだ。
まさかとは、思うが、こんなしがない僕に会いにいけとか言わないよな。言うわけないよな、そんなバカなことを。
「いや、その通りっすよ。会いに行って欲しいっす」
そんなバカな。
「バカじゃないっすよ。アホっすけど」
そんなアホな。
「行って欲しいっす。鉄黒錠先生の頼みなんす、雇い主の頼みなんすよ」
どうか、とこれまでにないほど、低頭で願う。
何がここまで彼女にさせるのかは知らないけれど、何だ。
「これが、おまけに繋がるんす。お願いっす」
すぐ言った。
何がって、金だった。忘れかけていたが、この彼女は守銭奴なのだった。金のためなら、豪放磊落たまらない。
「しかし、しかしだ。僕は、一般人だぜ。至極普通、特徴なし、しがない人間だぜ」
「でも、招待状とやらで入ったんすよね」
「なら、行くべきっすよ。会うべきっす」
「おまけに忠実で結構だな」
ちょっと気に入っている自分がいるのは嘘ではない。愚直に何とも言えぬ好感が現れ始めている。褒められるとは思わないが。
「おまけもそうっすけど、それだけじゃないっすよ」
「何だ?聞かせてくれ」
「直感っす。左右ある道、あなたは会う方を選ぶべきっす」
そう、今までの態度が全て偽りであるように、真剣な笑みで言い放つのだった。
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