腑に落ちない生き方はするな
藍野 克美
ミニマリズムがいい!
そもそも、ミニマリズムが気になり始めたのは、タンブラー (Tumbler) を介して、ミニマルのハッシュタグ (#Minimal) の付けられた画像などを目にしたことがきっかけだっだ。タンブラーとは、SNSの一種で、画像や動画などの共有サイトの一つである。インスタ映えという言葉と共によく知られているインスタグラムほどの勢いはないが、タンブラーにはそれなりのこだわりを持った息の長いユーザーがいて、独特の素晴らしい世界を作り上げて来たように思える。
一人で漠然と広大なインターネットの世界を旅しても、求める画像やコンテンツとはそう簡単には出会えないものである。そういう時は、共有サイトとはありがたいものだ。たとえば、美しくてありきたりじゃない空や海の風景写真を見たいというなら、そんな欲求を持ったであろう先輩たちを共有サイトで探し訪ねればいいのだ。僕がタンブラーに足を踏み入れた最初の理由もそんなところだった。行ってみれば、そこは世界中のありと有りと有らゆる画像、動画、GIF画像、人生訓や格言までがひしめき合う集積所だった。面白いものはみんなで集めればいいのだ。タンブラーを分かりやすく理解するなら、すべてのユーザーがスクラップブックのようなブログを持っていると思えばいい。こんな面白いものがあったよと、投稿したり、この画像もらっとくねと、リブログという方法でスクラップブックに貼り付けるようにして楽しむことができる。そして、なによりいいのは、言葉の違う外国人と多く出会うので、ツイッターのように村社会にいるような息苦しさがない。炎上なんてものとも無縁である。だからフォローも気楽にできる。新しく投稿するのが面倒なら、ひたすらリブログを繰り返しているだけでもいい。そんなタンブラーをフィルターに例えた人がいた。いらないものを濾過して、欲しいものだけをブログに残すフィルターなのだと。
Tumbler (タンブラー)、そこには、白い世界の住人たちがいた。それは、ほとんど白で統一されたような色調の画像で埋め尽くされた、とにかく、カッコいいブログをやっている連中だっだ。そのほとんどが女性だったので、当初、フォローするのに気恥ずかしさを感じ、ためらった。時計やアクセサリー、化粧品、下着を含むファッションアイテムなどの画像が投稿されていたのが、少々心に引っかかった。だが、それと同時に、建築物やその内装、室内インテリア、室内小物などの画像があった。シンプルで美しいデザインのものばかりで、やはり白を基調としたものが圧倒的に多かった。そんな画像の多くが、この目を惹きつけて放そうとしなかった。中には息を呑むほどクールなものがあり、リブログしないわけにはいかなかった。ほどなく、彼女たちがミニマリストを自認していることを理解した。それらの画像に付けられたハッシュタグ、#Minimal、#Minimalist が、それを示していたからだ。
ミニマリストとはなんなのか、一度きちんと押さえておくべきかと、少し調べることにした。それが自分自身で、それを目指そうと決意するきっかけとなった。
ミニマリストとは、最小限主義者のことである。生活する上で必要な物のみ所有し、シンプル・イズ・ビューティフルを信条に生活の簡略化を実践している人たちのことだ。
たいてい、我々は、なくてもすぐには困らないような多くの無駄なものに囲まれて暮らしている。しかし、そんな生活にひとつ疑問符を突き付けてみようではないか。気に入って日常的に着る服はそれほど多くはないし、必要な物を必要なだけ購入していれば、余った物を収納するための家具もいらない。それになにより、引っ越しのたびに、多くの時間と労力をかけなくて済むのだ。引っ越しなんてできればしたくないものだが、どうにも避けることの許されないれない時がある。とくに最期の引っ越しがそうである。我々には、だれにでもあの世への引っ越しの日が訪れる。そんな時、子や孫、連れ合いには、だれであれできるだけ迷惑はかけたくないものではないか? ミニマリストは、そための準備を日々完了させている。そうに考えると、ミニマルでいることは、いい事ずくめのように思える。
そうだ、ミニマリストになると決めてしまえばいいのだ。そして人生最大級の断捨離を敢行しよう。そうすれば、部屋にはすっきりと広々とした空間が確保され、余裕のある気分が持てるようになる。
