志願者・浮向京介の紀行
端役 あるく
楽観的スーサイド
・登場人物紹介
志願者
殺人鬼
作家
女将
小間使い
料理人
作家
ボディガード
旅行客
0
千万台。ふん、壮観だな。
ガシャっと機械が動き出し、そこに束を無造作に吐き出す。ピーピーピーピーピーピー。機械音で滅入る。
耳を駆け巡る漸増感、音は大きくなる。
ATM上の馬鹿みたいな紙束にふわりと僕は立ち尽くす。
ここに至るまで非常に長かった。長い人生の全てに値する厚みがあてがわれる気分で、まだまだヌルく、長かった学生時代がよほど新しい記憶に感じてしまう。モラトリアムが昨日を走る様で。
『現金をお取りください。』
「すみません。」
真剣にならなかった訳ではない。取り返しを図ろうなんて言う無謀を幾数回行ったところである。
しかし、それが失敗だった。やらなくて、出来なかった訳ではない。やってしまって、やってしまった。だから、僕はもう自分を許せてしまった。
『通帳またはカードをお取りください。』
「あぁ、すみません。」
昨今の世間はことこう言った事例に厳しく、そして僕のような人間には優しい。頑張った報いとして、金さえ払うことが出来れば、カウンセリングでもなんでもして心の平穏のカケラでも受けることができる。
僕の唯一の救いは平穏獲得を意識的に使えたことがだった。
『お忘れ物のない様、お気をつけてお帰りください。』
「ありがとうございます。」
金の用途なんて趣味が消え失せた人間にはなく、ただただ通帳残高の数字をカラカラと回すだけなのだ。でも、もう限界が来た、向き合う限界に達した。金銭ではなく、精神にだ。
有り余った金を自分のために使うのは普通だろう。だが、僕の考え至った方法で金を使うことを世間様が見れば、これを浪費と呼ぶのかもしれない。
もちろん、僕は浪費と思ってはいないが、他人の同調が得られるなんてこれっぽっちも思っていない。
『ご利用ありがとうございました。』
「....................」
僕は金300万を封筒に入れて、リュックサックの1番メインの収納スペースではなく、もう一段小さいスペースに突っ込む。僕はこの金で死ぬ。悲観的なんてもううんざりだ。
僕は楽しく死んでやるのだ。
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僕の楽しむ自殺計画は至極単純。無い頭を絞って出した妙案である。
「失礼します。」
カラカラと音をあげてハメ込みガラスの引き戸は開く。戸締りの軽やかさに勤めている人の丁寧な仕事ぶりが伺える。
旅館・白雪
今回の、最終回のこの旅館こそが舞台である。
玄関先から暗いケヤキの衝立に隠れた奥まで続く赤い絨毯が旅館とマッチする。
「おはようございます。ようよう、この様な山奥までおいでくださいました。わたしは女将の
引き戸の音に駆けつけた女性がさっと挨拶する。返す言葉に「おはようございます、よろしくお願いします。」
漆黒の着物に乗った白い肌に艶やかな髪が上から流れる。僕などと言う客人に対する無駄のない所作の一つ一つが美しさを叩く。クスッと淡赤の紅は笑った。
「古臭くて、陰気で黒い着物は嫌になるでしょう。」
「いや、いやいや、全然、お綺麗で。そう黒がこそ映える様なそんな。お綺麗です。」
あれ、僕はこれほど口下手だったかな。久しぶりの女性との対面に言葉が出ない。口は選ぶ言葉を吟味し、最終的につまらない答えに帰る。
「あらあら、若い方なのにお上手ですこと。ありがとうございます。」
慇懃の感謝の態度に、恥ずかしさで弱くほてった僕は熱を優しく拭われる。
彼女をまた見れば、クスッと紅を弛ます。
「お客様の様な精悍なお顔付きの方なら、さぞ良いお相手がいらっしゃるのでしょうから、そう耳心地の良い言葉をやたらと並べるものではありませんよ。嫉妬されてしまいます。」
「こちらこそ、嬉しく面映いですが、残念ながら僕にはそのような方はいませんよ。」
まるっきり?