最小限で持つジャケットや靴だって、わざわざダサく、安っぽい物を選ぶことはない。徹底してデザインにこだわるべきだ。本当にいいデザインとはなんだろう? 例えばジャケットなら、クローゼットにしまうのではなく、いつも目に見える場所に掛けておきたくなるような秀逸なデザインのジャケットではないか? タンブラーを通してたくさん見てきたミニマリストの部屋の写真の一つに、三、四着のジャケットが、ハンガーラックに無造作に掛けられた部屋の写真があった。そこにはクローゼットがなかった。最初それを見た時の感想としては、空間がすっきりとしないし、服が埃をかぶったり、日焼けしやすいから、あまりいいとは思えなかった。だが、今ではよく分かる。その部屋の主は、そのジャケットたちと片時も離れず一緒に過ごしていたいほどの愛着を感じていたに違いない。そんなに愛されたら、ジャケットだって冥利に尽きるというものだろう。(まあ、クローゼットはあった方がいいとは思うが……)もう一度言うが、断捨離は最大限で行うべきだ。そうしてこそ、よりデザインにこだわりを持つことができるようになるはずだ。可能な限り純粋な空間を持つことが肝心なのだ。美しい絵を描く時、真っ白なカンバスが必要なように、なにもない空間がなにより貴重なものになるだろう。
さて、ミニマリストのファッションとは、どうあるべきだろうか? ミニマリストはなんであってもたくさん所有してはならない。だから、アパレル業界の季節戦略にけして乗せられてはならない。また、流行を追うことも諦めるべきだ。(ただ、それが大好きというなら、その限りではないかもしれないが……) 流行には、主義や主張がないのが残念なところだ。次はこれが来るらしい──というだけで、あたふた動かされていては、ただの尻軽でしかない。ある日、駅のホームで、トレンチコートを格好よく着こなした素敵な若い女性を見かけて驚いた。こんな人がいるなんてと、感動に近いものを感じた。まあ、今思えば、トレンチコートにはだれであれ着た人を格好よく見せる魔法がかけられているからに違いないのだが…… その日は、その人独自のファッションだと思ったから非常に驚いたのだった。ところが、その頃を境に、トレンチコートを着た女性が続出し始めた。なんだ… 流行だったのかと気づいた途端、一番最初に見たあの女性までが色あせて、虚しく思えた。
タンブラーで出会ったミニマリストたちのファッションは、そういうものとは全く次元の違うものだった。ファッションとはステータスを表すものだが、思想信条を示すものでもある。白い世界の住民たちは、衣服においても、とにかく白いものを好んだ。黒のモノトーン・ファッションなら、特別な意識や主張がなくとも、結果的にそこに落ち着くという人が多くいることだろう。しかし、白一色に身を包むとなると、格別な主張があるように感じざるを得ない。純白のジャケットに純白のパンツ、スニーカーも純白。そんなひときわ目を引く画像とも出会った。ミニマリストが女性の場合、踵の高い靴を嫌ってか、スニーカーを愛用する人が多いのに気づく。ハイヒールが女性の美の象徴だとしたら──それはあたかも、着飾ること、時として男に媚びることを拒否しているかのように見える。白は、身の潔白を表す色であり、宗教的な色でもある。思い込みの激しいぼくには、彼女たちが、ミニマリズムの伝道師に見えてくるのだ。
だが、よくよく思い出してみると、ぼくはそのようなファッションを、すでに目にしていた。それは、ぼくがティーンエージャーだった頃、擦り切れるほど愛聴したレコードのアルバム・ジャケットの上にあった。ビートルズのアルバム “アビーロード” がそれだ。そのジャケット写真は、ロンドンのEMIスタジオ前のアビーロードにある横断歩道をメンバー四人が順番に並んで歩く姿を横から撮影したもので、その先頭を行くのが、ジョン・レノンだった。そのジョンの出で立ちが、まさに白の上下とスニーカーだった。そうだ、この人物が、1970年代のミニマルファッションの騎手だったに違いない。
十代の頃に読んだ、ジョン・レノンの回想録 “レノン・リメンバーズ” には、次のような明快な言葉があったのを憶えている。「たいていの場合、本物はシンプルだ。なぜなら、飾りを必要としないから」
日本文学の最小の表現方法とも言うべき俳句、そして、日本の代表的美意識である “侘び寂び” も、ミニマリズムに通ずるものではないだろうか?
必要のないものは持たないという主義はいいことに違いない。そして、なにより大切なのは、自分にとって、なにが本当に必要なのかを、じっくり考えてみることではないだろうか? そうすれば、やがて、その考えの対象は、単なる生活様式や形ある物質から、もっと心の中の無形なものへと移っていくはずだ。
我々が、この世を後にし旅立つ時、物はなに一つ持っては行けないのだから……
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