まるっきりです。と、恥ずかしげもなく僕は返答する。
「あらあら、そうなのですか?私はてっきり、、、」
何か口に出る小言を抑える様に「いえ、なんでも。」と彼女は言葉を切る。一瞬の思案の表情を浮かべたかと思えば、次の振り返る時にはもうその名残は消え薄れる。
顔をいくつも持って、それが全く双子のように似通った以上で結ばれ、そして決して異なったものであるような擬似体験をしている。
考えを言葉に起こしている間隙に、流れる紅。紅が揺れている。
「申し訳ありません。お客様の様な方がいらっしゃるのが珍しくてつい、からかってしまいました。」
「珍しいですか?」
「はい、珍しいです。極めて。」
頷く彼女の白い肌に朝日が光る。揺蕩う空気が朝日に当てられて、膨らみ心地よさが増していく。
「知る人ぞ知る場所であると私達共々はこの旅館のことを思っておりますし、実際来る方は奇抜というか、そう個性的な方ばかりなんですよ。」
「今日、この時にも泊まってらっしゃる方は何名かおります。」
彼女の客への評価に僕は少し物怖じする。普通とは相容れない何かの壁を感じざるを得ない、そう思うのも自分の普通さゆえなのか。
「山荘の中でも一際隠れるこの宿で、出会う人はあなたも含めて、運命的であると言えます。」
「であるならば、この様な機会です。話す機会は設けなくとも、またお食事の時にでもお会いになると思いますので、お客様同士で仲を深めるというのも一興でございます。」
「それは楽しみです。」
本当に思ったような気が僕はした。
外履きを脱いで、赤い絨毯にのぼる。やわりとする感触に足の吸い付くのを感じる。
黒い裾より覗くまっさらの足袋を、二歩三歩と滑らす彼女の導きのままに僕も二歩三歩進む。
黄褐色のランプが廊下を照らす。部屋の間ごとにガラスの間が設えられてはいるが、廊下への光の入りはほのかである。
すらりすらりと足袋と絨毯が擦れる。暖色の廊下に弱い曲線を引きながら、歩を進ませる。
「お客様、あぁ、浮向様はどうして白雪をお選びに?」
お客様から苗字への呼び名変更。旅館内の他の客への配慮からだろうか。質問に同期して血の感じない白い首をコクリと横に傾ける。馬の尾のような細やかな髪が肩口を落ち隠す。
先ほども言いましたけれど、こんな辺鄙なところへ泊まりに来る方は珍しいのですよ。理由があるのでしょう?と、思いついたように彼女は質問する。
「自殺するのでね。ここが都合いいみたいで。」などと言えるのなら、良いのだけれど。
言いはしないよ。楽観的なのと、非常識なのはまるで違う。
「人が少ないところへ来たいと思いまして。」と無難に返す。
何か悟られはしまいか、と言った後に考える。心配させる受け答えになってしまったか。
「なるほど、そういう方はいらっしゃいますよ。都会疲れというのでしょう?私の様に隠居で生涯を終える者には想像もつかない業務内容、人との関係で、頭が下がります。」
ペコリと空に向かって、垂れる。僕だけではない、過去の人々にもそれを手向ける様である。
しかし、また表情が切り替わり、黒々と着物の袖に凸も凹もはっきりとは見えない。さすれば、動きは思い過ごしか。
宿は切り離されて、時が止まっているのではないのか。
そのような、思い過ごしを巡らす。右手首を捻り、盤に入る針を見る。やはり、変わらない1秒を刻んでいる。
止まっているのは、この建物では無いだろうと。それもまた、思い過ごす。
「お客様のお部屋は、湖に面した側の7号室になります。お連れ様はお先に入られております。」
ではごゆっくり。そういうと、踵を返して、浮遊するように抵抗なく彼女は去っていく。
「お連れ様ねぇ…」
癖のないストレートな髪をカリカリと掻きむしる。何か騙している様で忍びない。
実際、隠し事だらけなのだけれど、迷惑はかからないはずだよ。迷惑をかけない事を念頭に僕は計画し、ここまで来たのだ。
リュックを後ろ手で弄る様にして、紙束の存在感触を確かめる。クシャッと、数ミリ封筒の折れ曲がりが音を上げる。
僕の身勝手で、迷惑をかけない自殺方法。
僕個人の殺人を依頼する。これが僕の結論だった。
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